PGM-11 (ミサイル)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 07:44 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動SSM-A14/M8/PGM-11 レッドストーン | |
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種類 |
地対地ミサイル 短距離弾道ミサイル |
原開発国 | アメリカ合衆国 |
運用史 | |
配備期間 | 1958年–1964年 |
配備先 | アメリカ合衆国 |
開発史 | |
開発者 | アメリカ陸軍弾道ミサイル局 |
開発期間 | 1950年–1952年 |
製造業者 | クライスラー |
製造期間 | 1952年–1961年 |
製造数 |
128機 ABMA 27機, クライスラー 101機 |
派生型 | ブロック I, ブロック II |
諸元 | |
重量 | 点火時61,207ポンド (27,763 kg) |
全長 | 69.3フィート (21.1 m) |
直径 | 5.83フィート (1.8 m) |
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ペイロード | 6,305ポンド (2,860 kg) |
射程 | 57.5マイル (92.5 km)から201マイル (323 km) |
最大高度 | 最小到達高度28.4マイル (45.7 km)から最大到達高度58.7マイル (94.5 km) |
弾頭速度 | 再突入時に最大マッハ5.5 |
精度 | 300メートル (980 ft) CEP |
核出力 |
3.5 メガトン TNT (15 PJ) または 500 キロトン TNT (2.1 PJ) 熱核弾頭 |
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エンジン | ロケットダイン ノースアメリカン アビエーション 75-110 A-7 |
推力 | 海面高度での推力78,000重量ポンド (350 kN) 121秒 |
噴射時間 | 97秒から117秒 |
推進剤 | エタノール, 液体酸素, 過酸化水素 |
燃料タンク容量 |
エタノール: 11,135ポンド (5,051 kg) 液体酸素: 25,280ポンド (11,470 kg) 過酸化水素: 790ポンド (360 kg) |
誘導方式 | フォード・インストゥルメント社 ST-80 慣性誘導装置 |
操舵方式 | 黒鉛製案内翼, 空気翼,空気ジェットノズル |
発射 プラットフォーム | 誘導ミサイル射場 M74 |
概要
レッドストーンはナチス・ドイツのV2ロケットの技術を用いて改良・大型化された弾道ミサイルで、本体全長21 m、直径1.8 m、質量約28,000 kg。生産はクライスラーが担当した。ロケットエンジンとして25%の水と75%のエチルアルコール(エタノール)を燃料とし、液体酸素を酸化剤として用いたA-6型を採用、真空中の推力は414.3 kN (42,251 kgf) であった。
歴史
アラバマ州ハンツビルのアメリカ陸軍弾道ミサイル局でヴェルナー・フォン・ブラウンの指揮の下で地対地ミサイルとして本格開発が開始されたのは1950年のことであり、生産開始は1952年のことであった。名称は1952年4月8日に兵器廠に由来する。レッドストーンとはこの地域の赤い岩と土に由来する。[1]初の実射試験は1953年に行われている。クライスラーが1952年にミサイルの生産と支援機器の生産を受注してミシガン州ワーレンのミシガンミサイル工廠で生産した。アメリカ海軍が所有するこの工廠は以前は海軍の航空機工場として知られ、ジェットエンジンの生産に使用されていた。海軍のジェットエンジンの製造計画が中止された事により施設はクライスラー社によってミサイルの生産に使用できるようになった。ノースアメリカン航空機会社のロケットダイン部門はロケットエンジンを供給し、スペリー・ランド社の一部門であるフォードインスツルメント社は誘導と制御装置を供給し、レイノルズメタル社はクライスラー社の下請けとして胴体の組み立てを請け負った。
部隊配備開始は1958年6月で射程320 kmの核ミサイルとして西ドイツ駐留の第40野戦砲兵群へ配備された。これらの部隊は西ドイツのKreuznach とWackernheimに1964年6月まで配備された。レッドストーンが配備された第2の部隊はオクラホマ州のフォート・シルの第46特科群で1959年から1964年6月まで西ドイツのNeckarsulmに配備された。レッドストーンが配備された第3の部隊はオクラホマ州のフォート・シルの大209特科群で1958年から1964年まで担当した。第209部隊の最初の任務は西ドイツに駐留する二つのレッドストーンの部隊を支援する事が目的でニューメキシコ州のホワイトサンズ・ミサイル実験場で駐留する部隊の訓練を行った。それぞれのレッドストーン部隊は打ち上げの為にAとBの二つの隊によって構成され司令部、液体酸素、液体窒素製造部、整備部等から構成された。4基の移動式打ち上げ装置と再装填により計8基のレッドストーンが西ドイツに駐留した4隊に1964年前半まで配備された。レッドストーンの射程は57.5マイル (92.5 km)から201マイル (323 km)だった。燃焼中は25%の水と75%のエチルアルコールを混合した燃料と液体酸素を燃焼した。ミサイルの本体はエンジンの停止後20から30秒後に予め設定された目標までの距離に応じて分離される。本体は弾道軌道上を落下地点へ向かって制御が継続される。推進ユニットは制御されず弾道軌道上を飛行して目標よりも低い地点に落ちる。レッドストーンは予め設定された軌道を慣性誘導装置によって軌道を飛行する。慣性誘導装置は地上からの支援によらず制御されるので外部からの妨害に対して耐性がある。
レッドストーンは初期の500kTのW18"Super Oralloy"弾頭や3.8 MTのW39水素爆弾を備えた最初のロケット運搬型核爆弾で1958年8月に太平洋のジョンストン島でのハードタック作戦で使用された。1958年8月1日にレッドストーンNo.CC50が核実験Teakで打ち上げられ高度77.8キロメートル (48.3 mi)に達した。1958年8月12日にレッドストーンNo.CC51が核実験Orangeで打ち上げられ高度43キロメートル (27 mi)に達した。両方のペイロードは3.75 MTだった。 生産は1961年まで行なわれ、1964年に退役した。
「レッドストーン」ミサイルの派生型の「ジュノーI」ロケットによりアメリカ初の人工衛星「エクスプローラー1号」が打ち上げられた。また、マーキュリー計画では、「レッドストーン」ミサイルの派生型「レッドストーン・マーキュリー」ロケットにより、無人機および2機の有人宇宙船「フリーダム7」および「リバティ・ベル7」を弾道飛行させることに成功した。
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- ^ Cagle, Mary T. (1955年). “The Origin of Redstone's Name”. US Army, Redstone Arsenal. 2010年10月9日閲覧。
- ^ Parsch, Andreas (2002年1月22日). “PGM-11” (英語). Directory of U.S. Military Rockets and Missiles. Designation-Systems.Net. 2007年7月29日閲覧。
- 1 PGM-11 (ミサイル)とは
- 2 PGM-11 (ミサイル)の概要
- 3 派生機種
- 4 仕様
- 5 外部リンク
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