福祉国家論
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福祉国家の展開
福祉国家の成立
欧米諸国では、16世紀以来の救貧法を脱して、20世紀の初頭ごろから、国民の権利としての所得保障や社会サービスが給付されるようになった。制度的な拡大としては、19世紀末に労災保険制度、1930年代から1940年代に老齢年金制度、さらに失業給付制度や家族手当、という具合に段階的に整備されている。また、対象者の範囲については、イギリスやスウェーデンなどではナショナル・ミニマムに基づく均一給付、大陸ヨーロッパ諸国では職域ごとの社会保険制度、アメリカでは黒人労働者の排除、というように多様な展開が見られた[9]。
福祉国家の発展
第二次世界大戦後の高度経済成長のなかで、先進各国は社会保障の充実を図った。そのなかで、福祉政策の対象範囲を困窮層に限定するか中間層まで広げるか、また、福祉政策を雇用政策に連関させるか否か、という分岐が見られた(右図)[10]。
イギリスの福祉では第二次世界大戦直後に社会民主主義的な方向の政策が展開され、ベヴァリッジ報告書では社会保障制度の構想が提言された。総選挙で労働党が大勝したことでこの構想は実現されることになり、国民保健サービスや国民保険といった制度が整備され、ゆりかごから墓場までと呼ばれることとなった。
日本を例に挙げると、以下のような福祉政策の拡充が実施された[11]。
- 児童手当制度の開始(1972年)
- 老人医療費の無料化(1973年)
- 健康保険の被扶養者の給付率を50%から70%に引き上げ(1973年)
- 厚生年金保険の給付額を2.5倍に引き上げて「五万円年金」(定年前給与の約60%)を実現すると同時に、物価スライド制を導入(1973年)
- 生活保護の扶助基準の引き上げ(1973年)
- 雇用保険四事業の開始(1975年)
福祉国家の危機
1973年と1979年のオイルショックを引き金に高度成長が終焉すると、それまでの福祉政策の拡充の原資となっていた税収が落ち込み、1981年に経済協力開発機構(OECD)が『福祉国家の危機』と題する報告書を公開[12]するなど、その行き詰まりが喧伝されるようになった。また、グローバル化の進展による資本を海外への逃避から繋ぎ止めるため、先進各国は、社会保障を最小限に切り詰める「最底辺への競争」に追い立てられるとされた[13]。また、脱工業化は、均質的なブルーカラー労働者を中心とした製造業から、多種多様なホワイトカラーを中心とするサービス産業へ産業構造が推移することによって、労働運動の弱体化を招き、福祉政策の後退に繋がるとされた[14]。
1979年5月、イギリスではマーガレット・サッチャーが首相となり、ケインズ型福祉国家の抜本的改革に着手した(サッチャリズム[15])。アメリカでは1980年に大統領となったロナルド・レーガンは、「ケインズ主義福祉国家」の解体に着手した(レーガノミクス[15])。「小さな政府」をスローガンに、規制緩和の徹底、減税、予算削減、労働組合への攻撃など、新自由主義的な政策を大規模に行っていった[15]。日本では小泉純一郎政権が、米英に20年遅れる形で「ケインズ型福祉企業モデル」の打破に取り組んだ[15]。
日本を例に挙げると、以下のような福祉政策の見直しが実施された[16]。
- 老人保健法の制定による老人医療費無料化の廃止(1982年)
- 健康保険法の改正によって被保険者本人の医療費に10%の自己負担を導入(1984年)
- 基礎年金制度の導入によって国庫負担を基礎年金部分に限定(1986年)
- 老齢厚生年金の支給開始年齢を60歳から65歳に繰り下げ(1994年)
注釈
- ^ なお、ここでの「保守」「リベラル」の語はヨーロッパでの語義に従っており、アメリカでは語義が逆になっていることに注意が必要である。
出典
- ^ OECD Social Expenditure Statistics (Report). OECD. 2011. doi:10.1787/socx-data-en。
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ) コトバンク. 2018年10月17日閲覧。
- ^ 百科事典マイペディア コトバンク. 2018年10月17日閲覧。
- ^ 新川他 2004, p. 166.
- ^ 真野俊樹、入門 医療政策、中央公論新社刊、2012年、94頁。
- ^ 大竹、堀口、2003年。
- ^ 新川他 2004, pp. 175–176.
- ^ a b c 平岡公一『社会福祉学』有斐閣、2011年12月、113-119頁。ISBN 9784641053762。
- ^ 新川他 2004, pp. 167–168.
- ^ 新川他 2004, pp. 168–172.
- ^ 富永、2001年、186-187頁。
- ^ OECD, The Welfare State in Crisis, Paris: OECD, 1981.
- ^ 新川他 2004, pp. 80–81.
- ^ 新川他 2004, p. 207.
- ^ a b c d 山田久の「市場主義3.0」 「市場主義1.0」がもたらした不可逆的変化 サッチャー、レーガン、小泉改革の意味ダイヤモンド・オンライン 2012年7月18日
- ^ 富永、2001年、190-193頁。
- ^ 日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、67頁。
- ^ 新川他 2004, p. 175.
- ^ 佐藤、1994年
- ^ 新川他 2004, pp. 180–181.
- ^ a b c d e f g h i j k l "Chapt.4 「福祉レジーム」から社会保障・福祉国家を考える". 平成24年版厚生労働白書 (Report). 厚生労働省. 2012.
- ^ エスピン=アンデルセン 2000, p. 129.
- ^ a b c d e 新川他 2004, p. 188.
- ^ a b 新川他 2004, pp. 209–210.
- ^ エスピン=アンデルセン 2001, p. 57.
- ^ エスピン=アンデルセン 2001, p. 82.
- ^ Esping-Andersen 1990; Ferragina and Seeleib-Kaiser, 2011
- ^ a b c Esping-Andersen 1990, p. 71.
- ^ OECDの「Social Expenditure Database」[1]による。なお、国立社会保障・人口問題研究所『社会保障費用統計(平成22年度)』の「主な用語の解説」に従って、公的社会支出(public)と義務的私的社会支出(mandatory private)の合計で算出している。
- ^ 新川敏光 『日本型福祉レジームの発展と変容』 ミネルヴァ書房〈シリーズ・現代の福祉国家〉、2005年。ISBN 9784623043941。257頁。
- ^ 新川他 2004, pp. 207–208.
- ^ 盛山和夫(2011)『経済成長は 不可能なのか』中公新書、第5章および第6章
- ^ Atkinson, A. B. (1995). Incomes and the Welfare State. Cambridge: Cambridge University Press. ISBN 0-521-55796-8
- ^ Barr, N. (2004). Economics of the welfare state. New York: Oxford University Press (USA).
- ^ Organisation for Economic Co-operation and Development (OECD) (2001年). “Welfare Expenditure Report” (Microsoft Excel Workbook). OECD
- ^ United Nations Development Programme (UNDP) (2003). “Human Development Indicators”. Human Development Report 2003. New York: Oxford University Press for the UNDP
- ^ a b Kenworthy, L. (1999). Do social-welfare policies reduce poverty? A cross-national assessment. Social Forces, 77(3), 1119-1139.
- ^ a b Bradley, D., Huber, E., Moller, S., Nielson, F. & Stephens, J. D. (2003). Determinants of relative poverty in advanced capitalist democracies. American Sociological Review, 68(3), 22-51.
- ^ 神野直彦「<巻頭言>社会福祉の今日的課題」『人間福祉学研究』第2巻第1号、関西学院大学人間福祉学部研究会、2009年11月、3-5頁、CRID 1050282812777417984、hdl:10236/3483、ISSN 18832741。
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