ホームブリュー・コンピュータ・クラブ
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ホームブリュー・コンピュータ・クラブ(英語: Homebrew Computer Club)は、1970年代中期から1980年代中期にかけて、アメリカ合衆国カリフォルニア州シリコンバレー地域(主にメンローパークおよびその周辺)で活動していた、ホームブリューコンピュータに関心を持つ技術愛好者や電子ホビイストを中心とする草の根的なクラブである。当クラブは、個人用コンピュータの概念がまだ確立されていなかった時代にあって、技術的アイデアの共有の場、部品交換の場を提供し、パーソナルコンピュータ産業の萌芽に影響を及ぼした[1][2]。1975年3月5日から1986年12月まで活動していた。
マイクロコンピュータ革命とシリコンバレーにおける情報技術産業複合体の台頭に大きな影響を及ぼしたクラブであり、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックなどAppleの創業者になってゆく若者や、コンピュータ起業家となる人物や、著名なハッカーとなってゆく人がこのクラブのメンバーとして名を連ねていた。このクラブは、会報や2週間に1度開かれた会合で互いのアイデアを交換し、「業界全体の坩堝」と言われている[3]。
ホームブリュー・コンピュータ・クラブは、電子機器の愛好家や技術系ホビーストが集まって、コンピュータ機器をDIYで製作するための電子部品、電子回路、情報などを交換する非公式な場として始まった[4]。
- "homebrew computer"の意味
ホームブリューコンピュータとは、"自家製コンピュータ"という意味であり、自作[注釈 1]やキット方式の、初期のマイクロコンピュータである。"homebrew"(ホームブリュー)という単語は、語源辞典によると17世紀ころまで遡ることができ、元々はワインやリンゴ酒やビールを家庭で自家醸造することを言い、現在でも主にその意味だが、それが転じて20世紀なかばのアメリカの数々の電子工作雑誌やアマチュア無線雑誌においては"homebrew"や"homebrewing"という単語で"家庭でアンプやラジオや無線機を作ること"を指すことが一般化していた。Altair 8800を企画記事で発表した電子工作雑誌『ポピュラーエレクトロニクス』誌も、その習慣に沿ってAltair 8800を homebrew computerと呼んだのだった。[注釈 2]
歴史
- 文化的背景、思想的背景
1970年代初頭のアメリカでは、編集者・思想家のステュワート・ブランド(Stewart Brand)による『ホール・アース・カタログ(全地球カタログ)』(Whole Earth Catalog、WEC)が、「人はどこでもツールを使える」「自分自身の環境を設計できる」という理念を提示し、DIY文化やホビイスト文化と、エレクトロニクス・コンピューティング文化とを接続する役割を果たしていた[5]。この時代のカウンターカルチャーやホビイスト文化は、技術・情報・自己表現の手段としてのコンピュータという概念を模索していた[5]。ホール・アース・カタログの読者層には、ホビイスト(電子工作愛好家)、大学での学生運動出身者、コミューン運動[6]経験者も多く、彼らは「技術は開かれた自己表現」「回路やソフトを共有できるコミュニティ」という価値観を持っていた[7]。さらに、ホビイスト向けの刊行物People’s Computer Company(PCC)などが1970年代初頭から活動しており、ホール・アース・カタログやPeople’s Computer Companyなどを通じて育まれた技術共有ネットワークが、当クラブへと繋がる素地となった[8]。こうした文化的・社会的背景により「ホビイストが自ら作るコンピュータ」という思想が、文化的潮流として既に存在しており、その文脈の上に当クラブが生まれたと言える[9]。
- 直接のきっかけ
直接のきっかけは、ゴードン・フレンチとフレッド・ムーアがメンローパークのコミュニティ・コンピュータ・センターで出会ったことである。2人は共に、コンピュータを誰でも使えるものにするための、オープンなフォーラムを定期的に開催したいと考えていた[10]。フレッドは1971年にホール・アース・カタログの廃刊記念イベントの催しで約2万ドルを得ており、この資金が活用された[11]。
- 第1回集会
クラブの最初の会合は、1975年3月5日にメンロパークにあるゴードン・フレンチの自宅のガレージで開催された。これは、ピープルズ・コンピュータでレビューするために、メンローパークに初めてAltair 8800が送られてきたことをきっかけとして開かれたものである[12]。スティーブ・ウォズニアックは、Apple Iの設計のインスピレーションを得たのはこの会合だったと後に書いている[13]。 第一回集会の出席者はおよそ30~32名といわれ、回路ボード、Altair 8800キットのデモ、ホビイストどうしの技術・電子部品交換などが行われた[14]。
- 第2回以降
その後の数回の会合は、アサートンにある保育園として使われていた大きな家で行われた。
第一回集会から数回はガレージや高校教室など小規模な場で行われたが、徐々に参加者数は増加し、会場が手狭になってきた。 SLAC国立加速器研究所の講堂で行われるようになり、1978年にはスタンフォード大学医学部に移動した[15]。 集会では、「マッピング・タイム(Mapping Time)」と呼ばれる、各参加者が現在進行中のプロジェクトや部品やボード情報を紹介する時間、続いて「ランダム・アクセス・ピリオド(Random Access Period)」として自由な部品交換、ノウハウ交換、雑談が行われていた[16]。
この時期には、ニュースレター購読者数が1,000〜1,500名を超えていたという記録もある[17]。
- 2次会
メンバーのトッド・フィッシャーによると、この多少なりとも「公式な」会合の後、参加者はしばしば深夜に、道路の反対側のセイフウェイの駐車場で非公式な「スワップミート」(不用品交換会)のために再会したという。また、ロジャー・メレンの提案で、メンローパーク近くのエルカミノリアル通り沿いにある「オアシス」[19]というバー&グリル(ただし彼らはパブだと思っていた)に集まった人もいた。後にある参加者がこの店を「ホームブリューの別の集結地」と呼んだ[20]。スティーブン・レビーが、オアシスでの集まりについて次のように書いている。
スタンフォード大学の学生たちのイニシャルが深く刻まれたテーブルが置かれた木製のブースには、ガーランド、メレン、マーシュ、フェルゼンスタイン、ドンピエール、フレンチ、そして他の誰もが顔を出したいと思った人たちが、会議のエネルギーとビールのピッチャーに元気づけられていた[18]。
- Apple Iのプレゼン
1976年にはスティーブ・ウォズニアックがApple Iの プロトタイプを当クラブ内で披露した[2]。やはり当クラブのメンバでマイクロコンピュータ販売店チェーンByte Shopの経営者ポール・テレルがこのプレゼンを見て、試しに自分の店で50台販売してみようと考えて発注したことが、当時まだペーパーカンパニーだった"Apple社"の最初の売上となり、その後の成功へと繋がっていった。
- 当会の終盤
商業的なパーソナルコンピュータ市場が確立していくにつれて、ホビイスト主体の自作・改造文化は相対的に縮小し、クラブとしての定例会・ニュースレター発行頻度は徐々に低下して、1986年12月をもって定常的な活動を停止したという報告がある[要出典]。
"再結成"と主要メンバによる別会合など
当クラブとしての活動は1986年12月に終了したが、その後、"Reunion"(レユニオン、再結成)などと称して、再会イベント(一種の同窓会のようなもの)が開催され、かつてのメンバーが集うことがある。
"レユニオン"は2001年3月5日、2005年11月5日(設立30周年)、2013年11月11日に行われた[21]
なお、ホームブリュー・コンピュータ・クラブの創設時のメンバーのほとんどは、マイクロプロセッサMotorola 6800の名に因んだ「6800クラブ」を結成してクパチーノで月例会合を継続し、時折「6809クラブ」などと会合名を変更しつつ、2009年現在でも会合を続けている。
会員
ホームブリュー・コンピュータ・クラブには公式な会員登録制度は設けられておらず、「一度出席すれば“メンバー”とみなされる」「ニュースレター購読者リストに登録されている者が実質的なメンバー」といったゆるやかな形態だった。
会員はホビイストで、多くはエレクトロニクス(電子回路)やプログラミングの素養があった[22]。大学の研究者もいれば、趣味で回路設計を行っている者や、部品改造の技術的素地を持つ者なども多く、職業的エンジニアと学生とホビイストが混在していた。彼らはクラブを通じて人脈形成を行い、起業、製品開発、部品流通へと波及する“シリコンバレー的ムーブメント”の初期構成要素となった[23]。
リー・フェルゼンスタインはクラブの会合の司会を務めた[24]。
このクラブの会員から、マイクロコンピュータ企業を創業した人物を多く輩出している。
- スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック - Appleを創業
- ハリー・ガーランドとロジャー・メレン - クロメンコを創業
- トッド・フィッシャー - IMSAIを創業
- ジョージ・モロー - モローデザインズを創業
- ポール・テレル - マイクロコンピュータ販売店チェーンのByte Shopを創業
- アダム・オズボーン - オズボーン・コンピュータを創業
- ボブ・マーシュ(Bob Marsh)- プロセッサ・テクノロジー社(Processor Technology)を設立し Altair 用拡張ボードを販売。[25]
他にも
- リー・チェン・ワン(王理瑱) - クラブの活動から影響を受け、Palo Alto Tiny BasicやCromemco Dazzlerのグラフィックソフトウェアを開発した
- ジョン・ドレーパー - クラッカー[26]、
- フェアチャイルド・チャンネルFを設計したジェリー・ローソン (エンジニア)[26]
また、地球外知的生命体探査の研究者であるダン・ワーティマーのように、他の分野の研究の道へと進んだ人もいた[27]。
会報
会報の創刊号は1975年3月15日に発行され、何度か形態を変えながら1977年12月の21号まで続いた。
初期は"一枚刷り"形式だったが、後に通巻番号付き体裁(Vol.1, Vol.2...)へと整備された[2]。1977年発行の「Vol. 2 Issue 14」にはクラブ購読者数が1,500名を超えていたとの記述がある[28]。
当初、発行所の住所は頻繁に変わっていたが、後に連絡先はマウンテンビューの郵便局の私書箱に固定された[29]。
この会報は、クラブ参加者自身が執筆・編集・配布し、キット情報、改造回路図、プログラムコード、会合告知、部品交換案内などが掲載され[2]、ホビイスト文化の形成基盤として機能し、後の個人向けコンピュータ普及期における“仲間内の情報経路”として貴重な役割を果たした[30]。
ただし、ビル・ゲイツが1976年の会報に寄稿した『ホビイストたちへの公開状』という文章は当クラブで行われていることに一石を投じた。これは、ゲイツらが作成したBASICを当クラブで披露した際に、断りもなく勝手にコピーされ会員間で広められたことに怒り、"著作権を侵害している"とか"著作権が守られず金にならないなら、良質なソフトウェアは作成されなくなってゆくだろう”といったことを主張するものだった[31]。これは当クラブで大きな議論を引き起こした[注釈 3] 一方、本クラブのメンバーのスティーブ・ウォズニアックは、本クラブのもともとの文化を守り、(Apple I用に自分で制作した)Integer BASICを無料で配布すると広告に書いた。[注釈 4]
映像作品での描写
このクラブは、1999年のテレビ映画『バトル・オブ・シリコンバレー』や2013年の映画『スティーブ・ジョブズ』、1996年のPBSのドキュメンタリー『ナードのトライアンフ』に登場する。
1999年のテレビ映画『バトル・オブ・シリコンバレー』(およびその原作となった書籍である Fire in the Valley: The Making of the Personal Computer)では、世界初のパーソナルコンピュータ誕生に果たしたホームブリュー・コンピュータ・クラブの役割を描いている。しかし、テレビ映画ではバークレーで会合があったように改変されており、会合の流れも実際とは異なっている。
脚注
- 注釈
- ^ homebrew computerの文脈で言う"自作"は、自分で電子回路を設計したり制作することを含む。もともと、電子工作愛好家らが電子回路制作の延長線上の行為として始めたものであり、実際、愛好家自身が電子回路を設計したり、試しに基板を作ったり、基板のエッチングの発注を行うなどということもあった。それをやったひとりが、スティーブ・ウォズニアックである。
- ^ たとえばアマチュア無線専門誌の73 Magazineでは次のような書き方で、読者に家庭で自作することを勧めた。
Ted Crosby's IIBR units in QST, and the several fine units described in these pages by John Wonsowicz, W9DUT. But most of these homebrew receivers appear to have two points in common (besides fine performance): they seem a bit too complex for the newcomer to homebrewing, and they all look more than a little expensive. Try Homebrewing Now - It's not hard or expensive.(73 Magazine, 1964年9月号, p.5)
当時のアメリカの電子工作雑誌やアマチュア無線雑誌は6~7ほど挙げることができるが、どの雑誌も軒並み、回路を自作をすることをhomebrewingと呼んでいる。 当時のアメリカの電子工作雑誌の"2大巨頭"としてはラジオ・エレクトロニクス誌、ポピュラーエレクトロニクス誌が挙げられるが、両誌ともアンプやラジオや無線機を自作することをhomebrewingと呼んでおり、ポピュラーエレクトロニクスは、Altair 8800の企画記事を掲載し大反響を得た後に発行した号でも、Altairに関して次のようにhomebrew computerと呼んでいる。
The surge in interest following the Altair announcement wasn't just about one machine; it sparked a wider community. Hobbyists who had long been building projects from the magazine, like transmitters and oscilloscopes, now had a new frontier. There was a clear distinction at club meetings between the few who bought commercial gear and the many who proudly displayed their own homebrew computers and peripherals.
- ^ オープンな路線でソフトウェアのソースコードを公開してコピーしあい、多くの人の眼でチェックし改良してソフトウェアを良くしてゆくのか、あるいはビジネス志向、金儲け志向のゲイツが主張するように、本クラブの文化を破壊するまでして商売路線に舵を切り、ソースコードを隠蔽し、ソフトウェアが背後で何をやっているのかユーザに秘密にしてコソコソと勝手なことをやるのか? ユーザは自分のコンピュータで各ソフトウェアがやっている(やらかしている)ことを知る権利も無いのか? そもそもソフトウェアのありようにはどのような選択肢がありうるのか? どちらが人類にとって良いのか? など人々が考えるきっかけにもなった。
- ^ 後年、おおまかに言うと、自由ソフトウェア・オープンソースソフトウェア vs プロプライエタリソフトウェア・ソースコード隠蔽ソフトウェア などの構図で理解されるようになってゆく"理念闘争"が、このクラブですでに起きていた、ということになる。ゲイツが主張していた内容には嘘が含まれていて、実際にはソフトウェアのソースコードを公開して多くの人の眼でチェックし改良したほうがむしろ良いソフトウェアができる場合が多い、ということは、その数十年後に理解されるようになっていった。ゲイツは金儲けへの執着をあらわにし、他社製DOSを買い叩いて入手し少しだけ改良して高く売ったり、MacintoshのOSを模倣しておきながら自分のOSとして発表するなど、ずる賢い手法を積み重ねて市場シェアを得てゆき、人々の強い憎悪の対象となっていったが、ゲイツはこの『ホビイストたちへの公開状』書いたころから、すでに人々に嫌われる行為をやり始めていたことになる。ちなみにAltair BASICの著作権を主張する際にゲイツは"ミュージシャンに著作権があるのと同じだ"という主旨の主張をしたが、ゲイツが音楽アーティストの著作権を尊重したわけではなく、マイクロソフトのWindows 7は、音楽CDの音楽データがコピーし放題のOSで、音楽アーティストの著作権への配慮が微塵もないOSだった。要するにゲイツは、その瞬間その瞬間に自分に都合の良い理屈を弄して人々を惑わすばかりで、結局は"自分の側の権利" と "自分の金儲け"だけを優先し、他人の権利やビジネスは無視・蹂躙する、ということをやり続けているにすぎなかった。
- 出典
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- ^ Oral History of Lee Felsenstein Archived December 27, 2014, at the Wayback Machine.. Interviewed by Kip Crosby. Computer History Museum 2008, CHM Reference number: X4653.2008
参考文献
- Levy, Steven (1984). Hackers: Heroes of the Computer Revolution. Doubleday.
ISBN 0-385-19195-2
- スティーブン・レビー『ハッカーズ』工学社、1987年。 ISBN 4-87593-100-X。
関連項目
- バークレー・マッキントッシュ・ユーザーズグループ
- ボストン・コンピュータ・ソサエティー
- カオス・コンピュータ・クラブ
- コンピュータ歴史博物館
- 『Dr. Dobb's Journal』
- 『ハッカーズ』
- ホビー・コンピュータ・クラブ
- 『キロボー・マイクロコンピューティング』
- ウェスト・コースト・コンピュータ・フェア
- 全地球カタログ
外部リンク
- Steve Wozniak's home page
- The Netherlands Home Computer Club website (in Dutch)
- Homebrew Computer Club Newsletters
- Homebrew Computer Club Newsletters as searchable PDFs
- Life Outside the Mainframe: Remembering Fred Moore
- In Search of the Valley - 2006年公開のシリコンバレーに関するドキュメンタリー。ホームブリュー・コンピュータ・クラブについてのセクションもあり、フェルゼンスタインやウォズニアックへのインタビューもある。
- Homebrew Computer Club on Jolitz Heritage site
- Lee Felsenstein and the Homebrew Computer Club, A History of Free Hardware Design
- The Beginning of the Apple Corps of Dallas (January 1978) Thru the Eyes of a Founding Member
- The Homebrew Computer Club 2013 Reunion
- ホームブリュー・コンピュータ・クラブのページへのリンク