ジョー・デュリー
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/17 15:39 UTC 版)
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基本情報 | ||||
ラテン文字名 | Jo Durie | |||
国籍 | ![]() |
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出身地 | 同・ブリストル | |||
生年月日 | 1960年7月27日(56歳) | |||
身長 | 183cm | |||
体重 | 68kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 片手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1977年 | |||
引退年 | 1995年 | |||
ツアー通算 | 6勝 | |||
シングルス | 2勝 | |||
ダブルス | 4勝 | |||
生涯通算成績 | 595勝504敗 | |||
シングルス | 321勝305敗 | |||
ダブルス | 274勝199敗 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | ベスト8(1983) | |||
全仏 | ベスト4(1983) | |||
全英 | ベスト8(1984) | |||
全米 | ベスト4(1983) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | ベスト4(1985) | |||
全仏 | ベスト4(1983) | |||
全英 | ベスト4(1983・84) | |||
全米 | ベスト8(1987・91) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 5位(1984年1月9日) | |||
ダブルス | 29位(1989年4月10日) | |||
ジョー・デュリー(Jo Durie, 1960年7月27日 - )は、イングランド・ブリストル出身の女子プロテニス選手。若き日にはアイドル性のあるキャラクターとしても高い人気を持っていた。シングルス自己最高ランキングは5位。WTAツアーでシングルス2勝、ダブルス4勝を挙げた。身長183cm、体重68kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。
1977年にプロ入り。同年のウィンブルドンで4大大会にデビューするが、当年度の優勝者となったバージニア・ウェードに初戦で敗退する。最初期はほとんどイギリス国内の試合のみに出場していたが、1981年から世界的な活躍を始め、全仏オープンを除く4大大会で4回戦に進出した。1983年にデュリーのテニス経歴は全盛期を迎え、女子ツアー大会でシングルス2勝とダブルス3勝を挙げ、全仏オープンと全米オープンでベスト4に入り、(当時は年末開催の)全豪オープンでベスト8入りした。全仏オープン準決勝ではミマ・ヤウソベッツ(ユーゴスラビア)に 6-3, 5-7, 2-6 の逆転で敗れ、全米オープン準決勝ではクリス・エバートに 4-6, 4-6 で完敗したが、こうしてデュリーは国際レベルの選手に躍進する。1984年にデュリーは地元のウィンブルドンで自己最高成績のベスト8に入ったが、この時の4回戦で当時15歳のシュテフィ・グラフ(当時西ドイツ)を 3-6, 6-3, 9-7 で退けた試合は今なお語り草になっている。
その後のデュリーは4大大会の女子シングルスで4回戦以上に勝ち残ることはできなかったが、混合ダブルスで1987年のウィンブルドンと1991年の全豪オープンに優勝を飾っている。パートナーはどちらも同じイギリスのジェレミー・ベイツと組んだ。デュリーは比較的長く現役生活を続行したが、1995年のウィンブルドン2回戦で第4シードのヤナ・ノボトナに敗れた試合の後、35歳で現役を退いた。
デュリーは女子テニス国別対抗戦・フェデレーションカップでも、1981年から1995年まで15年間イギリス代表選手を務めた。通算成績は34勝22敗(シングルス12勝16敗、ダブルス22勝6敗)で、フェデレーションカップではシングルスよりもダブルスで高い勝率を挙げた。通算勝利数はイギリス・チームの2位タイ記録で(1位バージニア・ウェード、2位タイがデュリーとクレア・ウッド)、ダブルス勝利数はウェードに続く単独2位記録となった。
外部リンク
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「Jo Durie」の例文・使い方・用例・文例
- Jones社の案件の契約書をお送りいただき、ありがとうございます。
- John AbrahamsとTina Linがアンケートデータの収集担当で、この作業は5 月5 日までに終わるでしょう。
- Super BuyのJoanne Sanchezです。
- 今日は、皆さんをJohn Driscoll展にご案内する予定で、この展覧会は当美術館の30周年を記念して行われているものです。
- John Smith という名の英国人だ
- そんな英語を使うと Johnson が泣く
- 限定属格の例として、『John's mother(ジョンの母親)』における『John's(ジョンの)』がある
- 『John and Mary(ジョンとメアリー)』または『John walked and Mary rode(ジョンは歩き、そして、メアリーは乗り物に乗った)』における『and』、等位接続詞である;そして、『will you go or stay?(行くか、いてもらえますか?)』における『or』もそうである
- 『who visits frequently(その人はしばしば訪れる)』は、『John, who visits frequently, is ill(しばしば訪れるジョンは病気である)』の文の関係節である
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