下河原線 下河原線の概要

下河原線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 22:06 UTC 版)

下河原線
廃線跡の下河原緑道
基本情報
日本
所在地 東京都
起点 国分寺駅北府中駅
終点 東京競馬場前駅下河原駅
駅数 4駅
開業 1920年5月26日(国鉄線として)
廃止 1976年9月20日
所有者 日本国有鉄道(国鉄)
運営者 日本国有鉄道
路線諸元
路線距離 5.6 km(国分寺駅-東京競馬場前駅間)
3.8 km(北府中駅-下河原駅間)
軌間 1,067 mm狭軌
電化方式 直流1,500 V 架空電車線方式(国分寺駅-東京競馬場前駅間)[1]
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停車場・施設・接続路線(廃止当時)
中央本線
西武多摩湖線
0.0 国分寺駅
西武:国分寺線
中央鉄道学園
中央本線
武蔵野線
3.3
0.0*
北府中駅
京王線
南武線
府中本町駅
5.6 東京競馬場前駅
南武線・武蔵野線
3.8* 下河原駅

1973年昭和48年)4月1日に開業した武蔵野線とルートが重複するため、その前日の3月31日を最後に旅客営業を終え[2]、貨物線も1976年(昭和51年)に廃止された[3]

歴史

多摩川砂利を運搬する目的で1910年に「東京砂利鉄道」として開業した。現在の東京都国分寺市と府中市の市域を通っており、府中市にとっては最初の鉄道路線であった。1920年、鉄道省が東京砂利鉄道を買収し、採取した砂利を神田駅-上野駅間の高架鉄道建設に使用した[4][5]。1921年に一旦営業廃止され、国分寺駅の構内扱いとなったが、1933年に東京競馬場が開設されたことから翌年、同競馬場アクセスのために東京競馬場前駅を建設の上、旅客線として営業再開。その後、残部も貨物線として営業再開された。

終点の東京競馬場前駅は南武線府中本町駅の南方200m程の場所に位置していた。

武蔵野線を建設するにあたって、当線に沿って建設することに決まり、武蔵野線にその機能を譲る形で国分寺駅 - 東京競馬場前駅間は武蔵野線開業日の1973年4月1日に廃止された。残りの貨物線(北府中駅 - 下河原駅間)は武蔵野線に編入されるが、3年後に廃止された。

年表

  • 1910年明治43年)
    • 2月24日 専用鉄道免許状下付[6][7]
    • 月日不詳 東京砂利鉄道の専用鉄道として国分寺駅 - 下河原駅間開業[8]
  • 1914年大正3年)4月 多摩川の出水により運行休止[6]
  • 1916年(大正5年)10月 陸軍工兵隊により修復されて同部隊に借り上げられ、軍用鉄道として使用される[6]
  • 1920年(大正9年)
  • 1921年(大正10年)12月1日 国分寺駅 - 下河原駅間廃止[11]、国分寺駅構内側線扱いとなる[8]
  • 1934年昭和9年)
    • 4月2日 国分寺駅 - 東京競馬場前駅間(5.6km)開業。競馬開催日に限り旅客輸送[12]
    • 11月6日 国分寺駅 - 東京競馬場前駅間に富士見仮信号場を開設[3]
  • 1944年(昭和19年)10月1日 営業休止[13]。この頃から富士見仮信号場内の乗降場(俗称「東芝前」)間に工員専用電車が運転される[8](国分寺駅構内扱い。東芝府中事業所が下河原線すぐ西側にある[2]ため)。
  • 1947年(昭和22年)4月24日 営業再開[14]
  • 1949年(昭和24年)
    • 1月21日 国分寺駅 - 東京競馬場前駅間に富士見仮乗降場開業[3]
    • 月日不詳 国分寺駅 - 東京競馬場前駅間での通年営業を開始[8]
  • 1952年(昭和27年)7月1日 富士見仮乗降場を廃止し、北府中信号場に変更。貨物支線として国分寺駅 - 下河原駅間(7.1km)が開業[3](国分寺駅 - 北府中駅間は重複区間)。
  • 1956年(昭和31年)9月1日 北府中信号場を駅に変更して北府中駅開業[3]。下河原方面の貨物支線の起点を国分寺駅から北府中駅に変更。国分寺駅 - 北府中駅間(3.1km)は旅客/貨物営業となる(実際の分岐点はさらに1.5kmほど先であるが北府中駅構内扱い)。
  • 1959年(昭和34年) - 多摩川の砂利採取終了[15]
  • 1973年(昭和48年)4月1日 武蔵野線府中本町駅 - 新松戸駅間開業に伴い、国分寺駅 - 北府中駅 - 東京競馬場前駅間(5.6km)廃止[3]。北府中駅 - 下河原間の貨物支線を武蔵野線に編入[8]
  • 1976年(昭和51年)9月20日 武蔵野線貨物支線 北府中駅 - 下河原駅間(3.8km)廃止[3]

駅一覧

接続路線の事業者名は当区間廃止時。全駅が東京都多摩地域に所在。

本線

駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 所在地
国分寺駅 - 0.0 日本国有鉄道:中央本線 国分寺市
北府中駅 3.3 3.3 下河原支線貨物線 府中市
東京競馬場前駅 2.3 5.6  

貨物線

  • 全駅が府中市に所在
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線
北府中駅 - 0.0 日本国有鉄道:中央本線下河原支線本線
下河原駅 3.8 3.8  

  1. ^ 宮脇俊三・原田勝正(編)『全線全駅鉄道の旅 4 関東 JR私鉄2100キロ』(小学館、1991年)pp.225-223の「電化年表」に「国分寺-東京競馬場前」はあるが、「下河原」はなし。
  2. ^ a b c d 原武史【歴史のダイヤグラム】亡き父と乗った下河原線『朝日新聞』土曜朝刊別刷り「be」2022年9月24日4面(2023年1月1日閲覧)
  3. ^ a b c d e f g 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 4 関東2、新潮社、2008年、49頁。ISBN 978-4-10-790022-7 
  4. ^ 『多摩 鉄道とまちづくりのあゆみ 1』(東京市町村自治調査会、1995年)31頁
  5. ^ 『東京市街高架線東京上野間建設概要 : 東京市街高架線路平面図付』国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ a b c 益井茂夫「国鉄下河原線」『多摩のあゆみ』No88
  7. ^ 『鉄道院年報. 明治42年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ a b c d e JTBパブリッシング『廃線跡ウォーキング東日本』
  9. ^ 買収価額360,000円『鉄道省年報 大正9年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 「鉄道省告示第13号」『官報』1920年5月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 「鉄道省告示第144号」『官報』1921年10月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「鉄道省告示第154号」『官報』1934年4月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 「運輸通信省告示第476号」『官報』1944年9月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 「運輸省告示第107号」『官報』1947年4月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 渡辺一策『追憶・西関東の鉄道貨物輸送』(物流博物館、2014年)10頁
  16. ^ 『1975年版 国鉄車両配置表』p.76


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