MGダービー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 17:02 UTC 版)
前述のストライキの影響により、2週間後には東京優駿(日本ダービー)を迎える。メイズイとグレートヨルカの実力が他馬を圧倒しているとの見方から、戦前から「MGダービー」と喧伝され、両馬の枠番連勝式オッズは1.7倍という低さで「銀行ダービー」とも言われた。単勝オッズではメイズイが1.8倍を付け、2.1倍のグレートヨルカを抑えて初めて1番人気の支持を受けた。 スタートが切られると、メイズイが4番枠から先頭に立って逃げを打ち、グレートヨルカは第2コーナーを抜けた時点で8番手に付けた。レースは1000メートル通過が1分1秒という当時としてはかなり速いペースで推移したが、森安メイズイは第4コーナー手前からスパートを掛けると、そのまま直線を独走態勢で逃げ切って優勝。クラシック二冠を達成した。直線手前で馬群に包まれた2着グレートヨルカとは7馬身の差が付いており、優勝タイム2分28秒7はコマツヒカリが保持した2400mの日本レコードを0.1秒更新する新記録。ダービーとしては従来のレースレコードを一挙に1.5秒縮める、初めての2分20秒台の記録となった。このタイムは1972年にロングエースに破られるまでの9年間、ダービーレコードとして保持された。また、生産者の千明康は1938年度の優勝馬スゲヌマを生産した父・賢治に続き、これも日本競馬史上初となる父子二代でのダービー優勝を果たしている。
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