中国人民銀行 中国人民銀行の概要

中国人民銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/24 04:33 UTC 版)

中国人民銀行
中国人民银行 (簡体字)
本店 北京市西城区成方街32号
位置 北緯39度54分28.9秒 東経116度21分36.3秒 / 北緯39.908028度 東経116.360083度 / 39.908028; 116.360083
設立 1948年12月1日
総裁 潘功勝中国語版
中国
通貨 人民元
CNY (ISO 4217)
前身 華北銀行・北海銀行・西北農民銀行
ウェブサイト www.pbc.gov.cn

沿革

設立

戦時中に中国共産党の革命根拠地にあった「華北銀行」(河北省石家荘)、「北海銀行」(山東省済南)、「西北農民銀行」(陝西省延安)の3行を合併させて、1948年12月1日に「中国人民銀行」が設置された。[1]。12年間続いたハイパーインフレーション下にあり、例えば上海では1949年6月から1950年2月までの間に卸売物価指数は約21倍となるなど、経済がほぼ崩壊した中での創設だった[1][2]。中国人民銀行は、政務院(国務院の前身)の直属部門として財政経済委員会の指導下で、新しく国民経済体制を支える金融体制を構築することになった[1]。まず、同行は各地に支店を開設し、国家銀行の体制を作った。既存の金融機関に対しては、外国銀行の場合はその特権を取消し、大手官僚資本銀行の場合は、その管理を引き受けることとした[1]。市中銀行は同行の管理下に入り、最終的には同行の一部になった[1][3]。同行は通貨を発行できる唯一の機関であり、発行準備は(ゴールド、金本位制)ではなく、国家の保有する物資とした[4]。このことは、実際に供給できる価値以上に紙幣を発行しないことを意味し、それによって貨幣価値を保とうとしたのである[4]。同行は中国での外貨の流通を禁止し、流通通貨を「人民元」に統一した[4]。「人民元」の価値を安定させるため、政府は物価連動型国債を発行し、同行も物価連動型の預金商品を開発して資金を集めた[4]

1949年から1952年の3年間の経済回復期が終わった頃、同行は中国各地にある支店ネットワークを通じて資金を吸収する体制をほぼ整えた[4]。同行は預金以外に、貸出、送金、外国為替などの銀行業務も行っていた[4]。これが、中国建国後から改革開放までの約30年間続いた同行による「大一統」体制(単一銀行体制)の確立であった[3][4]。この体制下のもとで同行は中央銀行であると同時に一般銀行業務を行う国内唯一の銀行だった[3][4]。中国全土の銀行窓口が中国人民銀行の組織で、機能によって本店、支店、分支店、事務所、貯蓄所などに分かれていた[4]

財務部統合

1966年文化大革命が起きると極左思想の影響で、商品と貨幣の存在が否定され、銀行運営は大打撃を受けた[5]

1967年1月中央政府は銀行資金の管理について通達を出し、同行に対しても、あらゆる国家機関、国営企業、事業体からの支払い要求に対して、国家規定に沿うものでなければ一切支払わないように命ぜられた[5]

1968年に国務院が、財政の安定のために同行の預金凍結を命じた。翌1969年には同行は国務院財政部に併合され、各地にあった同行の支店や事務所も各地方の財政部門に統合された[5]。同行は独立性を失い、財政部門と計画経済部門の記帳係と出納係となった[3][5]。この状態は文化大革命の終結まで続いた[3][5]

改革開放路線と再設立

1978年12月18日、中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議で中国の改革開放政策路線を確立した[6]。会議では、それまでの政治的階級闘争を最優先課題とする考えに終止符を打ち、「社会主義現代化建設」、つまり国家の経済建設を仕事の中心とする戦略を決定した[6]。金融改革は会議の最重要課題のひとつで、その中でも中央銀行の確立が急務となった[6][7]

1979年1月4日に鄧小平が、「今の銀行は勘定計算と会計のことしかやっていない[6]。本当の銀行の機能を果たしていない。銀行は経済発展と技術革新のテコとなるべきだ」と述べ、金融改革の基本方針が示された[6]。同年、同行から中国農業銀行中国銀行と中国人民建設銀行(現;中国建設銀行)が分離され、それぞれ国務院直属の国有専業銀行とした[6][7]。具体的には、同年2月に国務院が「中国農業銀行の回復に関する通知」を公布し、中国農業銀行が分離され、農村改革を支援する業務を担当することになった[6]。同年3月に国務院は中国銀行の分離を決定し、外国為替業務を担当させた[6]。さらに、同年8月には、中国人民建設銀行が分離され、主に長期建設資金業務を担当するようになった。

1982年7月、国務院は同行の位置付けを「中国の中央銀行であり、国務院指導下の全国組織を統一管理する国家機関である」とする文書を出し、翌1983年9月17日には、同じく国務院が『中国人民銀行が中央銀行機能を専門的に行使することに関する決定』を公布した[6]。これにより、1984年1月1日より同行が中国の中央銀行の機能を専管的に行使することになり、中国の新しい中央銀行体制がスタートした[6][7]。これと同時に、それまで同行が兼ねていた一般銀行業務を、新たに設けた中国工商銀行に引き継がせた[6]

1993年7月、国務院常務副総理朱鎔基が当時の行長である李貴鮮を解任して自ら兼務して改革を断行した[8]1995年には全国人民代表大会が「中華人民共和国中国人民銀行法」を制定して、財政部からの独立性が確保され、中央銀行機能に特化することが規定された[9][10]。しかし、あくまで国務院に帰属して指導を受けるために独立した金融政策為替政策の判断はできない同行は政府の意向を受けて為替操作を行ってきたとも評され[11][12][13]2008年世界金融危機の際には当時の行長である周小川の反対を押し退けて国務院副総理王岐山の指示に従って大規模な金融緩和を実行している[14][15][16]

2014年から同行はドル決済への依存や流通コストの軽減とマネーサプライの管理および消費行動の監視強化を目的に中央銀行デジタル通貨の開発を世界に先駆けて始めた中央銀行の1つであり[17][18]2020年10月から同行は深圳市において行った1000万人民元相当のデジタル人民元を発行する初の公開実験を皮切りに利用を拡大させ[19]、中国は主要国では初めて中銀デジタル通貨を普及させた国となった[20]

法規

「中華人民共和国中国人民銀行法」によって規定され設置されている。8章53条から構成され、1995年3月の第八期全国人民代表大会で採択された。その後2003年12月の第十期全国人民代表大会で一部改正されている。


  1. ^ a b c d e 張(2012年)3ページ
  2. ^ 天児(2013年)30ページ
  3. ^ a b c d e 大西(2003年)72ページ
  4. ^ a b c d e f g h i 張(2012年)4ページ
  5. ^ a b c d e 張(2012年)5ページ
  6. ^ a b c d e f g h i j k 張(2012年)6ページ
  7. ^ a b c 大西(2003年)73ページ
  8. ^ China Pulls Hard on Reins To Slow Runaway Inflation” (1993年7月14日). 2019年11月3日閲覧。
  9. ^ 張(2012年)7ページ
  10. ^ 大西(2003年)75ページ
  11. ^ トランプ氏、利下げしない米金融当局は「有害」と非難再開” (2019年6月10日). 2019年11月3日閲覧。
  12. ^ ほかの中銀と真逆に進む中国人民銀行(The Economist)”. 日本経済新聞 (2020年8月30日). 2020年10月24日閲覧。
  13. ^ 「為替操作国」に認定された中国”. 経済産業研究所 (2019年8月22日). 2020年10月24日閲覧。
  14. ^ 張秋華著・太田康夫監修『中国の金融システム 貨幣政策、資本市場、金融セクター』8頁(2011年)日本経済新聞出版社
  15. ^ “中国は金融政策をシフトすべき─人民銀行高官=新聞”. ロイター. (2010年11月14日). https://www.reuters.com/article/idJPJAPAN-18181320101115 2020年10月24日閲覧。 
  16. ^ “王岐山副首相、共産党規律委トップに 経済担当外れる”. 日本経済新聞. (2012年11月14日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM14037_U2A111C1000000/ 2019年11月3日閲覧。 
  17. ^ 情報BOX:先頭を走る中国のデジタル人民元、仕組みと狙い”. ロイター (2020年10月20日). 2020年10月21日閲覧。
  18. ^ 中国、仮想通貨の利権譲らず 「競合打倒」 人民銀、実用化に本腰”. フジサンケイ ビジネスアイ (2017年2月25日). 2017年6月19日閲覧。
  19. ^ 中国、1000万元相当のデジタル通貨発行へ 初の公開テスト実施”. ロイター (2020年10月10日). 2020年10月11日閲覧。
  20. ^ デジタル法定通貨つくり出した中国 主要国で初”. ウォール・ストリート・ジャーナル (2021年4月6日). 2021年4月20日閲覧。
  21. ^ a b 張(2012年)9ページ
  22. ^ 唐(2012年)63-65ページ
  23. ^ a b c 張(2012年)10ページ
  24. ^ 張(2012年)12ページ


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