VisiOnとは? わかりやすく解説

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VisiOn

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/15 14:46 UTC 版)

VisiOn は、ビジコープが開発したGUIベースのオペレーティング環境であり、PC/AT互換機MS-DOSの初期のバージョンで動作した。VisiOn が人気となることはなかった(当時としては要求されるシステム構成が大きすぎた)が、Windowsの開発に影響を与えた。

歴史

背景

1981年春、Personal Software(後のビジコープ)は VisiCalc の成功によって潤っていた。そんな中、経営陣は今後の経営計画を練っていた。Ed Esber は VisiCalc と一緒に販売できるファミリ製品のコンセプトを提案したが、名前を似せる以外に機能的に連携できる製品がなかった。例えば、VisiPlot で VisiCalc のデータをグラフ化する場合、データを一旦 raw 形式でエクスポートして、再度インポートする必要があった。

Dan Fylstra 主導で、ユーザーのニーズを満たすにはどのように製品を連携させればよいかという技術的議論がなされた。彼らは3つの鍵となる概念を定めた。1つは汎用のデータ交換であり、各製品で共通のデータ構造をサポートするというものである。もう1つはユーザインタフェースの共通化である。最後の1つは、あるプログラムを終了させて別のプログラムを起動するまでの時間の短縮であった。MS-DOS はシングルタスクであったため、例えば VisiDex で何かを参照するには VisiCalc での編集中のデータをセーブして終了させる必要があり、その後、再度 VisiCalc を再起動していた。この一連の操作をもっと単純化しようというのである。

VisiOn の誕生

1981年6月、ゼロックスXerox Star ワークステーションを発表した。その時点でアップルコンピュータがゼロックスのマシンの低価格版ともいうべきコンピュータを開発中であることは公然の秘密だった(後の Lisa)。Personal Software 社長 Terry Opdendyk はテキサス州で単純なGUIを開発中の2人 Scott Warren と Dennis Abbe を知っており、彼らを Personal Software の本社(カリフォルニア州サニーヴェイル)に招いた。彼らは非力な TRS-80 上の Smalltalk のデモンストレーションを行い、同社の従業員に強烈な印象を与えた。

即座に契約が結ばれ、"Quasar" の開発がすぐさま開始された。名称は後に VisiOn に改められた。これは、"vision"(未来像)と同社の製品で採用されている "Visi" という接頭辞をかけたものである。Apple III への移植は同年11月に完了し、その後各種クロスコンパイラが揃っている DEC VAX 上で開発作業が行われた。1982年初め、Personal Software は社名をビジコープ(VisiCorp)とし、同社の社運を VisiOn に賭けたのである。

VisiOn は最近のGUIが持つ多くの機能を備えており、しばらく一般化しなかったような機能も持っていた。完全マウス駆動で、テキストもグラフィックスもビットマップ表示であり、オンラインヘルプを備え、一度に複数のプログラムを起動でき、それぞれを個別のウィンドウで表示した。しかし、VisiOn にはグラフィカルなファイルマネージャがなかった。また、高速なアプリケーション切り替えには仮想記憶システム実装のためのハードディスクドライブを必要とし、当時のハードディスクは非常に高価だった。

COMDEXデモ

ビジコープの Tom Powers (新しいマーケティング担当副社長)は、1982年秋の COMDEX でこのシステムのデモンストレーションを行わせた。まだ出荷できる品質でないことから社内からは心配する声もあったし、即座に出荷できないと顧客や販売業者が待ちくたびれるという懸念もされた。また、同じショーで VisiWolrd もリリースされる予定となっていて、混同されることを恐れる声もあった。Powers は強引に作業を進め、IBM も事前に鳴り物入りで新製品を発表することで発売するころまでに新たな市場を作ってきたではないかと主張した[要出典]

COMDEX でのデモンストレーションは大成功を収めた。観客に対して、これがムービーなどではないことを説明しなければならなかった。ビル・ゲイツは、その PC が VAX などの他のマシンの単なる端末として動作しているのではないかと疑った。VisiOn は当時の業界の話題を独占した。しかし、この成功がいくつかの深刻な問題を引き起こすことになる。

まず、VisiOn の出荷日を知りたいという要望が多く寄せられ、ビジコープは 1983年夏のリリースであると発表した。しかし、その時点で開発者らはその時期の出荷が無理であると考えていた[要出典]。1983年初め、最大限に努力しても第4四半期のリリースがぎりぎりであることが明らかとなり、その時点で業界はこれがベーパーウェアであると判断していた[要出典](ただし、ベーパーウェアという用語は当時は一般化していなかった)。

企業内戦

VisiOn の開発が続けられている間、ビジコープは崩壊の過程にあった。初期のベンチャーキャピタルの投資者らが選んだ社長 Terry Opdendyk は極めて独裁的な経営スタイルであり、多くの重要な経営陣がそれに反発して辞めていった。1981年末ごろから VisiOn のリリースまでに同社の製品管理関係者はほとんど辞めている。例えば、VisiCalc の開発責任者であったミッチ・ケイパー、Ed Esber、Roy Folk などである。報道はこれを "corporate civil war"(企業内戦)と呼んだ。

中でもミッチ・ケイパーの離脱は大きな痛手だった。ケイパーは VisiPlot や VisiTrend の開発者であり、新たな進化した表計算ソフトの開発を主張したが、Opdendyk は興味を示さなかった。当時、VisiCalc の売り上げは右肩上がりだったが、開発部門は袋小路に突き当たっていた。ケイパーが退職を決めたとき、他の経営陣は「統合型表計算ソフト」の他所での開発を禁じることを勧めたが、Opdendyk は「ケイパーはスパゲッティプログラマだ」と彼の才能を誹謗し、取り合わなかった。

ケイパーは Lotus 1-2-3 をリリースし、1983年には VisiCalc の主な競合製品に成長させた。同年末、ビジコープの売り上げは半減した。主な経営陣の離脱と VisiCalc 開発者との争いにより、ビジコープは深刻な財政難に陥った。同社に残された唯一の希望は VisiOn だけだった。

リリース

VisiOn は予定より数ヶ月遅れて、1983年12月にリリースされた。VisiOn Applications Manager(基本オペレーティングシステム)は $495 で、マウスの購入には $295 が別途必要だった。その上で動作する3つのアプリケーションも同時にリリースされている。VisiOn Calc表計算ソフト)は $395、VisiOn Graph は $250、VisiOn Wordワードプロセッサ)は $375 であった。全部をパッケージにしたセットが $1765 であった。

しかし、VisiOn 導入時の主なコストはむしろマシンの方にあった。VisiOn は 2.2MB 以上のハードディスク容量を必要とし、当時市販されていた装置で言えば最低でも 5MB のハードディスク装置を必要とした。これを含めると、VisiOn 導入に必要となる費用は $7500 となる。

メディアは「オペレーティングシステムの最終形態」とまで言って、この製品を賛美し続けた。しかし、エンドユーザーにはそれほど受け入れられなかった。それは費用の問題だけでなく、性能に問題があったためでもある。当時のパーソナルコンピュータはせいぜい1つか2つのアプリケーションを搭載して利用されることが多く、VisiOn の存在意義は大きくはなかった。

一ヵ月後、アップルコンピュータMacintosh をリリースし、大々的に宣伝された。もっとも、最初の Mac にはアプリケーションがほとんど無く、特に表計算ソフトが無かった。しかし、Mac は高性能で安価であり、グラフィカルなファイル管理プログラム(Finder)があり、見た目も好まれた。VisiOn と Macintosh は直接競合することはなかった(VisiOn はPC互換機向けだったため)が、VisiOn が提供できなかった高速性と利便性の両立を Macintosh は成し遂げていた。

さらなる問題として、ビル・ゲイツが1984年5月に Microsoft Windows をリリースすることを発表した。発表時、同様な機能をハードディスク無しで実現し、費用はたったの $250 とされたため、業界の流れがいっきに変わった。皮肉なことに Windows のリリースは VisiOn よりも遅延して 1985年11月となり、VisiOn がハードディスクを必要とする原因となったマルチタスク機能を欠いていた。

VisiOn の売り上げは見る見る減少した。1985年2月、ビジコープは基本OSを $99 にしたが売り上げは改善せず、当然アプリケーションも売れなかった。全部をバンドルしたパッケージが $990 とされたことで状況は一時的に好転したが、売り上げは予測ほど伸びず、Lotus 1-2-3 にシェアを奪われ続けた。

VisiCalc の売り上げの減少と VisiOn の低迷により、1985年11月、同社は Paladin Software と合併し、名称は Paladin の方が存続することとなった。

技術的情報

VisiOn は Intel 8086 CPU を使った IBM PC(互換機)で動作した。512 KBの RAM と 5 MB のハードディスクドライブが必要とされた。CGA 640×200 のモノクログラフィックスモードで動作する。同時に複数のアプリケーションを実行できる。オンラインの文書やヘルプファイルが組み込まれている。また、マウスを必要とした。

C言語のサブセットで書かれており、VisiOn 向けのアプリケーションはUNIXへの移植も可能とされていた(移植された例はない)。1984年、ビジコープの資産はCDCに売却された。

関連項目

外部リンク


20世紀Jr.

(VisiOn から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/02 08:15 UTC 版)

20世紀Jr.
別名 VisioN
出身地 日本
活動期間 1988年 - 1993年
レーベル 徳間ジャパンコミュニケーションズ
メンバー 土橋雅樹(ボーカル
岡崎敏之(ギター
高橋輝(ベース
鳥山健明(ドラム

20世紀Jr.(にじゅっせいきジュニア)は、ボーカルの土橋雅樹を中心に1988年に結成された音楽ユニット。後にVisioNに改名、解散している。

経歴

1988年徳間ジャパンコミュニケーションズよりシングル「シリアス」でデビュー。3rdシングル「Everything Will Be Allright」ではマツダキャロル」CMソングに使用された。

1992年にバンド名をVisioNに改名、シングル「君を探して」をヴァージン・ジャパンよりリリース。同年、改名後2枚目となるシングル「ラヴ・シーカー CAN'T STOP IT」は、テレビアニメらんま1/2 熱闘編』オープニングテーマに使用された。

1993年4月21日のシングル「グロリアス」、アルバム『VisioN-I』・『WONDROUS』の3枚同時リリースを最後に解散した。

メンバー

  • 土橋雅樹
ボーカル担当。
  • 岡崎敏之
ギター担当。北島健二・坂本竜太とギターバンド「Gom」を結成。
  • 高橋輝
ベース担当。
  • 鳥山健明
ドラム担当。

ディスコグラフィー

シングル

20世紀Jr.
1st シリアス 1988.10.25 01. シリアス
02. ハートはデリカシー
徳間ジャパンコミュニケーションズ
2nd Song for you 1988.11.25 01. Song for you
02. Side-Seat Lovers
徳間ジャパンコミュニケーションズ
ワーナー・ランバート「トフィール」CMソング
3rd Everything Will Be Allright 1989.11.22 01. Everything Will Be Allright
02. 20th Century's Magic
徳間ジャパンコミュニケーションズ
マツダマツダ・キャロル」CMソング
VisioN
1st 君を探して 1992.3.21 01. 君を探して
02. すべて君しだい
ヴァージン・ジャパン
2nd ラヴ・シーカー CAN'T STOP IT 1992.4.29 01. ラヴ・シーカー CAN'T STOP IT
02. ラヴ・シーカー CAN'T STOP IT
ヴァージン・ジャパン
テレビアニメらんま1/2熱闘編』オープニングテーマ
3rd 明日へのロング・ウェイ 1992.10.21 01. 明日へのロング・ウェイ
02. 燃ゆる想い
メディア・レモラス
4th グロリアス 1993.4.21 01. グロリアス
02. 心のホームタウン

アルバム

20世紀Jr.
1st 20Century's Magic 1988.11.25 01. Tell Me True
02. 危険な関係
03. シリアス
04. -20℃
05. Song For You
06. 立ち止まるブルー
07. ずっとずっとMY MIND
08. パントマイムの夜
09. SQUALL
10. Side-Seat Lovers
徳間ジャパンコミュニケーションズ
2nd 直立猿人 〜ELECTOS#1〜 1989.11.25 01. secret feeling
02. I wanna dream
03. be my toy
04. still…ぼくはまだ眠りたい
05. 20th century's magic
06. say!
07. オマエがキライ
08. everything will be allright
09. hold your hand
10. no surrender
VisioN
1st VisioN-I 1992.3.12 01. デザイアー・フォー・コミュニケーション
02. 君を探して
03. グッドバイ・ハートエイク
04. ストレンジ・ナイト
05. ガンコ親父とロック・スター
06. ミラージュ
07. 革命はいかが
08. 永遠のハーモニー
ヴァージン・ジャパン
2nd VisioN-II 1992.11.20 01. ボン・ボヤージュ
02. 明日へのロング・ウェイ
03. ラブ・シーカー
04. ロンリー・ファイター
05. 輝ける日のために
06. デイドリーム
07. 密室のサーカス
08. すべて君しだい
09. ときめきの予感
10. 未来へ
メディア・レモラス
3rd WONDROUS 1993.4.21 01. シルバー・レイン
02. 彼女に夢中さ
03. 君にもう一度
04. ディスタンス
05. 恋をしようよ
06. 愛してると言えなくて
07. 夜を越えて
08. ビリーブ
09. ロック・オン
10. 夜の続き
11. グロリアス

関連項目

外部リンク

脚注


ビジョン

(VisiOn から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/06 08:14 UTC 版)

ビジョンヴィジョン(vision)

意味

  • 英語視覚視力、洞察(先見)、展望、構想、空想、幻影、映像などを意味する。形容詞形はビジュアル (visual)。
    • ビジョン - 経営における用語。事業者が近い将来に達成すべき姿。戦略および方針管理が目指すよりどころ。

商標など

企業・団体

作品名

音楽

映画

放送番組

架空

関連項目



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