方天 方天の概要

方天

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 09:51 UTC 版)

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方天
プロフィール
出生: 1902年7月9日
光緒28年6月初5日)
死去: 1991年民国80年)4月24日
 台湾台北市
出身地: 江西省贛州府贛県
職業: 軍人
各種表記
繁体字 方天
簡体字 方天
拼音 Fāng Tiān
和名表記: ほう てん
発音転記: ファン ティエン
ラテン字 Fang T'ien
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事跡

省立贛州第四中学を卒業後、1924年民国13年)に黄埔軍官学校第2期工兵科に入学し、翌年卒業した。卒業前後から第1次・第2次東征(陳炯明討伐)や劉震寰楊希閔討伐に従軍している。その後国民革命軍に加入し、北伐にも従軍した。

1929年(民国18年)1月、方天は第3師特別党部執行委員に就任した。1930年(民国19年)に第18軍第14師第81団団長に昇進し(第18軍軍長は陳誠)、同年冬から陸軍大学正則班第11期生となる。在学中の1934年(民国23年)2月に陸軍大学特別党部第1期監察委員候補を務め、翌年に卒業した。1936年(民国25年)、方天は第14師第40旅旅長に昇進し、さらに広東省に移駐して第18軍軍士教導総隊総隊長を兼任している。翌年5月、陸軍少将銜を授与され、第11師副師長に昇進した。

日中戦争(抗日戦争)が勃発すると、方天は上海方面での日本軍迎撃に参加した。1938年(民国27年)夏、第185師師長に昇進し、武漢防衛戦(日本側呼称:武漢作戦)に参戦している。さらに1940年(民国29年)5月、棗宜会戦(日本側呼称:宜昌作戦)に参戦し、同年12月には第18軍軍長兼宜巴要塞区守備司令に昇進した。1943年(民国32年)5月、鄂西会戦(日本側呼称:江南殲滅作戦)に参戦し、同年8月には昆明に移駐して第54軍軍長となった。9月には第11集団軍副総司令も兼ねている。1944年(民国33年)4月、第20集団軍副総司令に移る。同年8月には国民政府軍政部軍務司司長に任ぜられ、翌年1月、軍政部軍務署署長となった。

1946年(民国35年)6月、方天は国防部第5庁庁長に任ぜられ、国民革命軍の編制・装備・訓練を主管した。同年11月、参謀次長代理に任ぜられ、さらに翌1947年(民国36年)4月には参謀次長に正式に任ぜられ、参謀部長陳誠を補佐している。1948年(民国37年)8月、国防部中央訓練団第1陸軍訓練処処長に任ぜられ、9月には長沙綏靖公署副主任を兼任、陸軍中将銜を授与された。1949年(民国38年)1月、江西省政府主席兼江西綏靖公署主任に任ぜられる。6月には贛州指揮所主任、8月には華中軍政長官公署政務委員会委員も兼任した。同年末、国共内戦での完全な敗北が決まり、台湾に逃亡している。

台湾での方天は、台湾革命実践研究院第25期を受講し、その後、総統府戦略顧問委員会委員、国防部参議を歴任した。1964年(民国53年)8月、国防会議動員計画局副局長に任ぜられ、1967年(民国56年)3月には国家安全会議国家総動員委員会副主任を務めた。中国国民党でも第11期から第13期の中央評議委員会委員を務め、また、国民大会代表にもなっている。

1991年(民国80年)4月24日台北市にて死去。享年90(満88歳)。

参考文献

  • 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0
  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1
  中華民国 (国民政府)国民政府
先代:
胡家鳳
江西省政府主席
1949年1月 - 12月?
次代:
(廃止)



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