スタン・ルイス
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スタン・ルイス
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| 生誕 | スタンリー・ジョセフ・ルイス 1927年7月5日 |
| 死没 | 2018年7月15日(91歳没) |
| 職業 | レコードレーベル・オーナー |
| 著名な実績 | ジュウェル・レコード 創業者 |
スタン・ルイス (Stan Lewis) として知られた、スタンリー・ジョセフ・ルイス(Stanley Joseph Lewis、1927年7月5日 - 2018年7月15日)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州シュリーブポートのレコードレーベル・オーナー。
経歴
ルイジアナ州シュリーブポートに生まれたルイスは、1948年に、スタンズ・ミュージック・ショップ (Stan's Music Shop) を地元で開業した。事業は拡大し、6店舗を構え、全国への通信販売、流通の体制が組まれ、複数のレコードレーベルを擁するに至った。
ルイスは、アトランティック・レコード、チェス・レコード、スペシャルティ・レコードなどの独立レコードレーベルから集めたリズム・アンド・ブルースのレコードを配給し、自ら運営する通信販売事業やシュリーブポートのラジオ局 KWKH、アーカンソー州リトルロックの KAAY、さらには、ジョン・Rがテネシー州ナッシュビルの WLAC-AM で毎夜放送していた人気番組などに、広告を打った。まだ若かったエルヴィス・プレスリー、バディ・ホリー、ボブ・ディランは、いずれもルイスの顧客であった。
1954年、ルイスはリズム・アンド・ブルースやロックンロールのレコードのプロデュースを始めた。その第一弾は、チェッカー・レコードからリリースされたローウェル・フルソンの「Reconsider Baby」であった。1957年、ルイスはヒット曲となった「スージーQ (Susie Q)」の共作者として、スタンズ・ミュージック・ショップの従業員だったデイル・ホーキンズと共に名を連ね、この曲はルイスの娘スーザン (Susan) に捧げられたものと喧伝された[1][2]。ホーキンズによれば、ルイスは実際には、曲作りにはいっさい関わっていなかったという[3]。
1964年、ルイスはジュウェル・レコード (Jewel Records) を設立して、レコードのリリースを始め、さらに続けて「ポーラ (Paula)」、「ロン (Ronn)」といった傘下のサブレーベルも設けた。以降、20年以上の間に、これらのレーベルは、合わせて 1,000 点以上のリリースを、45回転盤、LP盤、オープンリール、8トラック、カセットテープ、コンパクトディスクなど多様なフォーマットで、リズム・アンド・ブルース、ゴスペル、ロック、ポップ、カントリー、ジャズ、コメディなど多様なジャンルで展開した。その中には、フォンテラ・バス、バスター・ベントン、ブレイディ・L・ブレード、ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ、ファイブ・ブラインド・ボーイズ・オブ・ミシシッピ、チャールズ・ブラウン、カーター・ブラザース (Carter Brothers)、ボビー・チャールズ、ジミー・デイヴィス、クレイ・エヴァンス、クラレンス・ファウンテン(Clarence Fountain、ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマのメンバー)、C・L・フランクリン、ジョン・フレッド・アンド・ヒズ・プレイボーイ・バンド、フランク・フロスト、ローウェル・フルソン、ミッキー・ギリー、ペパーミント・ハリス、ジョン・リー・フッカー、ライトニン・ホプキンス、ジョニー・L・ジョーンズ (Johnny L. Jones)、ピッグミート・マーカム、オリス・メイズ、ジェリー・マケイン、トゥーサン・マッコール、メンフィス・スリム、ウィリー・モーガンフィールド、ドロシー・ノーウッド、ボビー・パターソン、ボビー・ラッシュ、ザ・ソウル・スターラーズ、ジョー・スタンプリー・アンド・ザ・ユニークス、ナット・スタッキー、リトル・ジョニー・テイラー、テッド・テイラー、トラヴェリング・エコーズ (Traveling Echoes)、ビッグ・ジョー・ターナー、アイク&ティナ・ターナー、ヴァイオリナリーズ (Violinaries)、ジャスティン・ウィルソン (Justin Wilson)、ヤング・ホルト・アンリミテッドらが含まれていた。中でも一番成功したのは、1968年にルイジアナ州バトンルージュ出身のバンド、ジョン・フレッド・アンド・ヒズ・プレイボーイ・バンドが出した「Judy in Disguise (With Glasses)」であった[1]。
1973年、ルイスの事業は拡大を続け、『ビルボード』誌が、ルイスのことを、地域における最大の貨物利用者、最大の電話利用者、アメリカ合衆国郵政省の最大の顧客であると報じるまでになっていた[4]。事業は、200人以上の従業員の助けを得て、運営されていた。当時、ルイスは、600以上のレコードレーベルの配給を扱い、他のさまざまなレコード店に商品を供給していた[4]。1972年には、ルイスは250万枚のシングルと、47万枚のアルバムを販売していた[4]。
1983年、ルイスは破産した。1999年には、EMusic.com が、ジュウェル・レコード傘下の諸レーベルの原盤権を買い取ったが、ルイスは個人としてのソングライティングの権利を保持した。
栄誉
ルイスは、2003年に『オフビート (OffBeat)』誌から、生涯功績賞 (Lifetime Achievement Award) を受賞し、2009年にルイジアナ音楽の殿堂 (Louisiana Music Hall of Fame) 入りを果たし、2014年から2016年まで、毎年、シュリーブポート地域芸術評議会 (the Shreveport Regional Arts Council) が主催した、3回のスタン・「ザ・レコード・マン」・ルイス・フェスティバル (Stan "The Record Man" Lewis festival) で栄誉を讃えられた[2]。
彼は、2018年7月に91歳で死去するまでシュリーブポートに住み続けた[2]。
脚注
- ^ a b Ed Hogan, Biography, Allmusic.com. Retrieved 16 July 2018
- ^ a b c Matt Parker, "Local Legend Stan 'The Record Man' Lewis Has Died", 710KEEL.com, July 15, 2018
- ^ Marty Jones, "Say That You'll Be True", Westword.com, October 12, 2000. Retrieved 17 July 2018
- ^ a b c Williams, Bill (August 11, 1973). “Stan Lewis Sets Records With His Operation”. Billboard: 21–36.
外部リンク
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