ペンキ絵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 22:09 UTC 版)
大正元年(1912年)に東京神田猿楽町にあった「キカイ湯」の主人が、画家の川越広四郎に壁画を依頼したのが始まりである。これが評判となり、これに倣う銭湯が続出し、銭湯といえばペンキ絵という観念を生じるに至った。なお、正確には東日本、特に関東地方の銭湯に特有のものであり、西日本の銭湯では浴槽が浴室の中央に設計されることが多いこともあり、壁面にペンキ絵はほとんど無い。図柄は浴場の主人による注文が基本であるが、富士山を主体とした図柄は男湯の浴室正面の壁面に描かれることが多く、女湯の浴室のペンキ絵は、富士山でなく幼児や子供が喜ぶ汽車や自動車が描かれることが多い。ペンキ絵師は、丸山清人と中島盛夫、田中みずき(早川利光は2009年(平成21年)4月13日逝去)ら3人(2018年7月時点)。 2006年(平成18年)5月に閉館した交通博物館のパノラマ模型運転コーナーの背景壁絵のリニューアルの際(平成14年(2002年))にも、銭湯のペンキ絵の絵師によって、富士山などを主体とした山々が連なるペンキ絵が描かれた。
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