現代思想 大陸哲学

現代思想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 01:28 UTC 版)

大陸哲学

西欧マルクス主義

(左から順に)ホルクハイマーアドルノ。背後がハーバーマス

第二次世界大戦以後、世界は、アメリカ合衆国を中心とする西側世界と、ソビエト連邦共和国を中心とする東側世界に対立する冷戦時代に入っていった。このことは、西ドイツと東ドイツに分裂を余儀なくされたドイツの思想界に決定的な影響を与えた。西欧のマルクス主義者は、ソ連型のマルクス主義(マルクス・レーニン主義、その後継としてのスターリン主義)に対して、異論や批判的立場を持つ者も少なくなかったが、最初に西欧型のマルクス主義を提示したのは哲学者のルカーチだった。ドイツのフランクフルト学派と呼ばれるマルクス主義者たちは、アドルノホルクハイマーを筆頭に、ソ連型マルクス主義のみならず、西洋文明における伝統的理論を批判し、かかる理論が生み出した全体主義を批判する「批判理論」と呼ばれる新しいマルクス主義を展開した。これは、ヘーゲルの弁証法を基礎に、マルクス主義哲学と科学を統合し、非合理的な社会からの人間の解放を目指すというものであり、フロイトの精神分析を応用する。批判理論は、まず、デカルト的な主観・客観の二項対立を前提としている伝統的理論を批判する。このような対立図式は支配される客体としての自然を分析して観念する。そのため、学問は分析される対象ごとに分断され、専門家・技術化していくが、諸学問は、人間の解放を目指すという目的のため統合されなければならないのである。また、伝統理論は世界を支配される客体として自然の総体とみるため、現状追認のためのイデオロギーとして機能する。ゆえに、世界は、マルクス主義的な観点から、具体的な自然に対して労働を加えて作られたところの歴史的社会的なものの総体として把握されなければならない。さらに、批判理論はマルクス主義も批判する。魔術からの解放と合理化を目指した近代的な啓蒙の弁証法の起源は、マルクスが主張したような階級対立ではなく、人間と自然との生存を賭けた闘争である。したがって、伝統的な理論は信頼してきた理性は生に従属する道具的なものにすぎない。ゆえに、近代的な理性が伝統社会を全体主義に導いた真の犯人なのであるとする。

実存主義

サルトル

サルトル

フランス実存主義の祖サルトルは、主著『存在と無―現象学的存在論の試み』(1943年)において、今まさに生きている自分自身の存在である実存を中心とする存在論を展開した。サルトルの思想は、特に無神論的実存主義と呼ばれ、自身の講演「実存主義はヒューマニズムであるか」において、プラトン・アリストテレスに起源を有する「本質存在が事実存在に先立つ」という伝統的形而上学のテーゼを逆転して実存は本質に先立つと主張し、「人間は自由という刑に処せられている」と述べた。もし、すべてが無であり、その無から一切の万物を創造した神が存在するならば、神は神自身が創造するものが何であるかを、あらかじめわきまえている筈である。ならば、あらゆるものは現実に存在する前に、神によって先だって本質を決定されているということになる。この場合は、創造主である神が存在することが前提になっているので、「本質が存在に先立つ」ことになる。しかし、サルトルはそのような一切を創造する神がいないのだとしたらどうなるのか、と問う。創造の神が存在しないというならば、あらゆるものはその本質を(神に)決定されることがないまま、現実に存在してしまうことになる。この場合は、「実存が本質に先立つ」ことになり、これが人間の置かれている根本的な状況なのだとサルトルは主張するのである。サルトルにとって、現象学によって把握される即自存在と対自存在の唐突で無根拠な関係は、即時存在の幻影的な存在の根拠になっている。いずれにせよ、そこでは現象学に還元し得ない存在としての実存が問題にされている。

メルロ=ポンティ

メルロ=ポンティは、後期フッサールの生活世界に焦点を当てて、これを乗り越えようとした。彼は、『知覚の現象学』(1945年)において、知覚・身体を中心に据えて幻影肢の現象を分析し、自然主義と観念論を批判する。その前提となる、デカルト的なコギトにとって「私の身体」は世界の対象の一つであり、仮に、そのような前提が正しいとすれば、私の意識が、客観的にない脚に痒みを感じることはないはずである。彼は、デカルト的伝統を受け継ぐサルトルのように対自主体、即自客体を明確に二分することに誤りがあり、両者を不可分の融合的統一のうちにとらえられるべきであると主張する。主体でも客体でもあると同時に主体でも客体でもない裂開の中心である両義的な存在、それが身体である。生理的な反射でさえ、生きた身体が環境に対して有する全体的態度、意味の把握を伴うし、その全体性は決して私の反省的意識に還元し尽くされることはない。私と世界の間の身体による関係は、全体的な構造であるばかりでなく、時間的に発展する構造でもある。彼にとって即自存在と対自存在の対立は、以上のような構造を有する、より一層深い媒介の所産なのである。このようなメルロ=ポンティの身体論はフロイトと容易に結びつく。このような構造に関する理論が身体論に適用されるだけでなく、これを超えて社会と個人の関係に拡張されるまではそれほどの時間を要しなかったのである。

構造主義

(画像左)構造主義の先駆者とされるソシュール、(画像右)構造主義者の提唱者レヴィ=ストロース

『存在と無』によって、一躍時代の寵児となったサルトルは、その後、『弁証法的理性批判』(1960年)において、実存主義マルクス主義の内部に包摂することによって、史的唯物論を再構成し、ヘーゲル-マルクス的な歴史主義とデカルト-フッサール的な人間主義との統合を主張するようになったが、その後、サルトルとクロード・レヴィ=ストロースの論争をきっかけに、マルクスの上部構造 / 下部構造、生産力 / 生産関係といった構造的な諸概念が実体化されていること、また、デカルト-フッサール的な近代的な主体を思想の前提として実体視していることを批判し、構造主義が台頭するようになった。

ポスト構造主義・ポストモダニズム

リオタール

1966年、ストラスブール大学に端を発した学生運動はフランス全土に拡大し、いわゆる五月革命がおこると、あろうことか本来労働者の側にあるはずのフランス共産党 (PCF) がストライキを押さえ込み、当時の左翼文化人もこれを支持し、マルクス主義への民衆の幻滅を後押し、マルクス主義の頽落と共に近代的な主体という概念を前提に、積極的な政治参加を肯定したサルトルの実存主義も運命を共にすることとなった。五月革命の結果は、左翼勢力が民衆の支持を失い、保守勢力による安定的な政治・ハイテクを背景にした大量消費社会の実現を準備したのである。

そして、実存主義・マルクス主義を批判してきた構造主義にも批判が生じ始める。構造主義は、主体たる人間が無意識的に普遍的な構造に規定されていると主張し、現象の背後にある構造を分析することによって、あるシステムの内的文法をとりだすことができ、各システムはそれにしたがって作用する。そこでは、あらゆるものが予想可能になり、偶然性や創造性といったものが排除されてしまうのである。

いわゆるポスト構造主義の論者とされる者たちは、構造主義のもつ、構造を静的で普遍的なものとし、差異を排除する傾向に対して、それは西洋中心のロゴス中心主義であるとして異議を申し立てたのである。デリダによると人間が言葉(ロゴス)によって世界の全てを構造化できるという発想自体、実存主義・マルクス主義と同様に西欧形而上学から抜け出せておらず、構造主義によって形而上学を解体しようという試みもまた形而上学にすぎないと批判し、脱構築による階層的な二項対立を批評する。ミシェル・フーコーは、当初構造主義者とみられていたが、権力の構造を暴くことにより、西欧的な理性・絶対的な真理を否定していることから、ポスト構造主義者とみられるようになった。

そのような状況下において、リオタールは、『ポストモダンの条件』(1979年)を著したが、彼によれば、「ポストモダンとは大きな物語の終焉」なのであった。「ヘーゲル的なイデオロギー闘争の歴史が終わる」と言ったコジェーヴの強い影響を受けた考え方である。まさにマルクス主義のような壮大なイデオロギーの体系(大きな物語)は終わり、高度情報化社会においてはメディアによる記号・象徴の大量消費が行われる、とされた。この考え方に沿えば、“ポストモダン”とは、民主主義科学技術の発達による一つの帰結と言える、ということだった。

このような文脈における大きな物語、近代=モダンに特有の、あるいは少なくともそこにおいて顕著なものとなったものとして批判的に俎上に挙げられたものとしては、自立的な理性的主体という理念、整合的で網羅的な体系性、その等質的な還元主義的な要素、道具的理性による世界の抽象的な客体化、中心・周縁といった一面的な階層化など、合理的でヒエラルキー的な思考の態度に対する再考を中心としつつも、重点は論者によってさまざまであった。したがって、ポスト・モダニズムの内容も論者や文脈によってそうとう異なり、明確な定義はないといってよいが、それは近代的な主体を可能とした知、理性、ロゴスといった西洋に伝統的な概念に対する異議を含む、懐疑主義的、反基礎づけ主義的な思想ないし政治的運動というおおまかな特徴をもつということができる。その意味で単なる学説・思想ではなく、より実践的な意図をも包含するムーブメントといえるのである。それは左翼なき社会、大量消費社会において、自由と享楽を享受しながらも、反権力・反権威である続けるための終わりない逃走なのである。


注釈

  1. ^ 貫成人はニーチェ、マルクス、フロイトの3人を「現代思想の三統領(貫成人『図解雑学 哲学』ナツメ社、2001年8月30日、pp.126-127)」として紹介しており、湯浅赳男(『面白いほどよくわかる現代思想のすべて―人間の“知”の可能性と構想力を探る』日本文芸社、2003年1月、ISBN 978-4537251319)も同じ3人の影響を重要視している。今村仁司、三島憲一、鷲田清一、野家啓一、矢代梓らの共著(『現代思想の源流』講談社、2003年6月11日、ISBN 978-4062743518)ではニーチェ、マルクス、フロイト、フッサールの4人が取り上げられている。小阪修平は現代思想を取り扱ううえで前置きとしてニーチェ、フロイト、ソシュールについて述べている(小坂修平『図解雑学 現代思想』ナツメ社、2004年4月7日、ISBN 4-8163-3682-6)。

出典

  1. ^ "UNDERSTANDING QUINE'S THESES OF INDETERMINACY" by Nick Bostrom Retrieved September 7, 2009
  2. ^ Brian Leiter, "The last poll about philosophers for awhile--I promise!" [1] (March 7, 2009) and "So who *is* the most important philosopher of the past 200 years?" [2] (March 11, 2009), Leiter Reports: A Philosophy Blog.
  3. ^ 1982. Wittgenstein on Rules and Private Language: an Elementary Exposition. Cambridge, Mass.: Harvard University Press. ISBN 0-674-95401-7. Sets out his interpretation of Wittgenstein aka Kripkenstein.
  4. ^ "Let's Settle This Once and For All: Who Really Was the Greatest Philosopher of the 20th-Century?" Retrieved on July 29, 2009
  5. ^ "David K. Lewis" - Princeton University Department of Philosophy Retrieved on September 7, 2009
  6. ^ "Thomas Kuhn" at the SEP Retrieved on September 7, 2009
  7. ^ "Philosophy: John Rawls vs. Robert Nozick" Retrieved September 7, 2009
  8. ^ "Distributive Justice" at SEP Retrieved December 18, 2009
  9. ^ "Robert Nozick (1938-2002)" at the Internet Encyclopedia of Philosophy Retrieved September 7, 2009
  10. ^ "Robert Nozick" at IEP Retrieved January 5, 2010
  11. ^ "The Virtues of Alasdair MacIntyre"Retrieved on September 7, 2009
  12. ^ "Virtue Ethics" at SEP Retrieved on September 7, 2009
  13. ^ "Political Philosophy of Alasdair MacIntyre" at IEP.com Retrieved December 22, 2009






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