北山清太郎
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北山 清太郎(きたやま せいたろう、1888年3月3日 - 1945年2月13日)は、下川凹天、幸内純一と並び称せられる「日本初のアニメーション作家」のひとりである[1]。水彩画家、雑誌編集者、そして同時代の若い画家たちを支援した人物でもあった[1][2][3][4]。日本水彩画会大阪支部代表、日本洋画協会を設立し美術雑誌を発刊、展覧会開催を行った。美術の世界を離れたあと、アニメの世界に転向、北山映画製作所を設立した。
注釈
出典
- ^ a b c d e 日本アニメーション映画史、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年6月8日閲覧。
- ^ a b c 北山, 清太郎, 1888-1945、国立国会図書館、2012年6月8日閲覧。
- ^ a b 北山清太郎、日本映画データベース、2012年6月8日閲覧。
- ^ 津堅、p.16.
- ^ a b 津堅、p.18-19.
- ^ a b 津堅、p.22-23.
- ^ 津堅、p.242.
- ^ 津堅、pp.61-65
- ^ 津堅、pp.80-82。なお、日活へ入ったのは1915年(大正4年)や1916年(大正5年)とする異説もある。津堅、88-90。
- ^ a b c 津堅、p.126-127.
- ^ 猿と蟹 (サルとカニの合戦)、日本映画データベース、2012年6月8日閲覧。
- ^ a b c d 津堅、p.142-143.
- ^ a b 津堅、p.237.
- ^ “国産動画 - むかし話アニメ|玩具映画フィルム|おもちゃ映画ミュージアム”. おもちゃ映画ミュージアム. 2023年10月14日閲覧。
- ^ a b 発掘されたアニメーション映画、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年6月8日閲覧。
- ^ 兎と亀、日本映画データベース、2012年6月8日閲覧。
- ^ a b c d “約100年前に制作 国産アニメーションのフィルム見つかる”. NHK (2024年5月5日). 2024年5月13日閲覧。
- ^ a b c 『令和4年度文化庁委託事業「アーカイブ中核拠点形成モデル事業」(撮影所等における映画関連の非フィルム資料)報告書』特定非営利活動法人映像産業振興機構、2023年、20頁 。
- ^ a b c “北山清太郎のアニメーション発見! 幻のアニメーション映画『口腔衛生』”. NPO法人 古き良き文化を継承する会 (2024年5月5日). 2024年5月13日閲覧。
- 1 北山清太郎とは
- 2 北山清太郎の概要
- 3 ビブリオグラフィ
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