SS郵便警備隊の軍事的側面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 10:09 UTC 版)
「郵便警備隊」の記事における「SS郵便警備隊の軍事的側面」の解説
1942年5月以降、郵便警備隊から編成されたいわゆる遠隔地郵便隊(Fernkraftpost)が東部戦線などに派遣された。正式にはドイツ帝国郵便前線支所(Fronthilfe der Deutschen Reichspost)という名称で、戦地における郵便業務を担っていた。前線支所はSS長官幕僚司令部(ドイツ語版)(Kommandostab RFSS)の指揮下で各SS師団に配置された。 その後、前線支所の職員からドイツ帝国郵便SS予備大隊(SS-Sicherungs-Bataillone der Deutschen Reichspost)の編成が行われた。オーベルクライン(Oberkrain)、南シュタイアーマルク(Südsteiermark)、白ルテニア(Weißruthenien)など、東方の占領地にてナチス・ドイツの占領および絶滅政策に直接関与していたとされる。 第二次世界大戦末期の1945年4月12日、予備大隊の隊員がラインラントにおける焦土作戦の一環として、工場施設やランゲンベルク通信塔(ドイツ語版)の爆破を実行した。これにより周辺地域の通信は完全に麻痺した。 戦後のニュルンベルク裁判において、ある郵便警備隊員は「郵便警備隊はドイツ国内を主たる活動範囲とし、前線活動は限られたものだった」と証言した。しかしこれは郵便警備隊がSS作戦本部およびSS本部の影響下にあった事実や、武装SSの戦争犯罪に予備大隊が関与していた事実と矛盾している。ニュルンベルク裁判で郵便警備隊はSSの一部局たる犯罪組織と見なされた。 1949年、ドイツ連邦郵便(ドイツ語版)は、類似の任務を担う組織として配達護衛局(ドイツ語版)を設置した。
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