バート・ピルモント バート・ピルモントの概要

バート・ピルモント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/16 05:44 UTC 版)

紋章 地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州: ニーダーザクセン州
郡: ハーメルン=ピルモント郡
緯度経度: 北緯51度59分07秒 東経09度15分44秒 / 北緯51.98528度 東経9.26222度 / 51.98528; 9.26222座標: 北緯51度59分07秒 東経09度15分44秒 / 北緯51.98528度 東経9.26222度 / 51.98528; 9.26222
標高: 海抜 111 m
面積: 61.99 km2
人口:
人口密度: 309 人/km2
郵便番号: 31812
市外局番: 05281
ナンバープレート: HM
自治体コード:

03 2 52 003

行政庁舎の住所: Rathausstraße 1
31812 Bad Pyrmont
ウェブサイト: www.stadt-badpyrmont.de
首長: クラウス・ブローメ (Klaus Blome)
郡内の位置
地図

バート・ピルモントドイツ語: Bad Pyrmontドイツ語発音: [ˈpyrmɔnt] ( 音声ファイル) または [pyrˈmɔnt][2])は、ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州ハーメルン=ピルモント郡に属す市。

地理

バート・ピルモント市はハーメルン(約20km)とパーダーボルン(約60km)との間のヴェーザーベルクラント地方に位置し、ドイツ=オランダ観光街道のオラニア・ルートに面している。エンマー川市域を流れている。

隣接する市町村

この街に隣接する市町村は、北から時計回りに、アエルツェン、エンマータール、ザムトゲマインデ・ポレ(オッテンシュタイン、ファールブルーフ)、およびノルトライン=ヴェストファーレン州リッペ郡のリュクテ、ブロムベルク、バルントルプである。

市の構成

  • ピルモント
  • エスドルフ
  • ホルツハウゼン
  • タール
  • レーヴェンゼン
  • ネールゼン
  • バールゼン
  • アイヒェンボルン
  • グローセンベルク
  • クライネンベルク
  • ハーゲン

歴史

バート・ピルモントはニーダーザクセン州の州立温泉であり、国内外の身分の高い賓客にふさわしい温泉施設を数多く有する伝統的な温泉保養地である。1556年から1557年に温泉の治療効果が発見され、奇蹟の湯と言われて、全ヨーロッパから1万人が訪れたことで有名である(「グローセス・ヴンダーゲロイフ」と呼ばれる)。この街は、アルプスの北側で最大の屋外のヤシの施設であるヤシの庭園をもつドイツで最も美しいクアパークを有している。また、炭酸がモフェッタとして噴出する「ドゥンストヘーレ」も唯一のものである[3]。ピルモントの温泉医ヨハン・フィリップ・ザイプは1712年にピルモントへ来て、この現象を調査した。この炭酸は治療物質としても使われた。現在は6つの薬湯が利用されている。

すでにローマ人やゲルマン人はピルモントの薬湯を知っており、利用していた。これは、1863年にブローデル水源付近の工事現場で発掘された約300個のフィブラ、3枚のデナリウス銀貨、ローマ属州お玉杓子によって裏付けられている。これらの出土品は紀元前1世紀から紀元4世紀に製作されたもので、その中心は明らかに2世紀の終わりから3世紀の初めである。これは紛れもなく古い泉の聖域に関連する証拠品である。

ピルモンテ集落の起源は中世である。ハインリヒ獅子公の失墜後、1180年に旧ザクセン公国の西部はケルン大司教のものとなった。シュヴァーレンベルク伯も大司教に降伏した。ケルン大司教フィリップ1世フォン・ハインスベルクはシュヴァーレンベルク伯領のシェレンベルクに城砦を築いた。この城砦はケルン司教区の守護聖人ペテロにちなんでラテン語で「petri mons」と命名され、ドイツ語でペータースベルクと呼ばれた。ピルモントは1184年に初めて史料に登場する。表記は「piremont」であった。この2つの名前のどちらから現在のPyrmontとなったのかは明らかでない。中世、ピルモントは小邦ピルモント伯領の中心地であった。この伯領は1625年に、相続によってヴァルデック伯家のものとなった。1625年5月7日にグライヒェン伯ハンス・ルートヴィヒはヴァルデックの領主権を従兄弟のクリスティアンとヴォルフラートに委ねた。当時のピルモントは、いわゆる「聖なる泉」の周囲の古い水城と数軒の小さな家からなっていた。

ピルモント伯領はニーダーライン=ヴェストファーレン帝国クライスに属した。ヴァルデック家の最も有名な当主ゲオルク・フリードリヒ・ツー・ヴァルデック(1620年 - 1692年)は、1668年にクヴェルバッハをふさいで、後に有名になる4列のボダイジュの並木道を造営した。その後クリスティアン・ルートヴィヒ・ツー・ヴァルデック(在位:1692年 - 1706年)、アントン・ウルリヒ・ツー・ヴァルデック(在位:1706年 - 1728年)が跡を継いだ。彼が亡くなる頃、ピルモントには現在も見られる総合的なコンセプトが生まれた。それはバロック様式の城館、ハウプトアレー(中央並木道)と多くの並木道の脇道、ブルンネン通りで構成される。当時のピルモントは上流階級に人気の温泉療養地へとその地位を上げはじめ、遂に有名なカールスバートとヨーロッパ随一の温泉地を争うまでになっていた。

1681年、ピルモントで「フュルステン・ゾンマー(諸侯の夏)」と呼ばれる帝国諸侯の大集会が行われた。1712年にヴァルデックとピルモントの伯は神聖ローマ皇帝カール6世によって侯に昇格した。1720年には「ノイシュタット・ピルモント」に都市権が授けられた。相続分配に伴って1805年にピルモンテは1812年まで一時的に独立市となったが、その後ヴァルデックに併合された。このヴァルデック=ピルモント侯は1815年ウィーン会議でその存続が確認され、ドイツ連邦に参加した。1868年からはプロイセン王国の統治下に組み込まれたが、名目上の主権は保持され、ヴァルデック=ピルモント侯は1871年ビスマルクドイツ帝国に参加した。ピルモントは1872年に鉄道ハノーファー - アルテンベーケン線に接続し、1879年には駅から市内への馬車鉄道も設けられた。第一次世界大戦後、最後の侯が退位し、ヴァルデック=ピルモント侯領はヴァイマル共和政下の州となった。

1914年にピルモントはバート・ピルモントと改名した[4]。市とその周辺のベツィルク(行政単位)は、住民投票に基づき、1921年11月30日に独立した州からプロイセン王国のハノーファー県に編入された。1922年4月1日にエスドルフがこの市に合併した。1940年、市庁舎機能がブルンネン通りの旧郵便局に移転した(現在は老人ホーム)。1938年4月1日、ホルツハウゼンが合併した。1956年10月16日にバート・ピルモントは「自立都市」となった。1973年1月1日にバールゼン、アイヒェンホルン、グローセンベルク、ハーゲン、クライネンベルク、レーヴェゼン、ネールゼン、タールが合併し、これによりわずかな境界線の異同はあるものの旧伯領全域で1市を形成することとなった。

2006年10月18日から20日に全ドイツの大臣や市町村の首長を集めた会議がバート・ピルモントで開催された。

2007年5月15日から16日には、Germany 2007 - Presidency of the European Union の活動として、男女同権と家族問題のための非公式大臣会議が開催された[5]


  1. ^ Landesamt für Statistik Niedersachsen, LSN-Online Regionaldatenbank, Tabelle A100001G: Fortschreibung des Bevölkerungsstandes, Stand 31. Dezember 2020
  2. ^ Max Mangold, ed (2005). Duden, Aussprachewörterbuch (6 ed.). Dudenverl. p. 658. ISBN 978-3-411-04066-7 
  3. ^ Die Dunsthöhle - Ein in Deutschland einmaliges Naturphänomen シュターツ・ピルモント 2008年6月28日付
  4. ^ Geschichte in Zahlen (バート・ピルモント市のウェブサイト)
  5. ^ Informelles Minister- und Ministerinnentreffen für Gleichstellung und Familie in Bad Pyrmont
  6. ^ Hauptsatzung der Stadt Bad Pyrmont, gültig ab 25. November 2005


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