Prince Tomislav of Yugoslaviaとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Prince Tomislav of Yugoslaviaの意味・解説 

トミスラヴ・カラジョルジェヴィチ

(Prince Tomislav of Yugoslavia から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/26 06:36 UTC 版)

トミスラヴ・カラジョルジェヴィチ
Томислав Карађорђевић

出生 (1928-01-29) 1928年1月29日
ユーゴスラビア王国ベオグラード
死去 (2000-07-12) 2000年7月12日(72歳没)
セルビアトポラ
配偶者 マルガレーテ・フォン・バーデン
  リンダ・ボニー
子女 ニコラ
カタリナ
ジョルジェ
ミハイロ
父親 ユーゴスラビア王アレクサンダル1世
母親 マリア・デ・ロムニア
テンプレートを表示

トミスラヴ・カラジョルジェヴィチセルビア語:Томислав Карађорђевић, 1928年1月29日 - 2000年7月12日)は、旧ユーゴスラビア王国の王族。アレクサンダル1世とその妻マリア王妃の第二子、次男。

生涯

母のマリアと
左からペータル・トミスラヴ・アンドレイ

トミスラヴは1928年1月19日、セルビア正教会が使用するユリウス暦で神現祭に当たる日に、ベオグラードの王宮で生まれた。「トミスラヴ」の洗礼名は中世クロアチアの英雄トミスラヴ王に因むものである。 トミスラヴの誕生時、父はまだセルブ・クロアート・スロヴェーン王国の国王であった。母はルーマニア王フェルディナンド1世の次女であり、その母(トミスラヴの祖母)ルーマニア王妃マリアイギリス女王ヴィクトリアの次男エディンバラ公アルフレッドの長女であったため、誕生時のイギリスの王位継承権は16位であった[1]

トミスラヴはベオグラードの王宮で初等教育を受け、その後イギリスに留学し、1937年から1941年までサリー州コバムにあるサンドロイド校で、1941年から1946年までアウンドル校で、1946年から1947年までケンブリッジ大学クレア・カレッジで学んだ。この間、兄の国王ペータル2世第2次世界大戦の開始と同時に枢軸国の侵略を受けてイギリスに亡命し、1945年にユーゴスラビア王国は共産主義政権の成立に伴って消滅した。

ケンブリッジ大学を出た後、王族としての身分を失ったトミスラヴは果樹栽培で身を立てることにした。トミスラヴは農業大学に通う傍ら、ケント州の果樹園で作男として働いた。トミスラヴは1950年にウェスト・サセックスの農場を買い取り、リンゴ農園を経営した。

共産主義政権の崩壊後、トミスラヴは旧ユーゴスラビア王族の中では最も早く父祖の国セルビアに帰国し、祖父ペータル1世オプレナツに建てていた屋敷に住んだ。やがてこの屋敷にはアレクサンダル1世の子供の中で唯一生き残っているトミスラヴ王子に会いたいという人々が押し掛けるようになった。

トミスラヴは妻のリンダと一緒にたびたびセルビア共和国およびクライナ・セルビア人共和国の兵士たちを慰問し、また援助を行ったことで、セルビア人たちのあいだで非常に人気が高まった。トミスラヴをボスニア・ヘルツェゴヴィナ地域に住むセルビア人の君主に推戴しようという声もあったが、こうした王政復古的な意見は当該地域の政治指導者たちにまともに取り上げられることはなかった。1995年、トミスラヴはクライナ・セルビア人共和国がクロアチア軍の嵐作戦によって崩壊した時に、同胞を「見捨てた」と公の場でセルビア共和国大統領スロボダン・ミロシェヴィッチを非難し、これ以後はメディアに取り上げられることは激減した。

トミスラヴは2000年7月12日に亡くなり、オプレナツの聖ジョルジェ教会にあるカラジョルジェヴィチ家の墓所に埋葬された。葬儀には数千人が参列した。

結婚と子女

1957年、バーデン大公家家長ベルトルトの娘マルガレーテと結婚し、あいだに一男一女をもうけたが、1981年に離婚した。

  • ニコラ(1958年 - )
  • カタリナ(1959年 - )

1982年にリンダ・ボニーと再婚し、息子を2人もうけた。

  • ジョルジェ(1984年 - )
  • ミハイロ(1985年 - )

脚注

  1. ^ “Yugoslavia's Prince Tomislav, Exiled Royalty, Is Dead at 72”. (2000年7月15日). http://www.nytimes.com/2000/07/15/world/yugoslavia-s-prince-tomislav-exiled-royalty-is-dead-at-72.html 

外部リンク


「Prince Tomislav of Yugoslavia」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

Prince Tomislav of Yugoslaviaのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Prince Tomislav of Yugoslaviaのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのトミスラヴ・カラジョルジェヴィチ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS