SS所属武装擲弾兵旅団「シャルルマーニュ」警備・訓練中隊
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1944年9月末から10月初旬にかけて、フランスSS部隊総監グスタフ・クルケンベルクSS少将(SS-Brigf. Gustav Krukenberg)はSS所属武装擲弾兵旅団「シャルルマーニュ」の将兵の模範となるべきエリート歩兵部隊として、旅団のドイツ人部署であるフランスSS部隊査察部(Inspektion der Französischen SS-Verbänd)に「警備・訓練中隊」(Wach-und Ausbildungskompanie)を創設した。 初代中隊長クリスティアン・マルトレSS義勇連隊付上級士官候補生(SS-Frw. StdObJu. Christian Martrès:1944年11月9日付でSS義勇少尉任官)の下、創設当初の警備・訓練中隊は30名編成の小隊3個で構成されていた。そのうち2個小隊はドイツ海軍第28海軍基幹(訓練)大隊第2中隊出身のフランス人義勇兵で構成されており、第1小隊長はフランソワ・アポロ武装曹長(W-Oscha. François Appolot)が務め、ウジェーヌ・ヴォロ武装伍長は第2小隊長を務めた。 SS所属武装擲弾兵旅団「シャルルマーニュ」フランスSS部隊査察部所属警備・訓練中隊(Wach-und Ausbildungskompanie der Inspektion / Waffen-Grenadier-Brigade der SS „Charlemagne“):1944年10月 ヴィルトフレッケン演習場 中隊長 クリスティアン・マルトレSS義勇連隊付上級士官候補生(SS-Frw. StdObJu. Christian Martrès) 第1小隊 フランソワ・アポロ武装曹長(W-Oscha. François Appolot) 第2小隊 ウジェーヌ・ヴォロ武装伍長(W-Uscha. Eugène Vaulot) 第3小隊 エドモン・シャルルSS義勇曹長(SS-Frw. Oscha. Edmond Charles) この時期、ヴォロは中隊長マルトレSS義勇連隊付上級士官候補生に気に入られて曹長(Oberscharführer)への昇進推薦を受けたが、この推薦はフランスSS部隊査察部によって却下された。 1944年11月初旬(11月9日から数日後)、第5SS装甲師団「ヴィーキング」出身の歴戦のドイツ人将校ヴィルヘルム・ヴェーバーSS中尉(SS-Ostuf. Wilhelm Weber)が警備・訓練中隊に着任した。初代中隊長クリスティアン・マルトレSS義勇少尉はヴェーバーSS中尉との衝突・対立が原因で第57SS所属武装擲弾兵連隊本部へ転属となり、以後の警備・訓練中隊は新たな中隊長ヴェーバーSS中尉の過酷な訓練プログラムによって徹底的に鍛え上げられた。
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