雨月物語
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脚注
参考文献
- 訳註:大輪靖宏『上田秋成 雨月物語』旺文社〈旺文社文庫〉、1979年
- 校注:浅野三平『雨月物語癇癪談 新潮日本古典集成 第22回』新潮社、1979年
- 校訂・訳:高田衛・稲田篤信『雨月物語』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、1997年 ISBN 4-480-08377-4 - 『雨月物語評解』、有精堂出版(1980年)を改訂文庫化。高田が本文と評と解説を、稲田が本文と語釈と現代語訳を担当した。
- 長島弘明『雨月物語の世界』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、1998年 ISBN 4-480-08418-5 - 放送テキスト『雨月物語:幻想の宇宙』日本放送出版協会(上・下、1994年 - 1995年)を改訂文庫化。
- 坂東健雄『上田秋成『雨月物語』論』和泉書院〈研究叢書22〉、1999年 ISBN 4-87088-916-1
- 國眼隆一 著、森照実・春馬誉貴子・相井美由紀・山本久美子 編『宝塚歌劇90年史―すみれの花歳月を重ねて』宝塚歌劇団(発売:阪急コミュニケーションズ)、2004年4月20日。ISBN 4-484-04601-6。 NCID BA66869802。全国書誌番号:20613764。
- 校注:長島弘明『雨月物語』岩波書店〈岩波文庫〉、2018年2月
- 校注:浅野三平『雨月物語 癇癖談 新潮日本古典集成』新潮社、2018年、ISBN 978-4-10-620875-1
その他訳注等
- 校訂・訳:高田衛・阪口弘之他『雨月物語』 小学館〈日本の古典をよむ19〉、2008年 - 元版は「日本古典文学全集」
- 校訂・訳:青木正次『雨月物語』 講談社学術文庫(上下)、1980年 - 改訂版(全1巻)、2017年3月 ISBN 4-06-292419-6
- 訳注:鵜月洋・井上泰至『雨月物語 現代語訳付』角川学芸出版〈角川ソフィア文庫〉、改訂版2006年 ISBN 4-04-401102-8
- 訳:石川淳『新釈雨月物語 新釈春雨物語』ちくま文庫、1991年/角川文庫、1994年
- 訳:円地文子『雨月物語 春雨物語 現代語訳』河出書房新社〈河出文庫〉、 2008年- 元版は同「日本古典文庫」
- 井上泰至『雨月物語の世界 上田秋成の怪異の正体』角川学芸出版〈角川選書〉、2009年 ISBN 978-4-04-703444-0
- 編訳:佐藤至子『雨月物語 日本の古典』角川ソフィア文庫:ビギナーズ・クラシックス、2017年
外部リンク
注釈
- ^ 第四版は、幕末、大坂心斎橋、河内屋源七郎の出版。四つの版のなかで、一番残存冊数が多い。三冊組に構成されている[1]。
- ^ 西行の初期の法名。ここで初めて、視点者は西行であることが明かされる。
- ^ 原話の「死生交」にも見える。
- ^ このころ、後の応仁の乱の原因にもなる畠山政長と義就の戦いがおこっていた。
- ^ 唐代の李復言の『続玄怪録』に収録された『薛偉』が原典であり、明代に『古今説海』に収録され題が付された。
- ^ 『古今著聞集』にも見える、実在した画僧であるが、伝未詳。大阪の絵師葛蛇玉がモデルとする中村幸彦の説がある[18]。
- ^ いくつかの和歌からの引歌でできており、井原西鶴『好色五人女』巻三からの影響も受けている[19]。
- ^ この当時、ブッポウソウの正体だと思われていた鳥はブッポウソウ目ブッポウソウ科に属するブッポウソウ。声のブッポウソウは、フクロウ目フクロウ科のコノハズクで、全く別の鳥である。
- ^ 未詳。俳諧の心得のあった、秋成自作の句か。
- ^ 木村常陸介、雀部淡路守、白江備後、熊谷大膳、粟野杢、日比野下野、山口少雲、丸毛不心、隆西入道、山本主殿、山田三十郎、不破万作、紹巴法橋
- ^ これも秋成の作か。「みじか夜」が夏の季語。
- ^ 西田維則訳『通俗西遊記』「源序」に似た言葉がある。
- ^ 中国曹洞宗永嘉大師玄覚の作。「入江を月が照らし、松の木に風が吹く。永遠に続くかのようなこの清らかな夜は、一体何のためにあるのか」という意味。
- ^ 瑞草が生え、日は高く昇って輝き、民は家に帰る、つまり、徳川家康の天下となる
出典
- ^ a b 長島(1998年)p.50
- ^ 高田(1997年)pp.443 - 444.
- ^ 大輪(1979年)pp.359 - 360
- ^ 高田(1997年)pp.135 - 136, 465 - 469.
- ^ 大輪(1979年)pp.315 - 316.
- ^ 坂東(1999年)p.1
- ^ 高田(1997年)p.451
- ^ 長島(1998年)p.51
- ^ 高田(1997年)pp.18 - 19.
- ^ 長島(1998年)pp.54 - 57.
- ^ 西行『山家集』下雑、詞書に「讃岐に詣でて、松山の津と申所に、院おはしまけん御跡尋ねけれど、形も無かりければ」とある歌の二首目「松山の波の景色は変らじを形無く君はなりましにけり」
- ^ 前註の、一首目の歌。
- ^ 『保元物語』「新院御経沈めの事 付けたり 崩御の事」
- ^ 『山家集』下雑、「白峯と申しける所に御墓の侍りけるにまゐりて」と詞書のある歌。ここでは、第三句は、「むかしのたまのゆかとても」となっている。
- ^ 『三十六人集』「敦忠集」にある歌
- ^ 『万葉集』巻十四・三三八四「葛飾のままの手児奈をまことかも我に寄すといふ真間の手児奈を」
- ^ 高田(1997年)pp.175 - 176.
- ^ 大輪 (1979)pp.301, 302。
- ^ 長島(1999年)p.184
- ^ 『古今著聞集』「成光閑院の障子に鷄を畫く事」『成光、閑院の障子に鷄をかきたりけるを、實の鷄みて蹴けるとなん。此成光は、三井寺の僧興義が弟子になん侍りける』
- ^ 『風雅和歌集』巻十六・一七八八、詞書は「高野の奥の院へまゐる道に、玉川といふ河の水上に毒虫おほかりければ、此流を飲まじきよしをしめしおきて後よみ侍りける」。本居宣長の『玉勝間』にも、この歌の解釈を試みた文がある。
- ^ 『五雑俎』巻五
- ^ この描写は『水滸伝』第六回による。
- ^ 『常山紀談』『翁草』『老士語録』『続近世畸人伝』など
- ^ a b 司馬遷『貨殖列伝』に見える言葉。
- ^ a b c d 宝塚歌劇90年史 2004, p. 82、84、104.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 宝塚歌劇90年史 2004, p. 82.
- ^ a b c d e f g 宝塚歌劇90年史 2004, p. 84.
- ^ a b c d e f g h i 宝塚歌劇90年史 2004, p. 104.
- ^ 宝塚歌劇90年史 2004, p. 82、84.
- ^ “国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online”. ndlonline.ndl.go.jp. 2022年10月10日閲覧。
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