JBCデビュー
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2008年2月28日に行われたJBCプロテストを受験し合格。なお、JBCでは名だけのリングネームは認められないため、自主興行の興行名「風神」を入れて「風神ライカ」にリングネームを改めた。 2008年5月9日、後楽園ホールで行われた女子プロボクシング立上げ記念興行「G Legend」ではメインイベントに抜擢され、アマチュア世界選手権銀メダリストでプロ無敗のナタリー・ブラウンと対戦。判定勝ちを収めた。 2008年8月11日、後楽園ホールにて、剥奪により空位となっていたWBC女子世界ライト級をかけてサクラートと再戦を行ったが、大差の判定負けで王座奪取はならなかった。それに伴いWIBA同級王座も剥奪された。 2009年3月3日、オリビア・ペレイラ・ゲルーラとの再起戦に挑んだが、スプリットデシジョンで敗れた(ゲルーラは次の試合でWBC世界王座を獲得)。
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JBCデビュー
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2008年にJBC第1回プロテストを受験。B級ライセンスを取得。7月30日に代々木第一体育館で行われた坂田健史・内藤大助ダブルタイトルマッチのアンダーカードでJBCデビュー。ノンメイ・ルークサイコンディンに2回TKO勝ち。 2008年9月28日、ディファ有明で楊鈺瑩と対戦し、2-1の判定勝ち。 2008年12月23日、両国国技館で開かれた3大タイトルマッチのアンダーカードとして金智娟と対戦し、2-1の判定勝ち。 2009年5月26日に上海で内藤 vs. 熊朝忠のアンダーカードとして楊と初代OPBF女子東洋太平洋スーパーフェザー級王座決定戦を戦う予定だったが、興行が中止になり、同王座決定戦は日本開催として7月7日後楽園ホールに延期された。 その後、楊鈺瑩がアマチュア復帰の意向を示したため、相手がまだプロで1戦しか経験していない楊瑩に変更され、さらにその相手が計量失敗によりノンタイトルに変更された。試合は初回TKO勝ち。この試合が水谷とって初のメインイベントであり、かつ初の後楽園での試合であった。
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