ZiS-3 76mm野砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/02 15:46 UTC 版)
開発
1940年、赤軍はそれまで保有していたF-22(M1936) 76mm野砲とF-22USV(M1939) 76mm野砲よりも軽量かつ低コストな76mm野砲の開発を開始し、翌1941年にはナチス・ドイツがソ連への侵攻を開始したことにより、大祖国戦争が勃発した。
当時のドイツ軍と親衛隊の主力戦車であったIII号戦車とIV号戦車は装甲が薄く、F-22やF-22USVの徹甲弾で十分対抗可能であったが、突然の奇襲と、大粛清の際に多数の将官、佐官を粛清したことによる戦術の稚拙さなどが原因で多くのF-22とF-22USVが破壊されるかドイツ軍に鹵獲されて失われた。赤軍は、部隊再編成のために補充用の野砲を緊急に多数導入する必要に迫られ、さらに、戦争序盤でT-34やKV-1の重装甲に手こずったドイツが、装甲と火力に勝る重戦車を開発して投入することも時間の問題と考えられた。
ZiS-3は1941年に完成したが、赤軍はF-22USVの増産を優先させる方針をとったため、ZiS-3はトライアルも行われないまま公式には製造中止とされてしまった。しかし、F-22USVはコストが高く(ZiS-3の1.5倍)、砲架の制作過程も複雑だったためになかなか数がそろわなかった。このため、スターリンはドイツ戦車に対抗可能なあらゆる砲の生産を許可するとの指令を出したので、ようやく日の目を見ることができた。1942年2月には5日間のトライアルが行われ、それをほぼ完璧にクリアしたZiS-3は、1942年型76mm師団野砲として制式採用された。
概要
ZiS-3は、ZiS-2 57mm対戦車砲の砲架にF-22USV 76mm野砲の砲身と駐退復座機を搭載する形で開発された。砲架が軽量になったことにより発砲時に転倒する危険があったので、砲口には76mm級の師団野砲としては初めてマズルブレーキが装着された。さらに、ZiS-2対戦車砲の砲架は、左右角調整ハンドルと仰俯角調整ハンドルが砲の左側に集中しており、照準調整が1人で行えるようになった。仰角がF-22やF-22USVと比較して浅くなっているが、野砲や対戦車砲としての運用には全く問題はなかった。さらに、コスト面においても砲架の構造が簡略化されたため、調達コストはF-22USVの2/3にまで低下した。
それまでのソ連軍の榴弾砲や野砲は仰俯角調節ハンドルが右側についていたため、照準調整は2人で行う必要があった。ドイツ軍と武装親衛隊が鹵獲したF-22野砲を7.62 cm PaK 36(r)に改造する際にも仰俯角調整ハンドルを左側に移している。
砲弾
ZiS-3には、対戦車用の徹甲弾としてBR-350A徹甲榴弾とBR-350SP徹甲弾が用意されていた。この他にも榴弾、榴散弾、焼夷弾、煙幕弾、毒ガス弾が製造され、戦後には成形炸薬弾も開発された。
BR-350A徹甲榴弾の装甲貫徹能力
- 100m:67mm(入射角60°)、82mm(入射角90°)
- 500m:61mm(入射角60°)、75mm(入射角90°)
- 1000m:55mm(入射角60°)、67mm(入射角90°)
- 1500m:49mm(入射角60°)、60mm(入射角90°)
- 2000m:43mm(入射角60°)、53mm(入射角90°)
固有名詞の分類
ソ連・ロシアの火砲 |
S-23 180mmカノン砲 M-30 122mm榴弾砲 ZiS-3 76mm野砲 37mm軽迫撃砲 M1909/30 152mm榴弾砲 |
対戦車砲 |
M5 3インチ砲 7.5 cm PaK 39 ZiS-3 76mm野砲 オードナンス QF 6ポンド砲 オードナンス QF 2ポンド砲 |
野砲 |
M1902/30 76mm野砲 九〇式野砲 ZiS-3 76mm野砲 四一式騎砲 QF 13ポンド砲 |
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