F-22USV 76mm野砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/09/28 06:30 UTC 版)
76mm師団砲M1939 (USV) | |
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![]() サンクトペテルブルク砲兵博物館に展示されるF-22USV野砲 |
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種類 | 野砲 |
原開発国 | ![]() |
開発史 | |
製造期間 | 1939年~1941年 |
製造数 | 9,812門 |
諸元 | |
重量 | 1,470 kg(射撃状態) 2,500 kg(牽引状態) |
全長 | 5.95 m |
全幅 | 1.94 m |
全高 | 1.7 m |
要員数 | 5名 |
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砲弾 | 装薬:固定薬莢式 |
口径 | 76.2 mm |
砲身長 | 2,985 mm / 39.3口径(砲身のみ) 3,200 mm / 42.1口径(薬室含む) |
砲尾 | 垂直鎖栓式 |
反動 | 液気圧式駐退復座機 |
砲架 | 開脚式砲 |
仰角 | -6° ~ 45° |
旋回角 | 60° |
発射速度 | 15発/分 |
最大射程 | 13,290 m |
76mm師団砲M1939(F-22 USVまたはUSV)(ロシア語: 76-мм дивизионная пушка образца 1939 года (УСВ, Ф-22 УСВ)))とは、ソビエト連邦がF-22野砲の後継として採用した師団野砲である。
開発
ソビエト連邦は赤軍の師団砲兵に配備させる新型の76mm野砲としてF-22野砲を開発していたが、重過ぎるという不満が出ていた。そこで1937年には仰角を45°までに制限し、砲の重量が1,500kgを超えないような新型野砲の開発が開始された。1938年4月から5月にかけて運用試験が行われ、1939年に制式採用された。
翌1940年には、より大口径のM-60 107mm師団砲が設計されたが、これは重量とコストが過大であったため、ごく少数の生産に終わった。
1941年にはじまった大祖国戦争序盤の大敗でソ連軍は多くの76mm野砲を失ったため、F-22USVは増産が急ピッチで行われたが砲架の構造が複雑なために量産ペースが思うように上がらなかった。このため1942年にはF-22USVの砲身をZiS-2 57mm対戦車砲の砲架に搭載したZiS-3 76mm野砲の生産が開始されるとF-22USVの生産は終了した。
運用
F-22USVは1939年の冬戦争で初めて実戦投入された。1941年からの大祖国戦争にも投入されたが、序盤の劣勢時に多数がドイツに捕獲されている。残存砲はその後も使用され続けたが、逐次ZiS-3に更新されていった。
ドイツ軍は数百門のF-22USVを鹵獲し、7.62cm F.K.297(r)(ロシア製7.62cm 297型野砲)の制式名を与えて採用した。フィンランドも少数を鹵獲したが、こちらは運用されることはなかった。大戦後は東欧諸国や中国、北朝鮮などに供与されたと思われる。
関連項目
- 野砲
- 九〇式野砲(大日本帝国)
- 対戦車砲
- オードナンス QF 17ポンド砲(イギリス) / 7.5 cm PaK 40(ナチス・ドイツ)
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固有名詞の分類
ソ連・ロシアの火砲 |
D-74 122mmカノン砲 19-K 45mm対戦車砲 F-22USV 76mm野砲 3.5インチオーセン迫撃砲 M1910/34 152mmカノン砲 |
対戦車砲 |
8.8 cmロケット発射器43型 19-K 45mm対戦車砲 F-22USV 76mm野砲 オードナンス QF 17ポンド砲 九四式37mm速射砲 |
野砲 |
四一式騎砲 QF 13ポンド砲 F-22USV 76mm野砲 7.5cm FK 7M85 M1877 87mm野砲 |
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