本渓市 地理

本渓市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/26 10:05 UTC 版)

地理

本渓市は遼寧省東部、瀋陽市の南東、遼東半島の付け根の東経123度34分から125度46分、北緯40度49分から41度35分の範囲に位置する。市面積の八割以上が山地であり、特に市域東部の桓仁満族自治県は多様な生態系を誇る森林地帯となっている。本渓市中心部から省都の瀋陽までの距離は77km、炭鉱都市の撫順までは79kmである。北は撫順市に、北西は瀋陽市に、東は吉林省集安市・吉林省通化市に、南は丹東市に、西は遼陽市に接している。

市内には遼河の支流の太子河が流れているほか、市域内には市名の由来となった観光地の本渓湖があり、その水源は本渓水洞という鍾乳洞となっており曲がりくねった地中の川が数キロに渡って続いている。

温帯の大陸性気候に属し、夏は暑く冬は非常に寒い。

歴史

西側の本渓市街地と本渓県、東側の桓仁県は歴史を異にする。

本渓県は戦国時代には国の遼東郡に属したが、東部の桓仁県はその支配の外だった。代、三国時代、および西晋の時代も本渓市・本渓県は遼東郡襄平県に属している。

一方、前漢武帝の東方遠征により、桓仁県は楽浪郡などの四郡の一つ、玄菟郡に編入されていた。三国史記によれば、朱蒙扶余のもとを逃れ、紀元前37年に桓仁県の地にあった紇升骨城(卒本城、現在の五女山城)に至り高句麗を建国したとされる。

以後高句麗は勢力を強め、南北朝時代からまでの期間は本渓市域一帯が高句麗に征服された。が高句麗を倒して(唐の高句麗出兵)以降は安東都護府に属した。だが渤海が興って以降は桓仁県は渤海領となっている。909年本渓は契丹に占領され、その後代に入り本渓は当初は東平郡に属した。遼が渤海を滅ぼして以降はその故地は東丹国となり、次いで東京道に改称され、本渓は東京道遼陽府に、桓仁は東京道鴨緑府に属した。以後、代までこの地は遼陽州・興京撫民庁・鳳凰庁などに置かれた役所の管轄下にあり、1906年に本渓県が誕生するまでは奉天府遼陽州などに分かれて属していた。桓仁は清の康熙帝の時代以降封禁地となったが、19世紀後半から懐仁県が置かれその一部となっている。1914年中華民国は本渓県と桓仁県(懐仁県を改称)を奉天省のもとに置いた。

本渓が沙河会戦などの戦地となった日露戦争後、日本南満洲鉄道とその周囲の鉄道付属地の利権をロシアから譲り受け、満洲一帯での鉄道開発と沿線の資源開発を進めた。奉天(瀋陽)と安東(丹東)、そして朝鮮を結ぶ安奉鉄道(現在の瀋丹鉄道)の沿線にあった本渓周辺はその付属地(満鉄附属地)として、満鉄による治外法権的な統治がなされ、本渓湖炭鉱など日系資本による石炭・山林開発が行われ重工業化が進み人が集まり始めた。特に大倉喜八郎はこの地での日中共同事業に熱を入れ、大倉組は本渓湖煤鉄有限公司など石炭採掘・製鉄などのコンビナートを作り上げた。満洲事変、そして満洲国建国後、1937年の街制施行により、本渓県の所在地だった本渓湖は本渓湖街に、1939年には本渓湖市(ほんげいこし)が成立した。

日本の敗戦後、当初は中国共産党軍が制圧し本渓市を置いたが、中国国民党軍の反攻でまた本渓湖市となった。1948年、共産党が本渓市を再度制圧、本渓市・本渓県・桓仁県は遼東省の管轄になった。中国東北部の重要な工業基地である本渓市は、東北部の他の工業都市同様、中華人民共和国成立後の1949年から東北人民政府(1952年より、東北人民委員会)の直属都市となり、1953年には中央直轄市となったが、1954年に遼寧省に統合された。

産業

本渓は製鉄の街である。本渓鋼鉄が中心になっているが、現在は老朽化が否めない。製鉄業の他、冶金、石油化学、紡織、服装、発電などの産業がある。

またとうもろこし野菜の栽培、養豚など農業・畜産業のほか、山林資源が豊富で、満州国時代に植林されたチョウセンマツの人工林が中華人民共和国時代に拡大され、品質の良い木材を生み林業研究に使われる中国有数の規模の人工林になっている。




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