白玉雅己
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 07:24 UTC 版)
人物
- 広島県因島市(現・尾道市)出身。
- 弓削商船高等専門学校中退(三年次修了)。
- アン・ミュージック・スクール京都校(現・スクール・オブ・ミュージックプラン)に入学し1年間学ぶ(学校は2年制)。[1]
- 血液型はO型。身長173cm。体重64kg。
- ポルノグラフィティの新藤晴一は、保育園時代と小・中学校時代の同級生である。
- 2004年、一般女性と結婚。翌2005年、第一子誕生。[2]
- 2010年以降は事実上の活動休止状態であったが、2019年にTwitterアカウントを開設とともに復帰。
- 現在は本名である「白玉雅己」名義で活動している。
- ポルノグラフィティを脱退しているが、不仲による脱退ではないため、脱退後も現メンバーとの交流は続いている模様で、2017年10月17日の本間昭光のx(当時:Twitter)の写真に岡野昭仁と登場し、更には2024年4月3日には新藤晴一のx(旧Twitter)に昭仁とともに登場し、久々の3ショットが実現した。
略歴
- 1974年、広島県因島市(現・尾道市)に生まれる。
- 1994年、大阪にてバンド活動開始。アン・ミュージック・スクール京都に通い音楽を学ぶ。実技担当 石橋敬一。
- 1997年、SME及びアミューズと契約、東京に活動拠点を移す。
- 1999年 9月8日、ポルノグラフィティとして「アポロ」でメジャーデビュー。
- 2000年
- 作曲した「サボテン」がオリコンチャートで1位を獲得。
- NHK『第51回NHK紅白歌合戦』に初出場(演奏曲は「サウダージ」)。
- 2001年
- エフティ資生堂「ティセラ・トコナッツ・ココナッツ」のCMに出演。
- メンバーがそれぞれアーティスト名を変更したように、自身も「シラタマ」から「Tama」へ変更。
- 2002年
- 作曲した「Go Steady Go!」がNHK『2002 FIFAワールドカップ』イメージソングになる。
- NHK紅白歌合戦出場。
- 2003年
- 2004年
- 2005年
- 12月21日、ソロデビューアルバム『Great Pleasure』を発売。
- 12月24日、1stソロ・ライブ『Tama/Great Pleasure Night』を新宿コマ劇場にて開催。
- 2006年
- 11月1日、1stシングル「Metal Cool」発売。
- 12月20日、『The songs for DEATH NOTE the movie 〜the Last name TRIBUTE〜』に参加。
- 2007年
- 2009年
- 2010年
- 3月31日、フリーウェイハイハイの3rd Album『君の好きな歌』にアレンジ・プロデュースで参加。
- 2019年
使用機材
楽器
- Fender Customshop 60's Jazz Bass /Dennis Galuszka (LPB)
- Fender Customshop Precision Bass /Jason Smith
- Fender Customshop Active Jazz Bass (NAT)
- Fender Custom Classic Jazz Bass V
アンプ
- Ampeg B-15R
- ^ (日本語) 自分のWikipediaを見てみました 2022年12月14日閲覧。
- ^ (日本語) 自分のWikipediaを見てみました 2022年12月14日閲覧。
- ^ “やなわらばー|アルバム『うりずんの歌』”. やなわらばー. 2019年3月15日閲覧。
- ^ “高田夏帆、広島コラボで歌手デビュー 編曲の元ポルノグラフィティ白玉雅己が久々露出”. ORICON NEWS (オリコン). (2019年3月15日) 2019年3月15日閲覧。
- ^ “Tama、1年ぶりのライブは未発表の新曲づくしスペシャルライブ”. BARKS (ジャパンミュージックネットワーク株式会社). (2006年12月9日) 2019年3月15日閲覧。
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