刑務所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/21 14:45 UTC 版)
歴史
刑罰としての拘禁は13世紀ころから用いられるようになり[注釈 1]、宗教裁判の広がりと共に頻繁に行われるようになったが、その当時は修道院などを一時的に使用する場合が多く、刑務所、あるいは牢獄といえば裁判を待つ未決囚や執行を待つ死刑囚などを拘禁する場所を指した。当初は長期の拘禁を予定していなかったため、裁判所庁舎などの地下などに簡易的につくられた非衛生的なものが多かった。
現代の刑務所に相当する施設は16世紀ごろから出現したとされるイギリスの懲治場制度である[2]。ロンドンのブライトウェル宮殿やロンドン塔、アムステルダムの懲治場、バスティーユの城塞を使用したものなどが代表的である。やがて、軽罪者らの罰金や債務支払いを強制するための身柄拘束施設としての役割も持ち始め、牢獄などと融合しつつ刑事施設化していった。また、死刑の縮小に伴い広がっていたガレー船漕奴刑や植民地流刑は、18世紀ころには、植民地の独立や帆船の出現など社会情勢の変化と共に衰退していき、受刑者の拘禁施設の建設の必要性が高まっていった。このころの刑務所は、1703年に教皇クレメンス11世がホスピス・救貧院・刑務所複合施設としたサンミケーレ感化院など一部の例外を除き、非衛生的で悪弊に富んでいたため、受刑者の人権を確保するための運動が行われるようになった。有名な運動家としてジョン・ハワードなどが挙げられる[3]。
19世紀に入ると自由を奪う自由刑が刑罰の中心に座るようになり、各地で本格的な刑務所の建設が行われた。主な刑務所の制度としてはオーバーン制(独居拘禁制)とペンシルベニア制(共同拘禁制)の2種類があり[4]、アメリカ合衆国ではオーバーン制が、ヨーロッパではペンシルベニア制が採用され広まった。やがて、所内に近代的な工場を持つものや、金網のフェンスのみでコンクリート塀のないもの、高層ビルディング形式のものなど、監獄のイメージを払拭するような刑務所も誕生していった。
第二次世界大戦後、国際連合は刑務所全般の非衛生的環境、非人間的な強制労働、奴隷的な待遇の改善のために『国連被拘禁者待遇最低基準』を採択した。これは1957年7月31日に承認され、改めて改訂案が1977年5月13日に国際連合経済社会理事会の会合で、2015年12月17日には更なる人道的配慮に踏み込んだ改定案「マンデラ・ルール」が国連に承認された[5]。また、国連薬物犯罪事務所は障害者、とりわけ精神障害者、社会的少数者を始めとした特別な配慮が必要な社会的弱者の人道的配慮のために、国際人道法、国際人権条約や文書を踏まえた『手引書』を作成した[6]。
日本においては、1778年に始まった「鉱山役夫」の制度として、無罪の無宿者に始まり、その後は様々な罪から佐渡金山の水替え人足として使役されるようになる。1790年に人足寄場が江戸の石川島(加役方人足寄場)、佃島に設けられ、わた細工、炭団造り、大工・左官、油絞り、殻灰製造などの作業に従事させ、得られた賃金の一部は官によって強制的に貯められて収容者が出所後の生業復興資金とされた[2][7]。
- 歴史的な更生施設・拘置施設
- 伝馬町牢屋敷、揚座敷
- 女牢 ‐ 江戸時代。
- 懲治場(House of correction)
- アムステルダム男性懲治場(Rasphuis)
- アムステルダム女性懲治場(Spinhuis) - 軽犯罪者の女性の就労支援として、紡績(Spin)が行われていたことから。
- アノーシャボード? - 忘却の城の意。サーサーン朝ペルシャで存在を忘却されるべき人々(王室や政治犯など)が捕らえられ、場所さえも忘却されるべきとされた。
注釈
出典
- ^ a b “法務省:刑事施設(刑務所・少年刑務所・拘置所)”. www.moj.go.jp. 2022年5月29日閲覧。
- ^ a b c 岩井, 宜子「日本の矯正」2016年12月20日、doi:10.34360/00004026。
- ^ 『監獄ビジネス』51-52頁。
- ^ 『監獄ビジネス』46-47頁。
- ^ Standard Minimum Rule for the Treatment of Prisoners
- ^ Handbook on prisoner with special needs
- ^ 人足寄場. コトバンクより。
- ^ “California Prison Reform and Rehabilitation”. California Department of Corrections and Rehabilitation. 2011年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月9日閲覧。
- ^ 鄧翼群 『女子監獄』日閲堂、2011年、ISBN 9888134434, 9789888134434
- ^ 『監獄ビジネス』146-147頁。
- ^ a b 菊田幸一・海渡雄一 編『刑務所改革 - 刑務所システム再構築への指針』日本評論社、2007年、P.271
- ^ a b 菊田幸一・海渡雄一 編『刑務所改革 - 刑務所システム再構築への指針』日本評論社、2007年、P.276
- ^ ““塀のない刑務所”はアメリカにもあった!脱走者ゼロの理由は「ショック」療法”. FNN PRIME (2018年4月17日). 2019年7月20日閲覧。
- ^ a b 菊田幸一・海渡雄一 編『刑務所改革 - 刑務所システム再構築への指針』日本評論社、2007年、P.293
- ^ “エルサルバドル、ギャング組織別の収監を廃止 暴力沙汰への懸念も”. AFP (2020年4月27日). 2024年6月13日閲覧。
- ^ “ズラリと並んだギャング2000人がお引っ越し…収容人数4万の巨大刑務所 ナイフ・フォークはNGで食事は手づかみ”. FNN (2024年6月13日). 2024年6月13日閲覧。
- ^ “ギャング2000人到着、「米州最大」刑務所に第2陣 エルサルバドル”. AFP (2023年3月16日). 2024年6月13日閲覧。
- ^ a b マット・リドレー『進化は万能である: 人類・テクノロジー・宇宙の未来』大田 直子, 鍛原 多惠子, 柴田 裕之, 吉田 三知世訳 早川書房 2016 ISBN 9784152096371 pp.311-313.
- ^ 『監獄ビジネス』113-122頁。
- ^ 国立国会図書館. “ドイツの宮殿内に監獄のようなものがあったのか,あったとすればどのようなものか知りたい。”. 2022年5月28日閲覧。
- ^ Degenhardt, Stephan (2013年12月3日). “Disused Prisons in Germany Turned into Hotels and Apartments” (英語). Der Spiegel. 2022年5月29日閲覧。
- ^ “アメリカの刑務所、保護施設の猫を預かり受刑者らの更生に役立てるプログラムを導入”. カラパイア. 2024年1月2日閲覧。
- ^ Erb, Jordan. “Behind prison walls, cats and inmates rehabilitate each other through animal care program” (英語). The Indianapolis Star. 2024年1月2日閲覧。
- ^ “受刑者たちが「犬と二人三脚」で自信を取り戻す─刑務所内の“犬の訓練士養成プログラム”に潜入”. クーリエ・ジャポン (2020年5月25日). 2024年1月2日閲覧。
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