小虫神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/09 22:15 UTC 版)
社殿
本殿は明治10年の再建で、神明造であるが、桁行が正面を3間、背面を2間とし(梁間は2間)、縁も脇障子を設けて背部は省略するなどやや変則的な造作となっている。また、棟持柱は掘立式であるが他の柱は八角形の礎石上に立つ。屋根は銅板葺で千木・鰹木を飾るが、茅葺であった可能性もあるという[12]。拝殿は桁行3間、梁間2間の入母屋造平入で銅板葺。他に舞殿などがある。
境内社
若宮神社(祭神、由緒不詳)、小森神社(同左)、猫宮社(同左)
参考文献
- 加悦町誌編さん委員会編『加悦町誌』、加悦町役場、昭和49年
- 加悦町史編纂委員会編『加悦町史 資料編』第1巻、同第2巻、与謝野町役場、平成19年(第1巻)、平成20年(第2巻)
- 式内社研究會編『式内社調査報告 第18巻山陰道1』、皇學館大學出版部、昭和59年
- 谷川健一編『日本の神々-神社と聖地』第7巻山陰《新装復刊》、白水社、平成12年 ISBN 978-4-560-02507-9(初版は昭和60年)
外部リンク
- 小虫神社(國學院大學21世紀COEプログラム、「神道・神社史料集成」)
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- ^ 『加悦町史 資料編』第1巻所収。
- ^ 『加悦町誌』。なお、現鎮座地「温江(あつえ・あちえ)」ついて、邨岡良弼の『日本地理志料』は「あつゆ」が転じたもので、古く温泉(熱つ湯)が湧いたことに因むと説き、吉田東伍『大日本地名辞書』も温泉に因むものであろうが、明治の時点(『大日本地名辞書』は明治33年刊)で鉱泉の湧くのを見ないため、古く湮滅したものであろうか、と説く。
- ^ {{{10}}}
- ^ 『式内社調査報告』。
- ^ 明治16年調『与謝郡神社明細帳』。
- ^ a b 『加悦町誌』。
- ^ 現存『丹後国神名帳』は福知山市大江町南山の室尾谷山観音寺に伝わり、書写本であるが原本は元亀3年(1572年)の筆になる。同寺の修正会において奉唱された勧請神名帳であるが、丹後の国内神名帳に起源を持つとされる(三橋健『国内神名帳の研究 論考編』、おうふう、平成11年)。
- ^ 『加悦町誌』。旧鎮座地には「御手洗ノ池」が残されているという。
- ^ 『日本の神々』、『京都府の地名』。
- ^ 『式内社調査報告』、『日本の神々』。また、遺称地が存しないために所在は不明であるが、駅馬5匹の用意が規定されていた勾金(まがりかね)駅(『延喜兵部省式』)も置かれていたという(『京都府の地名』)。
- ^ {{{10}}}
- ^ 『加悦町史 資料編』第1巻。
固有名詞の分類
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