西行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 16:40 UTC 版)
逸話
出家
出家の際に衣の裾に取りついて泣く子(4歳)を縁側から蹴落として家を捨てたという逸話が残る。この出家に際して以下の句を詠んだ。
- 「惜しむとて 惜しまれぬべき此の世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ」
崇徳院
ある時(1141年以降)西行にゆかりの人物(藤原俊成説がある)が崇徳院の勅勘を蒙った際、院に許しを請うと崇徳院は次の歌を詠んだ(山家集)。
- 「最上川 つなでひくとも いな舟の しばしがほどは いかりおろさむ」
- 意:最上川では上流へ遡行させるべく稲舟をおしなべて引っ張っていることだが、その稲舟の「いな」のように、しばらくはこのままでお前の願いも拒否しよう。舟が碇を下ろし動かないように。
対して西行は次の返歌を詠んだ。
- 「つよくひく 綱手と見せよ もがみ川 その稲舟の いかりをさめて」
- 意:最上川の稲舟の碇を上げるごとく、「否」と仰せの院のお怒りをおおさめ下さいまして、稲舟を強く引く綱手をご覧下さい(私の切なるお願いをおきき届け下さい)。
旅路において
- 西行戻し
- 各地に「西行戻し」と呼ばれる逸話が伝えられている。共通して、現地の童子にやりこめられ恥ずかしくなって来た道を戻っていく、というものである。
- 鴫立沢
- 奥州下りの折、神奈川県中郡大磯町の旧宿場町(江戸時代における相模国淘綾郡大磯宿、幕藩体制下の相州小田原藩知行大磯宿)の西端(江戸時代における淘綾郡西小磯村付近、幕藩体制下の寺社領相州西小磯村付近、鎌倉時代における相摸国餘綾郡内)の海岸段丘を流下する渓流にて[9][gm 3]、下記を詠んだと伝えられる[10]。
- 「鴫立沢(しぎたつさわ、旧字体表記:鴫立澤、古訓:しぎたつさは)」は「鴫の飛び立つ沢」を意味するだけの、ありふれた地名であったろうが、いつしかこの地は西行の歌にちなんでその名で呼ばれるようになったと思われる。時を下り、伝承にあやかって江戸時代初期の寛永年間(1624-1645年間)に結ばれた「鴫立庵」が今も残る[11]。
- 伊勢神宮で詠んだとされる歌
- 伊勢神宮を参拝した時に詠んだとされる歌は、日本人の宗教観を表す一例に挙げられる。古来、西行の歌か否か真偽のほどが問われていた歌であるが、延宝2年(1674年)板本系統の『西行上人集』に収録されている。
何事 の おはしますをば しらねども かたじけなさに淚 こぼるる ──『西行上人集』
- 源頼朝との出会い
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- 頼朝に弓馬の道のことを尋ねられて、「一切忘れはてた」ととぼけたといわれている。
- 頼朝から拝領した純銀の猫を、通りすがりの子供に与えたとされている。
晩年の歌
画像外部リンク | |
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国文学研究資料館 電子資料館 - 『続古今和歌集』の原典を実際に画像で閲覧できる。 |
以下の歌を生前に詠み、その歌のとおり、陰暦2月16日、釈尊涅槃の日に入寂したといわれている。
ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ ──『山家集』
ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比 ──『続古今和歌集』
花の下を“した”と読むか“もと”と読むかは出典により異なる。なお、この場合の花とは桜のことである。その欲望の意味するところは、下の句の、如月(きさらぎ)の満月(望月)の頃つまり涅槃の頃に朽ち果てたいということである。(あくまで日本仏教の文脈における後世の解釈)
注釈
- ^ 河南町弘川(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤色で囲い表示される。西行の墓と伝えられる「西行墳」も区域内(弘川寺境内)にある。
- ^ 竜池山 弘川寺(地図 - Google マップ) ※該当施設は赤色でスポット表示される。
- ^ 鴫立沢(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤色でスポット表示される。画面を拡大すれば近くにある鴫立庵もスポット表示される。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 植村雅史「中古末法期から紐解く現代社会の死生観序説(上) : 隠遁者西行,その生涯からみる死生観」『駿河台大学論叢』第48号、駿河台大学、2014年、105-132頁、doi:10.15004/00000075、ISSN 0914-9104、NAID 110009872013、2021年7月1日閲覧。
- ^ a b “生誕900年 西行展/理想移す多彩な肖像/歌と旅の生涯 ルーツの和歌山で”. 毎日新聞 東京夕刊: p. 6面. (2018年11月12日)
- ^ a b c d e 植村雅史「中古末法期から紐解く現代社会の死生観序説(下) : 隠遁者西行,その生涯からみる死生観」『駿河台大学論叢』第49号、2015年1月、43頁、doi:10.15004/00001313、NAID 120005578382、2021年7月1日閲覧。
- ^ “「わかやま何でも帳」を活用するために”. 和歌山県. 2020年11月8日閲覧。
- ^ 「さても西行発心のおこりを尋ぬれば、源は恋ゆゑとぞ承る。申すも恐れある上臈女房を思ひ懸け進ぜたりけるを、阿漕の浦ぞといふ仰せを蒙りて思ひ切り、官位は春の夜見はてぬ夢と思ひなし、楽栄は秋の夜の月西へとなずらへて、有為世の契りを遁れつつ、無為の道にぞ入りにける。阿漕の歌の心なり。伊勢の海あこぎが浦に引く綱も度かさなれば人もこそ知れ」(源平盛衰記、巻第八)
- ^ 出原博明「西行の出家と歌」(桃山学院大学人間科学、No.20、2000年)P.12
- ^ 谷口耕一「撰集抄の構造 - 西行仮托説話の発想と傾向をめぐって[1]」
- ^ 三上景文『地下家伝 第14-20(日本古典全集 ; 第6期)[2]』(日本古典全集刊行会、1937年)
- ^ 小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』、小学館『精選版 日本国語大辞典』. “鴫立沢”. コトバンク. 2019年7月6日閲覧。
- ^ 『東海道鉄道遊賞旅行案内』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “鴫立庵”. 大磯町 (2018年). 2019年7月27日閲覧。
- ^ 小松和彦『異界と日本人 絵物語の想像力』角川選書、2003年
- ^ 初田亨『職人たちの西洋建築』(ちくま学芸文庫、2002年)pp157-158。
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