碁盤 歴史

碁盤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 08:38 UTC 版)

歴史

漢景帝陽陵からは、代のものと思われる陶製碁盤が出土している。装飾の施された木画紫檀棊局(もくがしたんのききょく)という碁盤も著名。正倉院宝物となっている。

碁盤の大きさについては以下の記録が残っている。

  • 『囲碁式』(1199年頃)縦1尺4寸8分、厚さ3寸4分
  • 本因坊道悦の標準盤 縦1尺4寸5分、横1尺3寸5分、厚さ3寸9分
  • 『大江俊矩記』(1807年)縦1尺4寸8分、厚さ5寸3分

現在は碁盤・将棋盤は実際の使い勝手より、厚いほど高級とされているため、8寸・9寸などという盤も稀に存在する。

深曾木の儀

日本の皇室では、七五三にあたるものとして、碁盤から飛び降りるという儀式が行なわれる。世界をしっかりと踏んで立ち成長するようにとの願いを込め、右手に扇、左手に山橘を持ち,碁盤の上から南の方角へ飛び降りる。皇太子徳仁親王秋篠宮文仁親王の使用した碁盤は、1964年に日本棋院から寄贈された。皇室に限らず、「碁盤の儀」として七五三に行っている例もある[3]

逸話

碁盤の角を斬る義家。月岡芳年
碁盤で戦う佐藤忠信。歌川国芳
  • 古今著聞集』9巻「源義家法師の妻と密会のこと」。源義家が若いころ、ある法師の妻のもとへ足しげく通っていたことがあった。その家は桟敷の前に堀があり、さらに棘のある植木があったが、義家は堀の横に車を寄せると、鳥のように軽々とそれらを飛び越えて桟敷から女の部屋に忍び込んでいた。腕に覚えのある法師は義家を斬りつけようと桟敷に碁盤を置き、義家がそれにけつまづくのを待ち伏せたが、義家は飛び込みざまに気づくやいなや碁盤の角を斬り捨てて難なく着地し、何事もなかったように部屋の中に入っていった。それを見た法師は怖気づいて逃げ出し、のちにそれが八幡太郎と名にしおう義家であることを知った。[4]
  • 義経記』に源義経の吉野落ちで佐藤忠信が奮戦したことが描かれたことから、忠信が碁盤を持って戦ったという伝説が生まれ、横河覚範との立回りを中心とした荒事芸として劇に採り入れられ、人形浄瑠璃や歌舞伎で演じられるようになった[5]。明治時代には無声映画『碁盤忠信 源氏礎』が制作された。

出典

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