西竹一
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西 竹一(にし たけいち、1902年〈明治35年〉7月12日 - 1945年〈昭和20年〉3月22日)は、日本の陸軍軍人、華族。最終階級は陸軍大佐。爵位は男爵。愛称はバロン西(Baron Nishi)[1]。
注釈
- ^ 乃木希典陸軍大将が学習院院長のとき、華族の斜陽化を憂えて華族の子供は軍人を目指すように言ったことに影響されたという説がある。
- ^ 世界大会での使用に耐え得る一流の馬術競技馬は、少なくとも現代においては億円単位の値段が付けられるほどの高い価値を持つ存在である。
- ^ 帝国陸軍の機甲部隊や飛行部隊(陸軍飛行戦隊#部隊マーク)では、部隊マークを考案して所属兵器に描く文化があり、一例として占守島の戦いで活躍した11TKの(士魂の)「士」の文字、フィリピン防衛戦における9TKの「菊水」の紋、11FRや50FRの「稲妻・電光」の図案、64FRの「斜め矢印」の図案などが存在する。
- ^ のち第百生命会長。
- ^ 帝国陸軍において将校の軍装品は自身の嗜好で調達する私物であり、高級将校や西のような上流階級出身者は特に高級なテーラー・メイド品を使用していた。「軍服 (大日本帝国陸軍)」参照。
- ^ 西のロス五輪時の大会付き人。当時の米国では反日感情が強くバートレットも日本人に付くのを嫌がっていたが、西の人柄に互いに打ち解け、のち西が俳優らとのパーティーに連れて行った際に映画人を紹介した。
出典
- ^ a b c d e 硫黄島で戦死 五輪馬術金メダリスト「バロン西」のむち 遺族の手に/米で保管国境飛び越え友情つなぐ『北海道新聞』夕刊2021年8月12日1面
- ^ 『官報』第8632号(明治45年4月1日)
- ^ 大野 1984, pp. 97–98
- ^ 三上孝道『これだけは知っておきたい(11) オリンピックの大常識』(株式会社ポプラ社、2004年)96ページ、ISBN 4-591-08135-4
- ^ 川崎大次郎篇『私の履歴書』
- ^ 梯久美子『文藝春秋』2007年2月号
- ^ “伝説の五輪メダリスト・バロン西の壮絶死の「伝説」が、日本人の心の支えとなった理由 最後の証言者が語る【後編】”. 現代ビジネス. 2023年8月22日閲覧。
- ^ 『硫黄島』(1973年)。1:27:00- 参照。
- ^ a b “バロン西と愛馬ウラヌス物語”. 北海道大学馬術部. 2018年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月20日閲覧。
- ^ a b “バロン西のむち返還 馬術「金」、日本の遺族に”. 時事ドットコム. 時事通信 (2021年7月5日). 2021年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月19日閲覧。
- ^ a b “マシ・オカ氏がバロン西氏の馬鞭を遺族に返還”. 在ロサンゼルス日本国総領事館. 2022年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月8日閲覧。
- ^ 「戦没オリンピアン 友情今も:馬術金の「バロン西」遺族に鞭返還」産経新聞 2021年8月10日夕刊
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