PC研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 17:04 UTC 版)
戦後、七尾工作部は横浜造船所から分離されて七尾造船所となり、1950年(昭和25年)には財閥解体に伴う三菱重工業の分割により東日本重工業の管轄となった。この時期は材料の不足により本来の造船は行えず、集魚灯や農機具の製造も行って自活を図っていた。自活のために業務多角化を行う中で、国鉄が木材に代わってプレストレスト・コンクリート(PC)を用いた枕木導入を計画していることを知った七尾造船所は、1950年(昭和25年)より七尾でPC研究を行い、1951年(昭和26年)にはPC枕木の製造を開始、同年七尾市内では日本初のPC橋である長生橋の架橋に着手するなど、成果をあげていた。 一方で本来の造船業の業績は芳しくなく、1951年(昭和26年)に赤字決算を記録。合理化を迫られた東日本重工業は七尾造船所の閉鎖を決定、敦賀工場も閉鎖されることになった。敦賀港唯一の鋼船修理施設が閉鎖されるという事態に敦賀市は対応に苦慮、七尾造船所も公益上の観点から廃業届をいったん取り下げ、当面は運営を継続すると表明するなど、この問題は曲折を経た。結局、敦賀工場長を介して七尾におけるコンクリート試作を知り、以前から事業に関心を持っていた敦賀海陸運輸社長の有馬義夫が社長となって新会社を設立、敦賀工場の人員と鋼船修理業務を引き継ぐとともに、新たにPC製造にも乗り出すことになった。
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