パンダの大冒険
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 14:26 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動パンダの大冒険 | |
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監督 | 芹川有吾(「演出」名義) |
脚本 | 山浦弘靖 |
製作 |
登石雋一 横山賢二(企画) |
ナレーター | 千々松幸子 |
出演者 |
太田淑子 平井道子 山本圭子 富田耕生 |
音楽 | 小杉太一郎 |
主題歌 | 「パンダの行進曲」(コロムビアゆりかご会、サニー・シンガーズ) |
撮影 | スタジオ珊瑚礁、森口洋輔 |
編集 | 千蔵豊 |
製作会社 | 東映動画 |
配給 | 東映 |
公開 | 1973年3月17日 |
上映時間 | 50分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
前作 | 魔犬ライナー0011変身せよ! |
次作 | マジンガーZ対デビルマン |
キャッチコピーは「攻めてくるぞ ひぐまの大軍 ボクはパンダ くまの国の強い戦士だ!!」。
概要
1972年10月28日、日中友好親善使節として中国から2頭のジャイアントパンダ(以降「パンダ」と表記)「ランラン」と「カンカン」が上野動物園にやって来て、2頭は日本中の人気者となり、上野動物園は連日長蛇の列、おもちゃ屋ではパンダのぬいぐるみや人形が飛ぶ様に売れ、時ならぬパンダブームが起きた。アニメ界でもこの人気に便乗し、東京ムービー(現:トムス・エンタテインメント)とAプロダクション(現:シンエイ動画)が元東映動画のメンバーだった宮崎駿・大塚康生・小田部羊一・高畑勲をスタッフに起用して、『パンダコパンダ』という中篇作品を制作、1972年12月17日封切の『東宝チャンピオンまつり』内で公開した。
かつて1958年10月21日公開の劇場用第1作『白蛇伝』で、全くの無名だったパンダを登場させた経歴のある東映動画は、面子にかけても先にパンダアニメを発表したかったが、当時東映動画は登石社長の希望退職者募集に対するスタジオロックアウト中[1]で、TVアニメも全て下請&外注だったため、一番乗りは出来なかった。それでもパンダ来日後の1972年10月より、外注で本作の製作を開始、年が明けた1月からは製作を再開、ロックアウト終結後の本社でも製作がかなり行われ、初号試写が3月7日というギリギリの線だった。なお封切られた3月17日では、東宝でも『東宝チャンピオンまつり』内の作品として、『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』が上映、期せずしてパンダアニメが激突するかたちとなった。
物語は、何故かクマの国に王子として生まれたパンダのロンロンが、人間社会に行って修行をし、クマの国の王位を狙うヒグマのデモンと戦うといった構成となっている。
劇中では次の様な, 時代を反映する場面が存在する。
- ロンロンの修行場面でレッサーパンダのピンチが、ザ・ドリフターズのコントの様に笛を吹きながらメガホンでロンロンを叩く。
- 空腹になったピンチが「♪鮭のフライが、即、食いたいな~」と、「ククレカレー」(ハウス食品)のCMソングの替え歌を歌う。
- サルのモン次郎が『木枯し紋次郎』の如く、口に銜えた楊枝をデモン配下のヒグマに発射する[2]。
- ロンロンがデモンに蹴りをお見舞いする際、『仮面ライダー』の如く「パンダーキーック!!」と叫ぶ
またスカンクが、ゾウのジャンボの鼻をカタパルトにして、放屁しながら飛行機の如く空を飛び、ヒグマに放屁攻撃をする[3]という、飛行機マニアの芹川有吾らしい演出も見られる。
原画の一人には、動物キャラで定評の有る森康二が存在するが、森は本作をもって東映動画を退社した。
1973年5月18日にシンガポールで開催された「第19回アジア映画祭」で、本作が出展、「技術特別賞」を受賞した。
なお本作はその後、1979年7月21日封切の『'79国際児童年記念 東映まんがまつり』内でリバイバル上映されたが、一部都市での興行に止まり、全国公開には至らなかった[4](夏興行が「一部での公開」はこの時のみ)。
ストーリー
どこかの山奥に有る平和なクマの国に、王子が産まれた。王子はロンロンと名付けられるが、そのロンロンは白黒の斑点が付いた変なクマ。それもそのはずロンロンは実はパンダであり、コウノトリのミスでクマの国に届けられたのであった。密かにクマの国の王位を狙うヒグマのデモンはこれを見て、「昔から王位を継ぐ者は、ヒグマかツキノワグマに決まってる。こんなパンダに世継ぎの資格は無い!!」と抗議するが、母クマの女王にその場は退けられた。月日が流れ、ロンロンは大きく成長するが、弱虫でいつも失敗ばかり、そこで女王は、ロンロンに修行を命じた。かくしてロンロンは子クマのピンチを連れて、修行のために下山した。一方デモンはロンロンが下山した事を知ると、王位継承の一環としてロンロンの抹殺を企み、腹心のタヌキのポン太に後を追う様に命じた。
やがてロンロンとピンチは町の近くまで来るが、そこで人間の仕掛けた罠に捕まり、サーカス団に売られた。そこでロンロンは、サーカス団の花形であるメスパンダのフィフィと知り合うが、フィフィはロンロンを「弱虫」だとからかう。そこで一念発起したロンロンは、サーカス団で修行を積んで強い子に成長、やがてフィフィを始め、サーカス団の動物達とも仲良くなった。その様子を見たポン太は、サーカスのテントに放火、ロンロンはフィフィや動物達を救い、一緒に森まで逃げた。やがてロンロンたちはみんなが住む新たな場所を探し始める。
一方クマの国では、ロンロンが焼け死んだという連絡が入り、女王は大きなショックを受ける。 更にデモンが止めとばかり、部下のヒグマ達を連れてクーデターを起こし、女王と長老は拉致され、他のクマも全て国から追放されてしまった。これをトンチから聞いたロンロンは早速クマの国へ急ぐが、クマの国はデモン一派によって、あらゆる道を塞がれてしまった。そこでロンロンは唯一塞がれていない滝を、決死の思いでよじ登り、道を開放してデモン一派と戦う。やがてサーカス動物達も助太刀に入り、デモン配下のヒグマ達はスカンクの放屁攻撃「スカンク・ミサイル」でダウン、そしてデモンは滝にロンロンを追いつめるが、ロンロンに身をかわされた挙げ句、ロンロンの跳び蹴りで滝底へ転落、戦いはロンロン達の大勝利に終わった。もうロンロンは弱虫でない、立派なクマの国の王子となったのだ。その一方でサーカス動物達はロンロンと別れて旅立とうとしたが、そこへロンロンが。女王の許可を得て「新たな場所探し」を続けようとするのだ。かくてロンロンは元気が出たサーカス動物達、更に後を追ったピンチと共に旅立った。
- ^ 1972年12月26日まで。この事については詳細は「東映アニメーション#1970 - 1990年代」を参照
- ^ しかし鼻に入りクシャミして自分が襲われるというオチ。
- ^ しかしジャンボとモン次郎にも屁が回ってダウンするオチ。
- ^ 当初7月28日に『宇宙戦艦ヤマト』(劇場版)・『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』・『海のトリトン』(再編集劇場版)で構成された「宇宙戦艦ヤマト フェスティバル」、8月4日より『銀河鉄道999』(劇場版)』をそれぞれ公開(いずれも全国公開)するため、この年の夏興行は中止の予定であったが、土壇場になって急遽編成された。
- 1 パンダの大冒険とは
- 2 パンダの大冒険の概要
- 3 登場キャラクター
- 4 声の出演
- 5 備考
- 6 外部リンク
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