LGBT擁護運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 10:02 UTC 版)
「イアン・マッケラン」の記事における「LGBT擁護運動」の解説
マッケランは舞台俳優として活動を始めた頃から、同業者の間ではゲイとして知られていたが、一般に周知されるようになったのは1988年にBBCラジオで公表してからである。俳優の道に進んだ理由も「ゲイが多い業界であったから」というものである。1994年にはゲイゲームズの閉会式で舞台に立ち、「私はサー・イアン・マッケランです。しかし、皆さんは私をセレナと呼ぶことができます」とスピーチしている。「セレナ」は、同じく同性愛者のスティーヴン・フライからナイトを叙勲した際に与えられたニックネームである。 マッケランは各国のLGBT擁護運動に積極的に関与しており、ウェブサイトでは「私は今まで核兵器廃絶、無神論、死刑反対、エイズ撲滅といった問題に参加することを拒んでいました。それは、私が最も懸念する緊急の問題(世界中の同性愛者の権利・平等)に対処するための影響力が薄まることを危惧したからです」と述べている。また、LGBT権利運動を行うロビー団体「ストーンウォール」の共同設立者となっており、この団体の名称はストーンウォールの反乱に由来している。2006年にLGBT権利団体LGBT History Month(英語版)と設立者のスー・サンダース(英語版)への支援を表明し、2007年には若年者やホームレスの同性愛者を支援する団体Albert Kennedy Trust(英語版)の設立を後援した。 同性愛をカミングアウトしたのは、1988年に議会で同性愛者の人権を制限する法案(28条)が持ち上がったためである。マッケランは法案に反対する運動に参加し、BBCラジオ3(英語版)の討論番組でペレグリン・ワーストホーン(英語版)との討論中にゲイであると公表している。また、恋人と二人で法案に反対するデモ行進に参加した。しかし、法案はスコットランドでは2000年まで、イングランドとウェールズでは2003年まで適用されていた(北アイルランドでは適用されなかった)。2003年、マッケランは『Have I Got News for You(英語版)』のパネルショーに出演中、同性愛反対派のマイケル・ハワードに28条について意見したが、ハワードは意見を変えることを拒んだ。これに対し、マッケランは「Fuck off、私はゲイだ!」と反論している。また、28条を立案したデヴィッド・ウィルシャー(英語版)とジル・ナイト(英語版)を「醜い姉弟」と罵倒している。
※この「LGBT擁護運動」の解説は、「イアン・マッケラン」の解説の一部です。
「LGBT擁護運動」を含む「イアン・マッケラン」の記事については、「イアン・マッケラン」の概要を参照ください。
- LGBT擁護運動のページへのリンク