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ジェイムズ・ブッカー

(James Booker から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/05 05:19 UTC 版)

ジェイムズ・ブッカー
ジェイムズ・ブッカー, 1978年
基本情報
出生名 James Carroll Booker III
生誕 1939年12月17日
アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ
死没 (1983-11-08) 1983年11月8日(43歳没)
アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ
ジャンル R&Bジャズブルース
職業 ミュージシャン
担当楽器 ピアノ
レーベル アイランド・レコード
ラウンダー・レコード
JSPレコード

ジェイムズ・ブッカー(James Booker、1939年12月17日 - 1983年11月8日)は、米国ピアニストシンガー

クラシックからジャズ、R&B、ロックまで幅広く弾きこなす、ニューオーリンズきっての技巧派プレイヤーだった。

クラシック・ピアノの巨匠アルトゥール・ルービンシュタインは、1958年にニューオーリンズを訪問した際彼のプレイ聴いて驚愕し、「私はあんな風には絶対に弾けない。少なくともあのようなテンポでは」と語ったという[1][2]

来歴

ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。父親はバプテスト教会の牧師であり、ブッカーは幼少期を父親が牧師を務めるミシシッピ州の湾岸で過ごした。母親にサクソフォンを与えられたが、鍵盤楽器に興味を示し、父親の教会でオルガンを弾くようになった。

10代になってニューオーリンズに戻ったブッカーは、徐々にその頭角を現していった。わずか11歳でゴスペルのラジオ局WMRYで自らの番組枠を持ち、ピアノをプレイするようになる。14歳のときには、デイヴ・バーソロミューの目に留まり、インペリアル・レコードにリトル・ブッカーの名前で初レコーディング。また、同レーベルではスタジオ・ミュージシャンとしても活躍し、ファッツ・ドミノアール・キングらのレコーディングでプレイした。

1958年頃からは、ツアーに出るのを嫌うようになったヒューイ・"ピアノ"・スミスの代わりに彼のグループ、ザ・クラウンズのピアニストとしてツアーに出るようになった[3]

1961年、自己名義のインスト・ナンバー「Gonzo」をシングル・リリース。これがニューオーリンズ周辺でヒットとなる。1950年代から60年代にかけてブッカーは、主にセッション・ミュージシャンとして数多くのアーティストのレコーディング、ツアーに参加し活躍した。彼が当時バックを務めたアーティストには、ウィルソン・ピケットB.B.キングロイド・プライスシャーリー&リーエイモス・ミルバーンジュニア・パーカーリトル・リチャードなどがいる。

1967年、ヘロイン不法所持の罪で有罪となり、アンゴラ刑務所に1年間服役した。このため一時的に活動の中断を余儀なくされたが、出所後間もなくファッツ・ドミノの『Fats Is Back』 (1968年)への参加など、すぐにまたセッション・ミュージシャンとしての活動を再開している。

1970年代に入ると、自己名義の活動を増やしていった。1973年、後に『The Lost Paramount Tapes』としてリリースされることとなるアルバムをロサンゼルスでレコーディングする。また、1976年には、ニューオーリンズのシーセイント・スタジオでアルバム『Junco Partner』のレコーディングを行った。

一方、ブッカーは地元のメイプル・リーフ、ティピティーナス、スナグ・ハーバーといったクラブへ頻繁に出演、またニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルへも出演するなど、ライヴ活動も積極的に行っていった。1977年にはヨーロッパ・ツアーも行い、現地で『King of the New Orleans Keyboard』など、アルバムのレコーディングもしている。

しかしながら、この頃からブッカーはアルコール中毒と麻薬中毒に加え、精神病を患い、体調を崩していった。演奏も調子のよいときと悪いときの落差が激しくなり、また奇行も目立つようになった。1982年のアルバム『Classified』のレコーディングの際には直前に倒れて入院する事態となったが、奇跡的にアルバムは完成した。しかしながら、これが彼の生前最後の作品となってしまった。

1983年11月8日、コカインの過剰摂取で倒れ、ニューオーリンズのチャリティー病院にて43歳で死去した。彼は車椅子に座り、救急治療室で診察を待ちながら人知れず息絶えていた。死因はヘロインとアルコールの常習に起因する腎不全だった[4]

死後歳月が経っても、彼は未だにニューオーリンズで最高のピアニストの一人として多くのミュージシャン、ファンから尊敬を集めている。2003年には、彼を尊敬するピアニスト達が集結し、トリビュート・アルバム『Patchwork: A Tribute to James Booker』がリリースされた。

2013年、リリー・ケバー監督の手によりブッカーの人生と音楽を掘り下げた伝記映画「Bayou Maharajah」が完成し、サウス・バイ・サウスウエスト (SXSW)にて封切られた。同年オクスフォード・アメリカン誌の最優秀南部映画賞、SXSWの24ビーツ・パー・セカンド・オーディエンス賞などの賞を受賞している[5]。同作は、2025年のPeter Barakan's Music Film Festivalで「ジェイムズ・ブッカー ニュー・オーリンズのピアノ王子」の邦題で日本初上映[6]。2026年5月29日より、邦題を「ジェイムズ・ブッカー 愛すべきピアノ・ジャンキー」と改めての全国ロードショーも決定した[7]

ディスコグラフィー

  • 1976年Junco Partner』 (Island)
  • 1976年The Piano Prince Of New Orleans』 (Aves)
  • 1976年Blues & Ragtime From New Orleans』 (Aves)
  • 1977年New Orleans Piano Wizard: Live!』 (Gold)
  • 1982年Classified』 (Rounder)
  • 1984年King of New Orleans Keyboard Vol. I』 (JSP)
  • 1984年Mr. Mystery』 (Sundown)
  • 1985年King of New Orleans Keyboard Vol. II』 (JSP)
  • 1991年Let's Make A Better World!』 (Amiga)
  • 1993年Resurrection Of The Bayou Maharajah』 (Rounder)
  • 1993年Spider on the Keys』 (Rounder)
  • 1995年The Lost Paramount Tapes』 (DJM)
  • 1996年Gonzo: More Than All The 45's』 (Night Train)
  • 1996年New Orleans Keyboard King』 (Orbis)
  • 1997年Live at Montreux』 (Montreux Sounds)
  • 2000年United, Our Thing Will Stand』 (Night Train)
  • 2000年A Taster of Honey』 (Night Train)
  • 2007年Manchester '77』 (Document)
  • 2018年At Onkel Pö's Carnegie Hall Hamburg 1976 Vol. 1』 (Jazzline)[8]
  • 2023年Behind The Iron Curtain Plus...』 (Richard Weize Archives)[9]

注釈

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