ILM時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 10:22 UTC 版)
「リチャード・エドランド」の記事における「ILM時代」の解説
2年後ルーカスが『スター・ウォーズ』の続篇『帝国の逆襲』(1980年)を製作する事になり、アポジー社を立ち上げた(また『ギャラクティカ』でルーカスらと法廷で争った)ダイクストラ以外のスタッフが再結集した。氷の惑星で白を背景色とした空中戦という光学合成にとって困難なイメージをエドランドは見事にものにし、2つめのオスカー(特別業績賞)を手にした。 次に取り組んだのはルーカスがスティーヴン・スピルバーグと組んで製作する冒険活劇『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年)である。強いインパクトのある映像を幾つも送り出し、3つめのオスカー(視覚効果賞)を得た。 ここまでで既にエドランドはビスタビジョン用の新しいオプティカル・プリンターや超高速度撮影カメラの設計開発にも携わっている。合成用の35mmフィルム開発さえ行なっている。ダイクストラ・フレックスを発展させた大型クレーン付きロボットカメラ「エンパイア・カメラシステム」と新しいオプティカル・プリンターの設計によって1981年度アカデミー賞の科学技術賞を2つ受賞した。 次の作品はスピルバーグがプロデュースした『ポルターガイスト』(1982年)で、幽霊のモデルを水中で動かしたり、家の模型を真空ポンプで吸い込むという方法で斬新な映像を送り出した。ILM最後の作品となった『ジェダイの復讐』(1983年)では1つのシーンに焼きこまれる素材が300もあるそれまでで最も複雑なシーンもあったが、ILMのケン・ローストン、デニス・ミューレンと並んで4つめのオスカーを獲得した。 CM製作会社で一緒だったミニチュアやクリーチャー製作出身のローストン、ミニチュア撮影からスタートし手持ち撮影の感覚も大切にして長くILM作品を手がけたミューレンに対し、エドランドの方向性はあるいはハードウェア偏重と見られるかも知れない。
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