2インチVTR
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2インチVTR(2インチ・ヴイティーアール、英語:2-inch video tape recorder)は、実用的で商用化された世界初のビデオテープレコーダの規格である。
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- ^ 装置の製造番号は87・88号機で、大阪支社で使用されたものについては、ビデオヘッドのみが朝日放送に保存されているという。
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- ^ 奇跡的に廃棄をされていなかったものもわずかながらあり、出演歌手の追悼番組などで部分的に放送されたことがある。
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- ^ 下記の参考文献リンク「アメリカのカラーテレビの歴史」の項を参照のこと。
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- ^ この6日後の12月8日、東京・赤坂でチンピラの村田勝志にナイフで刺され、1週間後の12月15日に急逝(享年39)。
- ^ 社団法人 日本映画テレビ技術協会 会報掲載記事 - レトロエンタープライズ
- ^ 2008年5月に運用終了、現在は解体されて存在しない。
- ^ 『てなもんや』主演の藤田まこと・白木みのる、ゲストの東山明美、脚本の香川登志緒、それに演出の澤田が出演。
- ^ 他にも村山同様トークゲストの横山エンタツと花菱アチャコが名作漫才「早慶戦」の一部を再現したり(エンタツが下半身不随のためゼスチャーは出来ず)、「幻のコメディアン」と言われた永田キングとその弟子たちが野球コントを演じるなど、大変貴重な映像となっている。
- ^ 当時の朝日新聞縮刷版のテレビ欄で記載されている。
- ^ NETテレビ番組初のスタジオカラーカメラ&カラーVTR録画番組である。
- ^ 全国朝日放送株式会社総務局社史編纂部 編『テレビ朝日社史:ファミリー視聴の25年』全国朝日放送、1984年2月1日、137頁。NDLJP:12276014/219。
- ^ 制作当時要注意歌謡曲指定制度による放送禁止歌であったため。
- ^ 『1968 十勝沖地震』 。2020年3月27日閲覧。
- ^ 『魚屋宗五郎』 。2020年3月25日閲覧。
- ^ この回の受賞曲である黛ジュン『天使の誘惑』(作詞:なかにし礼、作曲:鈴木邦彦)の歌唱映像については、傑作選などにおいて歴代レコ大受賞歌手をまとめて紹介する場合はカラー映像の統一性を保つせいか後述の10周年記念特番の映像が用いられるケースが多い。
- ^ 第1回から順に水原弘、松尾和子with和田弘とマヒナスターズ、フランク永井、橋幸夫&吉永小百合、梓みちよ、青山和子、美空ひばり、橋(ソロで受賞)、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ。
- ^ この時、小川の補助として入ったいしだあゆみと中村晃子も一緒に泣き崩れてしまった。
- ^ 試合後、日本テレビアナウンサー(当時)の徳光和夫が馬場にインタビューしようとしたものの興奮のあまり乱入した観衆にもみくちゃにされるハプニングが発生。
- ^ 大会期間中に朝日放送との腸捻転解消ネットチェンジがあったものの、関東地区ではTBSテレビではなく従来通り東京12チャンネルにネットされた(決勝戦のTBS系全国ネット放送は翌年から)。
- ^ 決勝戦のTBS系全国ネット放送は前年限りで終了し、この大会から基本毎日放送ローカル(まれに近畿・関東・東京以外の高校が決勝進出した場合の同校の地元のTBS系列局への個別ネット)となった。
- ^ 『1969 青森市 堤川の氾濫』 。2020年3月27日閲覧。
- ^ 同番組を紹介する当時の新聞のテレビ欄の殆どがまき子の女優時代の芸名である北原三枝と記載していた。
- ^ 森山加代子『白い蝶のサンバ』(作詞:阿久悠、作曲:井上かつお)、左卜全とひまわりキティーズ『老人と子供のポルカ』(作詞・作曲:早川博二)、ザ・ドリフターズ『ドリフのほんとにほんとにご苦労さん』(原作詞:野村俊夫、補作詞:なかにし礼、作曲:倉若晴生)など。
- ^ a b 当時は荒井注がドリフの正メンバーで、志村康徳(後の志村けん)は付き人だった。
- ^ 収録もどの放送局(または番組制作会社)が実施したのかは不明。但し、映像の著作権はユニバーサルミュージック・ジャパンが保有している。
- ^ 収録は東京12チャンネルが実施し、同映像はその後身のテレビ東京が現在も著作権を保有している。
- ^ 9回裏に巨人・王貞治が阪急・山田久志から逆転サヨナラ3ランを放った試合。
- ^ 巨人が日本シリーズ7連覇を決めた試合。
- ^ ヤクルト・大杉勝男のホームランのジャッジを巡っての阪急・上田利治監督の1時間以上にわたる猛抗議があった試合としても有名。
- ^ 当番組は、TBSテレビのバラエティー番組の中で、2インチVTRによる記録保存に於いては、最も多く残されているという。
- ^ 1988年(第19回)のみ昭和天皇(裕仁)のご容態に鑑み開催中止。
- ^ 1977年4月1日に局名変更。
- ^ 当時、相方の横山やすしは前々年のタクシー運転手への暴行事件による謹慎期間中だった。
- ^ 『【虎辞書なる!!】2020年6月5日放送「江夏&川尻 ノーヒットノーラン」【〜あの興奮をもう一度〜】』 。2022年5月17日閲覧。
- ^ 但し、三者とも放送当時は既に堀越高校に進学していた。
- ^ 同局は当時日本テレビ系とフジテレビ系のクロスネット局だったが、同音楽祭は前者のネットワークで放映された。
- ^ ひばりは1988年の第15回でも同曲を歌唱したが、聴衆を入れたテレビ番組への出演はこの第15回広島平和音楽祭が生涯最後となった(翌年6月24日死去、享年52)。
- ^ 当時の芸名はラビット関根。
- ^ 同時期に姉の荻野目慶子も少女女優として頭角を表していた。
- ^ ダブルヘッダー第2試合。
- ^ なお、同試合の放映権を持っており生中継を担当した東海テレビはカラーキネコで収録している。
- ^ 次大会までは長居・うつぼの大阪2会場開催、次々大会から現在の首都圏開催に移行。
- ^ 腸捻転解消ネットチェンジによりNETテレビ系からTBS系に移行して最初の回。また同作では七代目立川談志が10問正解を達成。
- ^ ピーナッツは番組ラストで『ウナ・セラ・ディ東京』(作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰)を歌唱する際、父親のサプライズ登場に感極まって歌えなくなり、芸能界での兄貴分的存在だったハナ肇になだめられていた。
- ^ 優勝投手となった習志野の小川淳司と準優勝に終わった新居浜商の投手兼一塁手の片岡大蔵はのちにヤクルトで同僚になる。
- ^ 前週まで広島テレビが担当していた広島県における『ワイスぺ』のネット局はこの日より10月1日に開局したテレビ新広島に移行。
- ^ この回より、共に1975年10月1日に開局した東日本放送(NETテレビ系)とテレビ新広島(フジテレビ系)が新たにネットワークに加わった。
- ^ 現在は京都鉄道博物館。
- ^ 1975年12月を以て国鉄の蒸気機関車牽引による定期旅客列車が姿を消したため(詳細)、暮れゆく1975年と共にその惜別も兼ねての演出である。
- ^ この回は番組開始以来初となる生放送且つテレビ朝日スタジオ外からの放送(於:渋谷PARCO Part1)を実施した。
- ^ 同特番はテレビ朝日の放送エリアのみのローカル編成で、朝日放送や名古屋テレビなどの系列局においては『徹子の部屋』は通常通り単体番組として編成された。
- ^ 2022年8月現在は田中恒成の5戦目が日本記録。
- ^ 1リーグ時代も含めると29回目。
- ^ 制作・著作権は同局ではなくザ・ドリフターズの所属事務所であるイザワオフィスが保有。
- ^ 曲発表から20年間は道子の作詞と公表されていたが、第50回大会を機に大介が自分の作詞であることを公表した。
- ^ 作詞:阿久悠、作曲:中田喜直。1990年代半ばまで、ABCテレビの高校野球関連番組(大会中継、『熱闘甲子園』など)のテーマ曲として親しまれた他、2003年には夏川りみによってカヴァーされた。
- ^ 選手権大会開会式の入場行進において女子生徒がプラカードを持つことで有名な市立西宮高校野球部OB(但し、高岡本人は甲子園大会の出場歴はない)。
- ^ 嵐は3年後の1980年10月21日死去(享年77)。
- ^ 最終日はピンク・レディーがゲスト出演し5人で『ペッパー警部』(作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一)を歌唱するシーンがある。
- ^ 森光子演じる主人公の三女役。
- ^ それまで別々のテレビ出演はあったが、石橋貴明と木梨憲武が同時に出演したのは同番組が初めてだった。
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