片野城 歴史

片野城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 02:53 UTC 版)

歴史

鎌倉時代文永年間(1264年-1275年)に小田氏の一族である八田(八代)将監が築城したとされる[2]。一方、南北朝時代に片野彦三郎親吉という者が居城して小田城つくば市)に滞在する北畠親房に従ったとする史料もある[3]

戦国時代には小田城を本拠地とする小田氏の支配下にあり、領国の北東に位置する最前線として府中城(石岡市)の大掾氏水戸城水戸市)の江戸氏に備えていた[2]。当時の城将として「加太野伊豆」「根小屋十六騎 上曽越後守」の名が江戸時代の史料に見える[4]

永禄7年(1564年)頃、佐竹氏が上曽氏の守る片野城を落とし、同9年(1566年)、客将の太田資正(元武蔵国岩槻城さいたま市岩槻区)城主)を片野城に入れた[2][注釈 2]。永禄12年(1569年)、小田氏が片野城および柿岡城(石岡市、城主は太田資正の次男梶原政景)を攻めたが、手這坂の戦いで真壁城桜川市)の真壁氏幹の援軍を得た資正に敗れた[4]。佐竹氏は小田城を奪って資正に与えたが、資正は小田城を梶原政景に譲って片野城に戻り、天正19年(1591年)、片野城で没した[2]

太田資正の後を継いだ太田資武結城秀康に仕えて片野城を去り、文禄4年(1595年)、佐竹氏領国内の配置替えにより、佐竹氏一門の石塚城(東茨城郡城里町)城主石塚義辰が片野9か村3776石に領土を移されて入城した。このとき、石塚氏の故地石塚村から菩提寺泰寧寺曹洞宗)と祈祷寺の浄瑠璃光寺真言宗)が城下の根小屋村に移され、城の守護神として佐竹氏の故地久慈郡佐竹郷(常陸太田市)から七代天神社が勧請された[2]

慶長7年(1602年)、佐竹氏は出羽国秋田に減転封となり、石塚氏もこれに従って片野城を去った[注釈 3]。佐竹氏の旧領を接収した徳川家康は、翌慶長8年(1603年)に関ヶ原の戦いで西軍について失領していた元織田信雄家老で豊臣秀吉御咄衆滝川雄利を召し出して新治郡21か村2万石を与え、片野城に入れた[2][3][注釈 4]

片野藩主となった滝川氏は前城主石塚氏が残した泰寧寺を菩提寺とし、七代天神社の社殿を造営して保護したが、寛永2年(1625年)、第2代藩主滝川正利が後を継ぐ男子がなく、病弱で勤仕に耐えないという理由で所領の返上を願い出て、所領2万石のうち1万8000石を収公の上、2000石(根小屋村、片野村および下林村の一部)を安堵されて旗本となった[2]。片野城が城郭としての機能を失った時期は不詳だが、片野藩の廃藩をもって廃城となったとされることもある[4][注釈 5]


注釈

  1. ^ 現在の茨城県石岡市片野は、片野城址のある同市根小屋と恋瀬川を挟んで西側の向かいの微高地に位置する。
  2. ^ 資正は前城主上曽氏の寡婦を後妻に迎えて人心の掌握をはかり[2]、また城下の八幡神社の「排禍ばやし」や七代天神社の「代々神楽」を奉納したと言われる[5]
  3. ^ 秋田移封は大幅な減封処分であったため、石塚氏の移転に際して多くの家臣が随行できずに召し放たれて根小屋村に土着したとされる[2]
  4. ^ 滝川氏は無城大名であるとして以後の片野城を「片野陣屋」として扱う説もある[2]
  5. ^ 旗本滝川氏は滝川正利の死後に娘婿となった滝川利貞が継承し、引き継ぎ片野城周辺を領して泰寧寺を菩提寺としている。滝川氏が片野を去ったのは元禄10年(1697年)、利貞の子の滝川利錦のときである[2]

出典

  1. ^ 市指定文化財”. 石岡市公式ホームページ. 2023年2月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 片野城址” (PDF). 東京航業研究所 (2006年). 2023年2月5日閲覧。
  3. ^ a b c 平井聖ほか 編『日本城郭大系』 4巻、新人物往来社、1979年、95-96頁。 
  4. ^ a b c d e f g 本間朋樹 著「片野城」、茨城城郭研究会 編『図説茨城の城郭』国書刊行会、2006年、122-123頁。 
  5. ^ 片野城址”. 石岡市公式ホームページ. 2023年2月5日閲覧。


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