インフルエンザウイルス A型インフルエンザウイルス

インフルエンザウイルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/01 03:39 UTC 版)

A型インフルエンザウイルス

A型インフルエンザウイルスは、インフルエンザウイルスの中で最初に発見され、流行の規模や感染時の被害が大きいため、最も研究が進んでいる。

ウイルスの構造

A型インフルエンザウイルスの構造

A型インフルエンザウイルスは、直径80-120nm程度の、エンベロープを持つマイナス鎖の一本鎖RNAウイルスである。ただし患者から分離した直後に実験室で培養したものでは1-2µm程度の繊維状の形態を示すことがあり、この場合は光学顕微鏡での観察も可能である。

インフルエンザウイルスのエンベロープは、ウイルスが放出されるときに宿主となる細胞の細胞膜を獲得したもので、その表面には10nm程度の長さの2種類のスパイクが存在しており、それぞれヘマグルチニン(血球凝集素、HA)、ノイラミニダーゼ(ニューラミニダーゼ、NA)と呼ばれる。またエンベロープ表面には少数のM2と呼ばれるエンベロープ蛋白も存在する。エンベロープの内側には、それを裏打ちする形で、M1蛋白と呼ばれるタンパク質が局在しており、これが実質的な殻の役割を果たしていると考えられている。また、最近の研究からM1蛋白の内側にごく微量の、NS2蛋白と呼ばれるタンパク質が結合していることが明らかになった。ウイルスの遺伝子は一本鎖のマイナス鎖RNAであり、8つの分節(セグメント)に分かれている。遺伝子はそれぞれエンベロープ内部にあるNP蛋白とよばれる核タンパク質にらせん状に巻き付いており、これがインフルエンザウイルスではヌクレオカプシドに相当する。また、それぞれのヌクレオカプシドの片端にはPA, PB1, PB2の3つのサブユニットからなるRNA依存RNAポリメラーゼが結合しており、これによってmRNAの合成やウイルス遺伝子の複製が行われる[2]

ウイルス遺伝子

A型インフルエンザウイルスの遺伝子

A型インフルエンザウイルスの遺伝子は8つの分節に分かれている。それぞれがコードしているタンパク質からHA(ヘマグルチニン), NA(ノイラミニダーゼ), PA(RNAポリメラーゼ αサブユニット、RNA polymerase α), PB1(RNAポリメラーゼ β1サブユニット、RNA polymerase β1), PB2(RNAポリメラーゼ β2サブユニット、RNA polymerase β2), M(マトリクス蛋白、matrix), NP(核蛋白、nucleoprotein), NS(非構造蛋白、non-structure)と名付けられている。

MとNSを除く6つの分節は、名前の由来になったタンパク質1種類のみをコードしているが、MとNSの2つの分節からは選択的スプライシングによって、それぞれM1とM2、NS1とNS2の2種類のタンパク質が合成される。すなわち、A型インフルエンザウイルスが合成するタンパク質は10種類である。このうちNS1を除く9種類のタンパク質は、ウイルス粒子が構築されるときにその内部に取り込まれるが、NS1は取り込まれない(このため非構造タンパク質と呼ばれた)。なお、A型インフルエンザウイルスのNSは、ウイルスでは最初に見つかった、選択的スプライシングを起こす遺伝子である。

それぞれの分節において、これらのタンパク質をコードしている翻訳領域の両端には、パッケージング配列と呼ばれる独特の遺伝子配列が存在している。これらのパッケージング配列は、細胞内で新しいウイルス粒子が合成されるとき、それぞれのウイルス粒子に8つの分節がそれぞれ一つずつ正しく分配されるために必要である[2]

ウイルスの増殖

インフルエンザウイルスの増殖

A型インフルエンザウイルスは、ヒトやブタでは気道上皮細胞に、トリでは大腸上皮細胞に感染して増殖する。また実験室的には、孵化鶏卵と呼ばれる孵化途中の有精鶏卵の、漿尿液(しょうにょうえき)の部分にウイルスを接種して大量に培養することが可能であり、インフルエンザワクチンの製造に用いられている。また、様々な動物培養細胞に感染させる実験系も確立されている。

特に実験室的に増殖させる場合、最初は全て感染性のあるウイルスであったものが、次第に感染性を持たない不完全なウイルス粒子(欠損粒子、DI粒子)に置き換わっていく現象が見られることがある。これは自家干渉と呼ばれ、インフルエンザウイルス以外のウイルスにも見られる現象であるが、インフルエンザウイルスの場合は特にこれをvon Magnus現象(フォン・マグナスげんしょう)と呼ぶ。これは特に、高濃度のウイルスを継代していく場合によく見られる現象で、1つの細胞に複数のウイルスが感染する際、そのうちの1つが完全であれば、残りのウイルスは不完全なものであっても増殖が可能で、次第に後者が優勢になっていくためである。

A型インフルエンザウイルスの増殖過程を、以下に詳述する。

ウイルスの吸着

ウイルスの表面にはスパイクタンパク質と呼ばれる突起が付いており、これが宿主細胞の表面に吸着する。

体内に侵入したウイルスは、まず標的になる宿主細胞の表面に吸着する。ウイルスは、宿主細胞に吸着するまでは、表面がタンパク質でできた単なる粒子であり、自分から宿主細胞に近づくことはできない。そのため、表面吸着の機構は非常に重要である。この過程において重要な役割をするのがヘマグルチニン (HA)およびノイラミニダーゼ(NA)と呼ばれる表面タンパク質である。HAとNAはウイルスのエンベロープ(殻)に刺さった釘のような形をしているため、スパイクタンパク質と呼ばれる[13]。HAはウイルスを構成するタンパク質の割合として最も高い40%を占め[5]、ヘマグルチニンが破壊したり変質したりすれば、そのウイルスは感染力を失う[13]

ウイルスが細胞に侵入できるかどうかと、ウイルスが細胞内で増殖できるかどうかは、別の問題である。そのため、ウイルスのスパイクタンパク質は、自分が増殖できる細胞にのみ吸着するようにできている[13]。インフルエンザウイルスのヘマグルチニン (HA) はシアル酸に吸着する性質を持つが、間違った細胞に吸着した場合、ノイラミニダーゼ(NA)が吸着を断ち切って再び遊離する[5]。細胞表面の粘液にシアル酸が含まれる場合もあるので、NAの働きは、ウイルスが細胞に接触する前に粘液に吸着してしまわないようにするためにも重要である[12]

一方、宿主細胞の表面には糖タンパク質があり、この分子の末端がシアル酸N-アセチルノイラミン酸)になっている箇所がある。末端部分に付いているシアル酸なので、シアル酸残基と呼ばれる。これがウイルスのレセプター(受容体)の役割を果たす。シアル酸残基の隣にはガラクトースが繋がっている。このシアル酸残基とガラクトースの結合パターンはα2→6結合とα2→3結合の2種類があることが知られている。ヒトの気道上皮細胞(つまり人の喉表面)ではα2→6結合になっており、トリの大腸上皮細胞(トリの大腸表面)ではα2→3型になっている場合が多い[24]。このように、トリとヒトとでは細胞表面の構造が異なるため、トリインフルエンザが直接ヒトの細胞に吸着する可能性は低い。ただし、その可能性が皆無ではないため、養鶏場の作業員がトリインフルエンザに感染することもあり、一度感染すればその人の体内で増殖することも可能である。その場合でも、ヒトから別のヒトに感染する可能性はヒトインフルエンザに比べれば低いと考えられている[25]。ブタの気道上皮細胞には、α2→3型とα2→6型の両方の糖鎖が発現しているため、ブタにはヒトとトリ両方のウイルスが同時に感染しうる[25]。このことによって、ブタの体内ではヒトとトリ由来ウイルスの「合いの子」が生まれ、これが新型インフルエンザウイルス出現の一因になると言われる。また、ヒトの一部には遺伝的にα2→3型の糖鎖を持った人も存在することも報告されており、これが1997年以降、香港や東南アジアで発生しているトリインフルエンザのヒトへの感染の原因ではないかと考えられている。これらのヒトには直接トリ由来ウイルスが感染しうるが、大部分の(α2→6型糖鎖を持つ)ヒトの間での大流行には繋がらない。

ウイルスの侵入

ヘマグルチニンによって細胞表面に吸着したウイルス粒子は、そこから細胞内部に侵入する。インフルエンザウイルスでは、この過程は宿主細胞のエンドサイトーシスによって行われる。この過程は、宿主細胞の持つ生理機構であり、ウイルス粒子は「侵入」というよりも、いわば受動的に取り込まれる。言い換えれば、宿主細胞はウイルス粒子を積極的に取り込む[2]。なお、全てのウイルスがエンドサイトーシスを利用しているわけではなく、麻疹ウイルスヒト免疫不全ウイルスには見られない[3]

エンドサイトーシスにはいくつかの機構が知られているが、そのうち、クラスリン介在性エンドサイトーシスが関与することが早くから知られていた。この機構では、まずウイルス粒子が結合した部分の細胞膜は徐々に内部に向けて陥没し、それを細胞内から裏打ちするように、クラスリンと呼ばれるタンパク質が集まってくる。そして最終的に、ウイルス粒子は、細胞膜に由来する脂質二重膜と、さらにそれをクラスリンが取り囲んだクラスリン被覆小胞 (chlathrin-coated vesicle) と呼ばれる小胞に包まれた形で、細胞質に取り込まれる。細胞質内に取り込まれると、クラスリンは速やかに外れ、小胞は初期エンドソームと膜融合を起こし、ウイルスはエンドソーム内に取り込まれる。

また、クラスリン介在性エンドサイトーシスを抑制してもインフルエンザ感染が抑えられないことから、クラスリンが介在しない機構によってもウイルスの取り込みが行われることが判明している。例えば、脂質ラフトからの取り込み[26]Rasタンパク質PI3キナーゼ[27]などの関与が示唆されている。

脱殻

前述したように、インフルエンザウイルスの表面は、エンベロープ(殻)で覆われており、さらには細胞に取り込まれる際にエンドソーム(初期エンドソーム)と呼ばれる膜に覆われる。インフルエンザウイルスにとって、エンベロープとエンドソームは細胞内に取り込まれた後はむしろ邪魔になるため、除去する必要がある。この仕組みが脱殻である。

エンドサイトーシスは本来、細胞表面の異物などを分解するための機構である。この目的のため、エンドソームの内部は弱酸性になっている。インフルエンザウイルスはこの過程から巧みに逃れるようにできている。[2]

脱殻の過程で重要な働きをするタンパク質の1つはM2タンパク質である。HAとNAがウイルスの殻の表面に刺さったような構造であるのに対し、M2タンパク質はウイルスの殻を貫通している。また、M2タンパク質は水素イオンを選択的に通過させる性質を持つ。つまり、イオンチャネル型の膜タンパク質である[13]。外側の水素イオン濃度が高い、すなわちpHが低い状態になると、M2タンパク質が開いてウイルス粒子内部に水素イオンが流れ込む。ウイルス遺伝子はNP・PA・PB1・PB2と結合してリボ核タンパク質(RNP)の状態にあり、RNPはウイルスの殻の本体であるM1タンパク質と結合をしているが、M2タンパク質の働きでウイルス粒子内部が酸性になると、RNPとM1タンパク質の結合が弱められる[3]。また、酸性になると、ウイルスの殻の主要成分であるM1タンパク質同士の結合も弱まる[25]。抗インフルエンザ薬であるアマンタジンは、このM2タンパク質のイオンチャネル作用を阻害することで、ウイルスの増殖を抑制する[28]

脱殻の過程で重要な働きをするもう一つのタンパク質は、細胞に侵入する際にも使われたヘマグルチニン(HA)である。HAは宿主細胞の中で変質し、ウイルスの殻とエンドソームを結合させる糊のような役割をする[3]。具体的には、ウイルス粒子表面のヘマグルチニンは、最初HA0と呼ばれる1つのタンパク質であるが、気道や消化管の細胞が分泌するタンパク質分解酵素の働きによって切断され、HA1とHA2という2つのタンパク質になる。この現象をHAの開裂と呼ぶ。HAが開裂するとその立体構造が崩れるため、ウイルス粒子の殻が壊れやすくなり、脱殻が正常に起こるのを助ける。インフルエンザウイルスが、ヒトでは呼吸器に、トリでは消化管に感染する理由は、レセプターの発現の有無に加えて、このタンパク質分解酵素が存在するかどうかも重要であると考えられている[4]。ヒトにおいては、気道に存在するクララ細胞が分泌するトリプターゼ・クララというタンパク質分解酵素やプラスミンが、この役割を担っていると言われる。また、黄色ブドウ球菌などの細菌もHAに働きやすいタンパク質分解酵素を作り出すため、黄色ブドウ球菌などの細菌とインフルエンザウイルスの混合感染が起きると重篤化しやすい[29]

例外として、インフルエンザウイルスの内、H5またはH7亜型ウイルスの中には、これらの特殊なタンパク質分解酵素に頼らずとも、フーリンのような多くの細胞内に普通に存在するタンパク質分解酵素によって容易にHAの開裂を起こすものがある。このようなウイルスは気道や消化管だけでなく全身の細胞で増殖できるために、急激かつ重篤な感染を起こす。強毒型あるいは高病原性インフルエンザウイルスとよばれるものには、このように変異したHAを持つものが多いことが判っており、ニワトリに大量死を発生させる高病原性トリインフルエンザがこの代表例である[29]。ヒト由来のウイルスはほぼすべて弱毒型であるが、1997年に香港で発生したH5N1亜型が高病原性(強毒型)であった。H5N1亜型は2011年6月までに15か国(インドネシアエジプトベトナム中華人民共和国タイなど)に広まり、感染例556、死者325人が記録されている[30]

ウイルスmRNAと遺伝子の複製

細胞質に放出されたウイルス遺伝子にはNP・PA・PB1・PB2が結合してリボ核タンパク質(RNP)の状態にあるが、次にこの複合体は核内に移行し(NPの作用と考えられている)、ウイルスの材料であるウイルス蛋白とウイルス遺伝子の合成を始める。ただしインフルエンザウイルスはタンパク質合成に必要なmRNAを持っていないため、まずはmRNAの合成が行われる[12]

mRNAの合成には、mRNA複製を開始するためのプライマー構造や、mRNAの終了を意味するpoly A終末が必須である。しかしながらインフルエンザウイルスの遺伝子上にはこれらが存在しない。このためインフルエンザウイルスは、PB2の働きによって、宿主細胞がDNAから作り出したmRNAを切断してプライマーとなるキャップ構造とpoly A構造を切り取り、それを自身の遺伝子に結合させてmRNAの合成を行うという、独特の方法でmRNA合成を行う。要するに、ウイルスのリボ核タンパク質は、宿主のmRNAの一部を拝借して、ウイルスmRNAを作り出す。この機構はキャップ・スナッチング (cap snatching) と呼ばれる。この方法によって合成されたmRNAは、宿主が作り出したmRNAと同様に処理されて、そこからウイルス粒子の材料になるタンパク質が大量に合成される[31]

一方、ウイルス粒子のもう1つの「材料」となる、ウイルス遺伝子も同時に大量に複製される。この過程はmRNA合成とは異なり、ウイルス遺伝子の全長を複製する必要があるため、上とは別の機構によって、マイナス鎖RNA→プラス鎖RNA→マイナス鎖RNAという順序で合成されると考えられている。その機構についてはMCM複合体などが関与していることなどは判っているが、具体的にはまだよく判っていない[31]

遺伝子の複製過程で、1万〜2万回に1回ほどの確率でミスが発生する。この確率はヒトの生物などと比べると非常に高く、新たな特徴を持つウイルスが生まれやすい原因となっている[12]

ウイルス蛋白合成

作られたウイルスmRNAは、宿主細胞のリボソームに張り付いて、ウイルス蛋白を作り出す[3]。大まかに分けて、初期タンパク質と後期タンパク質の2段階に分けて作られる。

ウイルス蛋白の内、核蛋白(NP)とポリメラーゼ(PA、PB1、PB2)は、宿主細胞の中で比較的初期に合成され、核内に移行する。核内に移行した後、ウイルス遺伝子と結合して新たなリボ核タンパク質(RNP)となり、再びウイルスmRNAと遺伝子の合成を始める[13]

一方、ウイルス蛋白の内、ヘマグルチニン、ノイラミニダーゼ、M2タンパク質は、小胞体内で比較的後期に合成され、糖鎖による修飾を受けながらゴルジ体、分泌小胞を経て、細胞膜に発現する[13]

材料の集合と粒子の再構成

全ての構成材料が揃うと細胞膜の近傍で材料が集合して、ウイルス粒子の組み立てが始まる。集合部位の細胞膜からは宿主細胞自身の膜タンパク質が排除されて、代わりにウイルスのエンベロープタンパク質が集積する。また細胞質側からM1タンパクが裏打ちするように集合し、8つの分節を1つずつ含むようにリボ核タンパク質複合体が集合する。これらの集合体は、細胞膜から出芽するような形で成長していき、最終的にエンベロープで完全に覆われたウイルス粒子が再構築され、細胞外に放出される[2]

インフルエンザウイルスの再構築の過程は、宿主細胞のタンパク質が排除されたり、8つの分節が正しく分配されることなどから、高度な分子間相互作用によって制御されていると考えられているが、その機構はまだよく判っていない。

ウイルス粒子の放出

細胞外に放出された時点でインフルエンザウイルスの粒子は既に完成されているが、むしろ完成されているが故に、そのままでは他の細胞に感染することができない。ウイルスが感染した宿主細胞の表面にも、ウイルスレセプターとなる糖鎖が多く出現しているため、そのままの状態では放出されたウイルスは直ちに元の細胞表面に結合してしまい、他の細胞に感染を広げることができないからである。

そこで感染した細胞からウイルス粒子を遊離させるために働くのがノイラミニダーゼである。ノイラミニダーゼは細胞表面の糖鎖をシアル酸残基の部分で切断する活性を持つ酵素であり、この働きによって新たに作られたウイルス粒子が感染した細胞から遊離する。[2]

このため、ノイラミニダーゼを阻害することは、インフルエンザの治療に有効であると考えられており、これを標的にした抗インフルエンザ薬が開発され臨床応用されている。2005年現在、ザナミビルオセルタミビルの二種類が実用化された。2010年にはラピアクタイナビルが世界に先駆けて、日本で上市された。ただしノイラミニダーゼもまた変異するため、これらの薬剤に対する耐性を獲得したウイルスが出現し始めている。特に小児の場合、耐性ウイルスが発生しやすく、投与された患児の最大で16%から検出されたという報告もある[32]。また2008/2009シーズンはH1N1(ソ連)のH274Y変異株の流行により、市中H1N1感染の99.6%はタミフル耐性であった[33]

ウイルスの変異

A型インフルエンザウイルスは、ウイルスの中でも特に突然変異によって変異型ウイルスが出現しやすいものの1つである。インフルエンザウイルスが変異する場合、特に重要視されるのはヘマグルチニンとノイラミニダーゼの、2種類のスパイクタンパク質の変異である。これらのスパイクタンパク質はウイルス粒子表面にあるため、ヒトに感染したときに体内の抗体が結合して中和する標的(抗原)になるが、ウイルスに変異が起こると過去の感染によって作られていた抗体と反応しなくなるため、感染を起こしやすく、また重症化しやすくなる。またヘマグルチニンが大きく変異すると、レセプターとの結合性が変わった結果として、それまでヒトに感染しなかったトリや他の動物のウイルスがヒトに感染する場合もある。この他、M2タンパク質の変異によって、抗ウイルス薬の1つであるアマンタジンに対する耐性ウイルスの出現も報告されている[28]

インフルエンザウイルスが変異を起こしやすい理由は、他のウイルスと異なり突然変異のメカニズムを2つ持っているためである。このメカニズムはそれぞれ連続変異不連続変異と呼ばれる[2]

連続変異

連続変異(抗原連続突然変異)は、抗原ドリフトとも呼ばれ、ウイルス核酸が一塩基単位で変異を起こすものである。これは、一般に言う遺伝子の突然変異と同じ機構であり、インフルエンザウイルスに限らず、他のすべてのウイルスにも共通に見られる現象である。一般に、このメカニズムによる変異はDNAウイルスよりもRNAウイルスの方が出現の頻度が高い。これは、ほとんどの細胞にはDNAに異常が生じた場合の修復機構が備わっており小さな変異が修復されやすいのに対して、RNAには修復機構が存在しないためであることに因ると言われる。インフルエンザウイルスはRNAウイルスであるため、この機構による突然変異の頻度が他のRNAウイルスと同等に高い部類に属する。

連続変異によって生じる変異は、ウイルスタンパク質のどれか1つにおいて、1つのアミノ酸が変わるなどの、比較的小さな変異であるため「ウイルスの小変異」とも呼ばれることがある。A型インフルエンザウイルスでは、同じ亜型(H1N1や、H3N2など)の内部における、変異株の違いに相当するが、変異が起きた部位がたまたまウイルスの感染性や毒性に関わる重要な部位である場合にはウイルスの性質が大きく変わる。また、小さな変異が積み重なった結果としてウイルスの抗原性が変化すると、従来のウイルスに対する抗体と反応しにくくなり、これが新型ウイルスの流行を起こすきっかけになる[2]

不連続変異

ヒトインフルエンザウィルスとブタインフルエンザウイルスの遺伝的関係性(1918年-2009年)

不連続変異(抗原不連続突然変異)は、抗原シフトとも呼ばれ、A型インフルエンザウイルスなど分節した遺伝子を持つウイルスのみに見られる突然変異の機構である。異なる亜型のウイルスが1つの細胞に同時に感染すると、細胞内で合成されたウイルス遺伝子やタンパク質が集合するときに混ざり合い、結果として元のウイルスとは異なった組み合わせの遺伝子分節を獲得した「合いの子」のウイルスが新たに生じる。例えば、H1N1とH2N2が同一細胞に感染すると、不連続変異によって理論上はH1N1, H2N2だけでなく、H1N2, H2N1という新型ウイルスが生まれることになる。

HA, NA以外のウイルス遺伝子についても同様の組み換えが起こり、結果として生じる変異が大きいため「ウイルスの大変異」とも呼ばれることがある。特に、ヒト型のウイルスと他の動物のウイルスとの間で組み換えが起きると、それまでヒトの間には存在しなかった新型のヒトインフルエンザウイルスが出現すると考えられており、実際に1957年のアジアかぜ(H2N2亜型)や1968年の香港かぜ(H3N2亜型)の出現は、この大変異によってトリ由来のウイルスがヒト型のウイルスと組み換えを起こしたことによることが、ウイルス遺伝子の研究から明らかになっている[2]

それぞれのウイルスのレセプターの違いから、トリ由来のウイルスが直接ヒトに感染、あるいは逆にヒト由来のウイルスが直接トリに感染する機会は低いと考えられており、これまでに起きた2度の大変異がどうして起きたかについては、まだ完全に証明された訳ではない。ただし有力な仮説として、トリとヒトのウイルスの両方に感受性があるブタの体内で組み換えが起きた結果、トリ由来の遺伝子がヒト(ブタ)に感染する新型ウイルスを生んだのではないかと考えられている[21]

病原性

A型インフルエンザウイルスにはHAとNAの変異が特に多く、これまでHAに16種類、NAに9種類の大きな変異が見つかっており、その組み合わせの数の亜型が存在しうる。亜型の違いはH1N1 - H16N9といった略称で表現されている。ヒトのインフルエンザの原因になることが明らかになっているのは2009年現在で、「Aソ連型」として知られているH1N1、「A香港型」として知られているH3N2、H1N2、H2N2、の4種類である。この他にH9N1、高病原性トリインフルエンザとして有名になったH5N1などのいくつかの種類がヒトに感染した例が報告されているが、ヒトからヒトへの伝染性が低かったため大流行には至っていない。しかし、いずれ新型インフルエンザが定期的に大流行を起こすことは予言されつづけている。ヒトに感染しない亜型のウイルスは鳥類や他の哺乳動物を宿主にしていると考えられている。特に水鳥ではHAとNAの組み合わせがすべて見つかっており、自然宿主として重要な地位を占めていると考えられている。同じH1N1であってもさらに細かな変異によって抗原性や宿主が異なり、年によって流行するウイルスの型は異なる。

A型インフルエンザウイルスは、ヒトの呼吸器に感染してインフルエンザの原因になる。また、高病原性(強毒性)のトリインフルエンザウイルスがニワトリなどの家禽類に感染するとトリインフルエンザ<[注釈 1]を起こす。これらの病態や症状、治療、予防方法などについては、それぞれの項を参照のこと[2]

ヒトやブタなど哺乳動物のインフルエンザにおいて、インフルエンザウイルスは発症した患者の気道上皮細胞で増殖する。ウイルス粒子は咳やくしゃみをしたときの唾液などの飛沫に混じって放出され、それがエアロゾルとなって、他の患者の気道に再び感染するという飛沫感染が、主な伝染の様式である。一方、鳥類のインフルエンザにおいては、ウイルスは消化管の上皮細胞で増殖し、新たに作られたウイルス粒子はに混じって排出される。これが乾燥して飛沫になったり、あるいは水を汚染して再びトリの体内に感染するという糞口感染がトリインフルエンザでは主な伝染経路となる。トリからブタへの種を越える感染のときもこの糞口感染が主な感染経路だと言われている。

ヒトのインフルエンザでは呼吸器症状の他に、一部の患者で合併症を起こすことがある。主な合併症は肺炎と脳炎(インフルエンザ脳症)である。肺炎については細菌との混合感染による場合が多いが、本ウイルスによる原発性ウイルス肺炎や続発性肺炎が起きることもある。細菌との混合感染は黄色ブドウ球菌、肺炎レンサ球菌、インフルエンザ菌による場合が多いが、特に黄色ブドウ球菌の場合はHAの開裂を促進するために重篤化しやすい[2]

脳炎は1-5歳の乳幼児を中心に見られ致死率は20-40%に及ぶが、このとき脳神経細胞でのウイルス増殖は認められず、脳炎の起きるメカニズムはまだ判っていない。


注釈

  1. ^ かつては家禽伝染病予防法(法律第166号)において「家禽ペスト」とされていた[34]

出典

  1. ^ a b トム・ウイン『人類対インフルエンザ』
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 中村喜代人 著「オルトミクソウイルス科」、吉田眞一、柳雄介 編『戸田新細菌学』(改訂32版2刷)南山堂、東京、2004年、784-802頁。ISBN 4-525-16012-8 
  3. ^ a b c d e f g h i j k 根路銘国昭『インフルエンザ大流行の謎』日本放送出版協会、2001年。ISBN 978-4140019078 
  4. ^ a b c d e 山本太郎『新型インフルエンザ - 世界がふるえる日』岩波新書、2006年。ISBN 978-4004310358 
  5. ^ a b c d e f クロード・アヌーン『インフルエンザとは何か』白水社、1997年。ISBN 978-4560057957 
  6. ^ environment.umn.edu The Big One[リンク切れ]
  7. ^ 感染症情報センター インフルエンザ・パンデミックに関するQ&A
  8. ^ Vijgen, Leen; Keyaerts, Els; Moës, Elien; Thoelen, Inge; Wollants, Elke; Lemey, Philippe; Vandamme, Anne-Mieke; Van Ranst, Marc (2005-02-01). “Complete Genomic Sequence of Human Coronavirus OC43: Molecular Clock Analysis Suggests a Relatively Recent Zoonotic Coronavirus Transmission Event” (英語). Journal of Virology 79 (3): 1595–1604. doi:10.1128/JVI.79.3.1595-1604.2005. ISSN 0022-538X. PMC 544107. PMID 15650185. https://jvi.asm.org/content/79/3/1595. 
  9. ^ Our Coronavirus Predicament Isn’t All That New(The Russian flu pandemic of 1889 might have actually been caused by a foe that has become all too familiar.) - Bloomberg Opinion(2020年5月16日)
  10. ^ Yamanouchi, T.; K. Sakakami, K. & Iwashima, S. (1919). “The Infecting Agent in Influenza: an Experimental Research.” The Lancet, Volume 193, Issue 4997, Page 971.
  11. ^ 山内一也「インフルエンザウイルスを最初に発見した日本人科学者」『科学』第81巻 8号、岩波書店、2011年8月、807-813頁。
  12. ^ a b c d e f g h i j k 中島捷久、沢井仁、中島節子『インフルエンザ - 新型ウイルスはいかに出現するか』PHP新書、1998年。ISBN 978-4569559568 
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 堀本研子、河岡義裕『インフルエンザ パンデミック』講談社ブルーバックス、2009年。ISBN 978-4062576475 
  14. ^ Wilson et al. Structure of the haemagglutinin membrane glycoprotein of influenza virus at 3 Å resolution, Nature 289, 366 - 373 (1981)
  15. ^ 『毒性別 新型インフルエンザ 対策完全マニュアル』93ページ
  16. ^ 新型インフルエンザ(A/H1N1)の状況と季節性インフルエンザ対策への移行について(PDF:118KB)
  17. ^ コロナ対策でインフル早期終息、来季深刻化の恐れも”. ロイター (2020年4月24日). 2020年4月25日閲覧。
  18. ^ a b c d e f 村上晋, 堀本泰介「新しい―D型―インフルエンザウイルス」『ウイルス』第67巻 2号、日本ウイルス学会、2017年、161-170頁。
  19. ^ 堀本泰介「インフルエンザウイルスの種類を教えてください」『インフルエンザ』第20巻 2号、メディカルレビュー社、2019年、88-89頁。
  20. ^ 『戸田新細菌学』32版
  21. ^ a b c d e 吉田眞一、柳雄介、吉開泰信 編「オルトミクソウイルス科」『戸田新細菌学』(改訂33版)南山堂、東京、2007年。ISBN 978-4-525-16013-5 
  22. ^ Ron A. M. Fouchier; Vincent Munster, Anders Wallensten, Theo M. Bestebroer, Sander Herfst, Derek Smith, Guus F. Rimmelzwaan, Björn Olsen, Albert D. M. E. Osterhaus (3 2005). “Characterization of a Novel Influenza A Virus Hemagglutinin Subtype (H16) Obtained from Black-Headed Gulls”. Journal of Virology (American Society for Microbiology) 79 (5): 2814-2822. doi:10.1128/JVI.79.5.2814-2822.2005. ISSN 0022-538X. PMC 548452. PMID 15709000. ISSN 1098-5514(Electronic). https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC548452/. 
  23. ^ インフルエンザウイルスについて”. これからの衛生管理. 大幸薬品. 2011年8月14日閲覧。
  24. ^ 東京大学医科学研究所 鳥インフルエンザウイルスのヒトへの感染に重要なアミノ酸変異を発見 参考図2
  25. ^ a b c 本郷誠治 新型インフルエンザ
  26. ^ 大久保聡子ら 三量体Gタンパク質を介する情報伝達における脂質ラフトの役割、薬学雑誌127(1) 27-40 (2007)
  27. ^ 西村尚子 インフルエンザウイルスが細胞内に侵入する新たなしくみを発見!、natureダイジェスト 2011年3月10日付
  28. ^ a b 辻克郎、岩橋潤、今村宜寛、吉本静志、梶原淳睦、石橋哲也、森良一、山田達夫、豊田哲也「A型インフルエンザウイルスに対する塩酸アマンタジン使用の問題点/Emergence of amantadine-resistant influenza A viruses」(PDF)『ウイルス』第51巻第2号、日本ウイルス学会、2001年12月、135-141頁、doi:10.2222/jsv.51.135ISSN 0042-6857NAID 10007862914PMID 11977753、ONLINE ISSN 1884-34332011年8月14日閲覧 
  29. ^ a b 君塚隆太, 阿部修, 石原和幸 ほか、「インフルエンザウイルス感染と細菌性プロテアーゼ」 『歯科学報』 2006年 106巻 2号 p.75-80、東京歯科大学学会
  30. ^ 関西空港検疫所 鳥インフルエンザ(H5N1型)の流行状況 (25)、2011年6月14日付
  31. ^ a b 内藤忠相ら インフルエンザウイルスレプリコンと宿主複製・転写因子」 『生化学』2009年 80巻 12号 p.1128-1133、日本生化学会
  32. ^ オセルタミビル耐性に関して良くある質問、2008年1月31日付
  33. ^ 2008/09インフルエンザシーズンにおけるインフルエンザ(A/H1N1)オセルタミビル耐性株(H275Y)の国内発生状況 第2報 (Vol.30 p.101-106: 2009年4月号)
  34. ^ 家禽ペスト呼称の改定について 日本養鶏協会 平成15年6月13日
  35. ^ Influenza B Virus in Seals(Osterhaus, A.D.M.E. et al., Science 288: 1051-1053 (May 12, 2000)。2011年8月14日閲覧
  36. ^ オランダの研究者がアザラシからB型インフルエンザウイルスを発見 by Michael D. O'Neill(BioBEAT) 2011年8月14日閲覧
  37. ^ 海洋哺乳類のインフルエンザウィルス感染のモニタリング カスピ海アザラシにおけるインフルエンザウィルス抗体の検出 -大石 和恵 海洋環境国際共同研究プロジェクト 国際会議「人間と海」〜沿岸環境の保全〜 (平成14年7月8日〜7月12日、東京・盛岡・大槌)2011年8月14日閲覧[リンク切れ]
  38. ^ a b c d 『戸田新細菌学』32版 787, 799-801ページ
  39. ^ a b c d 『戸田新細菌学』33版 782-791
  40. ^ 岡田晴恵 著、田代眞人 監修『毒性別 新型インフルエンザ対策完全マニュアル』ダイヤモンド社 2020年 - 第4章 感染予防対策
  41. ^ 新型インフルエンザ流行時の日常生活におけるマスク使用の考え方(PDF) - 新型インフルエンザ専門家会議2008年9月22日資料
  42. ^ 瀬名秀明『インフルエンザ21世紀』文春新書 2009年
  43. ^ 【日本感染症学会速報】 インフルエンザの迅速診断キット、検体は咽頭より鼻腔から採取を 日経メディカル2002.04.13 2011年8月14日閲覧。
  44. ^ インフルエンザ迅速診断キット(relenza.jpインフルエンザオンライン)
  45. ^ [医療従事者向け インフルエンザQ&A 2008版 2011年8月14日閲覧。
  46. ^ a b c 国立感染症研究所 病原体検出マニュアル[リンク切れ]、平成15年12月9日付
  47. ^ ノバルティスファーマ 新型インフルエンザワクチンに関するお知らせ
  48. ^ 感染症情報センター インフルエンザの検査について[リンク切れ]、2011年3月付
  49. ^ a b c インフルエンザワクチンの作用メカニズムを解明 2010.04.04 大阪大学免疫学フロンティア研究センター
  50. ^ a b 永田恭介, 奥脇暢 編『目的別で選べるタンパク質発現プロトコール』羊土社、2010年。ISBN 978-4758101752 
  51. ^ Kimple et al Overview of Affinity Tags for Protein Purification[リンク切れ], 2002






インフルエンザウイルスと同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「インフルエンザウイルス」の関連用語

インフルエンザウイルスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



インフルエンザウイルスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのインフルエンザウイルス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS