北山河
北山河の俳句 |
子を連れてアイスクリーム食ひしのみ |
苗代の足跡苗代ある限り |
北山河
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/07 09:04 UTC 版)
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北 山河(きた さんが、1893年 - 1958年)は、日本の俳人。極刑者に俳句を教えていた。本名、北 楢太郎。
1893年(明治26年)7月28日、京都で産まれ、楢太郎と名付けられた。1907年(明治40年)9月頃、家族と共に大阪に引っ越し、父と菓子店の営業を始める。この頃から俳句に興味を持ち、芦田秋窓に師事。号は北星。1927年(昭和2年)7月、芦田秋窓を主幹とし、俳誌『大樹』を創刊する。1936年、『大樹』主幹となり、号を山河と改号した。1958年(昭和33年)12月5日、狭心症で亡くなる。享年65。
山河に指導を受けた死刑囚は68名おり、無期の受刑者などにも俳句を指導していた。
参考文献
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- 上田都史『近代俳人列伝 第二巻』永田書房、1987年、ISBN 978-4-8161-0485-5
固有名詞の分類
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