将棋日本シリーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 23:56 UTC 版)
エピソード
- 生涯最期の勝利(第13回)
- 大山康晴は、1992年6月14日に香川県高松市民会館で行われた1回戦・小林健二との対戦に147手で勝利。これが大山にとっては公式戦通算1433勝・最期の勝利となり[注 2]、1ヶ月後の7月26日に69歳で逝去した。2回戦で羽生善治との対戦予定が組まれていたが、羽生の不戦勝扱いとなった。
- 無冠のC級棋士が3連覇(第14回 - 第16回)
- 郷田真隆は、1992年、四段でタイトル(王位)獲得という究極の最低段記録を成し遂げ、翌年の第14回大会(1993年)に初出場。しかも優勝してしまう。決勝戦の前に王位を失冠し「郷田五段」となっていた。翌年の第15期は前回優勝者(第1シード)として出場し、これまた優勝。続く第16期も同様に優勝し、本棋戦史上初の3連覇を果たした。郷田は長考派として知られていたが、早指し将棋でも強いことを見せつけた。
- 災害などで異例の中止(第27回・第32回・第37回)
- 2006年9月17日に福岡市で開催予定の第27回2回戦・森内俊之名人対三浦弘行八段戦は、台風13号の影響により大会史上初の公開対局中止・延期になった。代替として同月20日に東京・将棋会館で非公開で対局されたが、ファンサービスのため、インターネット中継を行う措置がされた。
- 2011年6月4日に仙台市で予定されていた第32回1回戦第1局の深浦康市九段対佐藤康光九段戦は東日本大震災の影響で中止となり、対局は同日に東京・将棋会館で先述と同じく非公開対局・インターネット中継を行う措置が行われた。
- 2016年7月9日に熊本県益城町で予定されていた第37回1回戦第2局の深浦康市九段対行方尚史八段戦も熊本地震の影響で中止となり、同様に対局は同日に東京・将棋会館で先述と同じく非公開対局とし、インターネット中継が行われた。なお大会後の11月には「テーブルマークこども大会」応援大会として宇土シティホールで開催された。
- 決勝戦が同門対決(第29回)
- 森下卓が決勝戦で深浦康市を破って優勝したが、森下と深浦は共に花村元司の門下で同門であった。決勝戦が同門対決となった唯一の事例である。
- 新型インフルエンザ感染の疑いによる出場停止(第30回)
- 2009年9月12日に福岡市で開催予定の第30回2回戦に出場予定であった渡辺明が、新型インフルエンザに罹患している可能性があるとして、欠場する旨が日本将棋連盟から発表された(9月8日)[5]。妻の伊奈めぐみ(詰将棋作家・漫画家)が感染・発症したため[6]、同居人=濃厚接触者である渡辺本人が感染してい(て来場者への三次感染を誘発す)る可能性を否定できないためであった。代わって、前年の獲得賞金・対局料ランキング13位の谷川浩司が繰上げ出場となったが、谷川はそのチャンスを生かして優勝し、同棋戦の最多優勝記録を6に更新した。谷川は優勝後のインタビューで「本来、出場できる立場ではなかった」とし、優勝賞金を小学生への普及のために使ってほしい(寄付する)との旨を語った[7][6]。結果的に渡辺は発症せず、さらに対局当日の時点では伊奈も全快していた。渡辺は『週刊将棋』による取材の中で「今後は棋士が安心して自己申告できるような規定の整備が急務ではないか」と、現行の対応を非難するコメントをしている。
- ギネス世界記録認定(第33回)
- 第33回より「テーブルマークこども大会」となったこども大会では、2012年11月18日に東京ビッグサイトにて開催された東京大会において1574局が同時に開催され、「同時に1カ所で行われた将棋の対局数ナンバーワン」として当時のギネス世界記録に認定された[8]。
- なお2018年10月14日に山形県天童市で開催されたイベントにおいて2362局が開催されたことにより、記録は破られている[9]。
- 本棋戦史上初の持将棋が成立(第36回)
- 2015年9月5日に広島グリーンアリーナで開催された第36回2回戦・渡辺明対行方尚史戦では、本棋戦史上最長の297手を記録したうえ、本棋戦史上初の持将棋となった。直後に指し直し局が行われ、渡辺が勝利した。渡辺は帰りの飛行機をキャンセルせざるを得なくなり、東京へ向かう最終の新幹線で戻ったという。[10]
- 竜王戦挑戦者決定戦勝者の連続出場がストップ(第39回)
- 出場条件が獲得賞金ランキングに変わってから竜王戦挑戦者決定戦勝者は翌々年の将棋日本シリーズに毎回出場してきたが、第29期竜王戦挑戦者決定戦勝者の三浦弘行が第39回に出場できなかったことで連続出場が途絶えた。
- こども大会からプロ公式戦へ(第39回・第40回・第42回)
- 王位獲得により第39回のプロ公式戦への出場権を得た菅井竜也は、プロ入り前にこども大会での優勝を経験しているが、「こども大会での優勝経験者がプロ公式戦に出場する」のは初の例となる[11]。
- また、第40回初出場の斎藤慎太郎と藤井聡太、第42回初出場の千田翔太もこども大会の優勝を経験している[12][13][14]。なお、第40回の藤井はプロ公式戦史上最年少の出場も果たしている。
- 新型コロナウイルスの影響(第41・42回)
- 2020年の第41回は、新型コロナウイルスの影響で全地区のこども大会を中止。プロ公式戦の対局はChateau Amebaで非公開で行い、決勝まで全局をABEMAで生配信した。2021年の第42回でも岡山市で2021年6月12日に予定されていた1回戦第1局の広瀬章人八段対丸山忠久九段戦[15]、札幌市で2021年8月28日に予定されていた1回戦第4局の羽生善治九段 対 千田翔太七段[16]、2回戦の4局全て(新潟・熊本[17]・静岡・香川)で同様の措置がとられた。
- こども大会優勝経験者同士による初の決勝戦(第43回)
- 2022年の第43回は、前述の通りこども大会優勝経験者である斎藤慎太郎と藤井聡太による決勝戦が行われた。藤井が勝利し、最年少優勝(20歳4カ月)を果たした。
注釈
出典
- ^ a b 河北新報社、熊本日日新聞、西日本新聞社、静岡新聞・静岡放送、北海道新聞社、新潟日報、四国新聞、山陽新聞、中日新聞社、北國新聞、中国新聞社
- ^ a b c d “JTプロ公式戦について | 将棋日本シリーズ | JTウェブサイト”. 将棋日本シリーズ. 2019年2月8日閲覧。
- ^ 9月。 - 渡辺明ブログ・2013年9月7日
- ^ 段ボール - 妻の小言。・2015年9月22日
- ^ “JT将棋日本シリーズ福岡大会 出場棋士の変更について|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2019年2月8日閲覧。
- ^ a b 『将棋の渡辺くん』(伊奈めぐみ著、講談社)第2巻・p.53
- ^ 2009年11月28日放送の「囲碁・将棋ジャーナル」
- ^ 同時に1574局、ギネス世界記録達成! - 日本将棋連盟公式サイト、2012年11月19日
- ^ 二千局盤来2018 - 天童市、2019年1月7日閲覧
- ^ 将棋の渡辺くん 第2巻 109pより
- ^ 菅井竜也(プロ) 日本たばこ産業、2018年5月12日閲覧。
- ^ テーブルマークこども大会OB紹介 日本たばこ産業、2019年4月19日閲覧。
- ^ 藤井聡太七段がJT杯初出場 産経新聞、2019年4月19日。
- ^ 千田翔太七段、JT杯初陣を飾る!次戦は四国大会(9月25日)で藤井聡太二冠と対戦!。 - 時事ドットコムニュース(2021年8月29日)
- ^ 公益社団法⼈ ⽇本将棋連盟 (2021年5月31日). “2021年「将棋⽇本シリーズ」中国⼤会 中⽌のお知らせ”. JT. 2021年6月6日閲覧。
- ^ 公益社団法⼈ ⽇本将棋連盟 (2021年8月26日). “2021年「将棋⽇本シリーズ」北海道⼤会 中⽌のお知らせ”. JT. 2021年8月26日閲覧。
- ^ 公益社団法⼈ ⽇本将棋連盟 (2021年9月1日). “2021年「将棋⽇本シリーズ」信越・北陸大会/熊本大会 中止のお知らせ”. 日本将棋連盟. 2021年9月1日閲覧。
- ^ JT将棋日本シリーズ(非タイトル) 将棋タイトル戦、2018年10月25日閲覧。
- 将棋日本シリーズのページへのリンク