テキサス州の歴史 テキサス共和国

テキサス州の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 16:20 UTC 版)

テキサス共和国

テキサス住人はメキシコに対して、税関の廃止、無税期間の延長、不法入国者の土地所有の承認と要求を吊り上げ、1835年6月には東部の沿岸部の町(今日のガルベストン)を武力制圧した[6]。同年10月には、彼らはメキシコからの分離を宣言し、12月にはベハル(今日のサンアントニオ)を攻めた[6]。このメキシコに対する反乱には、テキサスに居住するメキシコ人も含まれていた[6]

現代のテキサス州の最初の独立宣言は、白人のテキサス入植者と地元のテハーノの両者によって、ゴリアド(w:Goliad, Texas)で1835年12月20日に契約された。テキサス独立宣言は、ワシントン・オン・ザ・ブラゾスにて1836年3月2日に成立し、事実上のテキサス共和国の創立となる。

この4日後、2週間続いたアラモの戦いは、メキシコの総督アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナの軍が、小さなアラモ伝道所を占拠したほぼ200人のテキサンを打ち負かして終わる。(この場が、現在のサンアントニオ市の中心部となる)。この後、「リメンバー・ザ・アラモ!」がテキサス革命のスローガンとなった。サンジャシントの戦いは1836年4月21日に、現在のヒューストン市の近くで開戦した。総督のサンタ・アナの1600名の全軍は、テキサスの総督サミュエル・ヒューストンの800名のテキサス軍によって殺されたか捕らえられ、テキサス軍の死者はたったの9名のみだった。当時のメキシコの最高権力者が、戦場で捕らえられたことにより、この戦いは決定的なものとなる。捕虜となったサンタ・アナは、自らの命の保障と引き替えに、テキサスに有利なベラスコ条約英語版に署名することとなり、メキシコからのテキサス独立を承認し、テキサス内のメキシコ軍を撤退させた[7]

テキサスの独立により、テキサスではかつてメキシコ時代に廃止された黒人奴隷制が復活した。

バージニア州出身でテネシー州知事を務めた経験を持つサミュエル・ヒューストンは、1836年から1838年、1841年から1844年の離れた期間にテキサス共和国の大統領を務めた。彼は、1859年から1861年にかけてテキサス州の知事も務めている。テキサス共和国の最初の議会は、1836年8月、コロンビア(現在のウエスコロンビア)で開催された。「テキサスの父」として知られるスティーブン・オースティンは、新しい共和国の州の大臣を2ヶ月務めた後、1836年12月27日に死亡する。1836年には、5つの場所(ワシントン・オン・ザ・ブラゾスハリスバーグガルベストン、ベラスコ(w:Velasco, Texas)、コロンビア)が一時的にテキサスの首都とされ、その後1837年、サミュエル・ヒューストンは首都をヒューストンに移す。1839年、首都は新設されたオースティンに移される。

共和国の内政は、二大政党制を基本とした。ミラボー・B・ラマー率いる国家主義者の党派は、継続したテキサスの独立、ネイティブアメリカンの追放、そして太平洋までのテキサスの拡張を擁護した。サミュエル・ヒューストンが率いる反対勢力は、米国へのテキサスの併合と、ネイティブアメリカンとの平和的な共存を擁護した。最初の共和国の旗は、「バーネット・フラッグ」(青色の地に金色の星)だったが、その後すぐに現在の「ローン・スター・フラッグ」が公式に採択された。

テキサス共和国は米国、フランス、英国、オランダ、そしてユカタン共和国から、外交上の承認を受けた。1837年には米国が承認し、同年にはテキサスが、米国との併合を打診しているが、受け入れられなかった。メキシコは、先の大統領サンタ・アナが拘束された状態で署名したベラスコ条約は、到底認められるものではなかったため、テキサス共和国を承認しなかった。

重要な出来事


  1. ^ a b 中野2010, p.16
  2. ^ 中野2010, p.17
  3. ^ a b c d e 中野2010, p.18
  4. ^ a b c 中野2010, p.19
  5. ^ a b c d 中野2010, p.20
  6. ^ a b c d 中野2010, p.21
  7. ^ 中野2010, p.25





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