フアン・デ・ディオス・フィリベルト
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/21 06:44 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動フアン・デ・ディオス・フィリベルト | |
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基本情報 | |
生誕 | 1885年5月8日 |
出身地 | ![]() ブエノス・アイレス |
死没 | 1964年11月11日(79歳没)![]() ブエノスアイレス |
ジャンル | タンゴ |
職業 | ヴァイオリニスト、作曲家 |
担当楽器 | ピアノ、ヴァイオリン、ギター |
活動期間 | 1906年 - 1964年 |
フアン・デ・ディオス・フィリベルト(Juan de Dios Filiberto, 1885年5月8日 - 1964年11月11日)は、アルゼンチン出身のタンゴの作曲家。
生涯
1885年5月8日、ブエノスアイレスのラ・ボカ地区に生まれる。イタリア移民三世(イタリア系アルゼンチン人)であり、先住民のマプーチェの血も受け継いでいる。9歳から学校に通わず働き出した。若い頃に、無政府主義系の労働組合運動に参加したりしていた。オルフェオン・ロス・デル・フトゥーロ楽団(Orfeón, los del Futuro)を結成して、音楽活動にも精を出す。24歳の時に、音楽学校に通いバイオリンと音楽理論を学ぶ。その一方で、タンゴの曲「グアイマジェン」(Guaymallén)を作曲した。
1932年に、ラ・オルケスタ・ポルテーニャ楽団(la Orquesta Porteña)を結成した。この楽団はタンゴ以外の曲も演奏していた。1933年に、アルゼンチン最初の音声入り映画「タンゴ!」(¡Tango!)に登場。1964年に死去した。
ちなみに、フアン・デ・ディオス・フィリベルト作曲のタンゴ、カミニート(Caminito)は、現在に至るまで、いろいろな楽団によって演奏され、日本では1961年度と1962年度のNHK紅白歌合戦歌唱曲になった。
五木寛之の小説『遥かなるカミニト』には、登場人物の女性がフィリベルトの人生について語る部分がある。
作品
- カミニート Caminito
- バンドネオンの嘆き Quejas de Bandoneón
- ならず者 Malevaje
外部リンク
「Juan de Dios Filiberto」の例文・使い方・用例・文例
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- Jeb Andersonは現在シドニーにいる。
- 第2段落3行目のclueは、ideaの意味に最も近いです。
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- 混合様式 《古代ローマ建築の様式で, イオニア様式 (Ionic order) とコリント様式 (Corinthian order) の折衷様式》.
- 条件節 《通例 if, unless, provided などによって導かれる》.
- 《主に英国で用いられる》 = 《主に米国で用いられる》 special delivery 速達.
- >called, called; talk>talked, talked; mend>mended, mended.
- 愛称, 親愛語 《darling, dear, sweetie, honey などの呼び掛けの類》.
- 住宅団地 (《主に米国で用いられる》 housing development).
- カ氏 32 度 《thirty‐two degrees Fahrenheit と読む》.
- を deceit と韻を踏ませる.
- 王立植物園 《the Kew Gardens のこと》.
- 王立オペラ劇場 《the Covent Garden Theatre のこと》.
- make の過去形は made である.
- radar や deified のように左から読んでも右から読んでも同じな言葉がある.
- “Pride goes before a fall”はどういう意味か
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