カチューシャの唄 大衆への影響

カチューシャの唄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 00:46 UTC 版)

大衆への影響

歌本・楽譜

この曲の流行には楽譜書生節の影響を受けた演歌師による歌本も大いに貢献した[15]

楽譜は1914年6月1日、敬文堂書店から定価5銭で出版された。表紙は竹久夢二である[16]

楽譜や歌本はレコードよりも安価であったことから、1914年9月段階で楽譜は7万8000部売れ『鉄道唱歌』以来の売れ行きとなり、赤本や歌本も含めると総発行部数は14〜5万部に達する勢いであると『読売新聞』1914年9月13日付で報じられた[15]

学生への観劇・歌唱禁止令

この流行は、全国の高等女学校中学校女子専門学校高等学校の学生までにも及んだ。そして、生徒たちに『復活』の観劇を禁じる学校が相次いだ。当時は第一次世界大戦が開戦するかどうかであった時代背景も影響している[17]

さらに第三高等学校では生徒たちが頻繁に歌っていたために歌唱の禁止令が出たと『読売新聞』1914年6月17日付[18]、『九州日日新聞』1914年6月27日付[19]で報じられた。また『萬朝報』1914年8月11日付でも、東京の女子専門学校で歌唱禁止令が出たと報じている[19]

映画

カチューシャの唄
監督 不明
脚本 島村抱月
原作 レフ・トルストイ
出演者 松井須磨子
音楽 中山晋平
主題歌 松井須磨子「カチューシャの唄」
製作会社 日本キネトフォン
配給 日本キネトフォン
公開 1914年8月1日
製作国 日本
言語 日本語
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1914年 キネトフォン版

カチューシャの唄』(カチューシャのうた)は、1914年(大正3年)製作公開の日本の短篇映画である。芸術座の演劇、ならびに同楽曲を題材に日本キネトフォンが製作・配給を行った[20]。松井須磨子が同年3月の芸術座での『復活』で使用した舞台装置を背景に、同名の挿入歌を歌う姿を撮影した[20]ミュージック・ビデオ的フィルム作品である。同年8月1日浅草の日本座で公開され、好評を得た[20]

本作は、トーマス・エジソンの発明したキネトフォンを採用した日本におけるトーキーの最初期の作品で、サイレント映画蓄音機を連動させたものである[21]。本格的トーキーが出現するのは10年後である。

スタッフ・作品データ・キャスト

1914年 日活版

1914年(大正3年)には日活向島撮影所が『カチューシャ』という題名の映画を製作した[22]。原作はレフ・トルストイ、脚本は桝本清、監督は細山喜代松、主演のネフリュードフ役は関根達発、カチューシャ役は女形立花貞二郎であった[22]

芸術座の演劇を参考にして桝本が脚色した[22]。同作は、日活向島撮影所が始まって以来のヒット作となり、行き詰まっていた経営を乗り越えることが出来た[22]。『後のカチューシャ』、『カチューシャ続々篇』(いずれも監督細山喜代松、1915年)、『復活』(監督田中栄三、1919年)と続編が3本製作・公開された[22]、いずれも第1作同様に原作とは異なり、第3作にはネフリュードフが来日して泉岳寺赤穂浪士の墓前で大石内蔵助と握手をする場面も登場した[要出典]

使用

『愛媛新報』1915年2月24日付に掲載された愛媛県松山市で売り出された自転車用タイヤ「楽譜模様 カチューシャタイヤ」の広告に「カチューシャの唄」の替え歌が使われていた[23]

カチューシャ可愛や、ヨクもつタイヤ
早く懸賞のすまぬ間に
買うてかけましょ、ララ自転車に — カチューシャタイヤの広告、『愛媛新報』1915年2月24日付

(旧字体を新字体に、歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改めた)


注釈

  1. ^ 有名なところでは、美空ひばり倍賞千恵子森昌子島倉千代子芹洋子などが歌っている
  2. ^ 1914年5月8日付の『日出新聞』と同月11日付の『大阪朝日新聞』にレコードの広告が掲載されている[10]
  3. ^ 1914年4月23日に松井が京都入りし、レコード吹き込みに言及した中村吉蔵宛の抱月書簡の日付が同月25日であることから、この間に吹き込まれたと考えられている[11]

出典

  1. ^ 『カチューシャの唄、永遠に』 134頁。
  2. ^ a b 『なつめろの人々』 16頁。
  3. ^ a b 『カチューシャの唄、永遠に』 64頁。
  4. ^ 『カチューシャの唄、永遠に』 182頁。
  5. ^ (日本語) 「カチューシャの唄」開歌-かいか-(流行歌アカペラカバー), https://www.youtube.com/watch?v=WIhfbLpOPgI 2021年6月24日閲覧。 
  6. ^ 『ハンドブック 日本の愛唱歌』51頁。
  7. ^ 『「はやり歌」の考古学』146頁。
  8. ^ 『日本レコード文化史』(1992年版)87-88頁、(2006年版)95頁。
  9. ^ 『流行歌の誕生』34頁、160-161頁。
  10. ^ 『流行歌の誕生』49頁。
  11. ^ 『流行歌の誕生』48頁。
  12. ^ 『流行歌の誕生』50-51頁。
  13. ^ 『流行歌の誕生』132頁。
  14. ^ 『流行歌の誕生』53頁。
  15. ^ a b 『流行歌の誕生』64-65頁。
  16. ^ 『流行歌の誕生』63頁。
  17. ^ 『日本レコード文化史』(1992年版)88頁、(2006年版)96頁。
  18. ^ 『流行歌の誕生』141-142頁。
  19. ^ a b 『日本レコード文化史』(1992年版)88頁。
  20. ^ a b c 『日本映画発達史 1 活動写真時代』、田中純一郎中央公論社、1968年、p.212-213.
  21. ^ 『日本映画発達史 1 活動写真時代』、p.210-212.。
  22. ^ a b c d e 『日本映画発達史 1 活動写真時代』、p.218-221.
  23. ^ 『流行歌の誕生』157-158頁。


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