Byte_Shopとは? わかりやすく解説

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Byte Shop

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/01 04:47 UTC 版)

Byte Shop(バイトショップ)は、ポール・テレル(Paul Terrell)とボイド・ウィルソン(Boyd Wilson)によって1975年にカリフォルニア州マウンテンビューで設立された、マイクロコンピュータの小売店チェーンである。コンピュータ製品専門小売店の最初期のものであった。1976年にApple Computer社(現・Apple)の初の製品であるApple Iを初めて発注したことでよく知られている。Byte Shopは、その最盛期には、米国で72店舗、カナダで1店舗、日本で1店舗の合計74店舗を展開していた。

1977年11月、Byte Shopが最盛期だったころに、テレルはByte Shopの親会社であるByte, Inc.をLogical Machine Corporation 英語版に売却し、その後数年間、同社によりByte Shopの運営が継続した[1]

歴史

Byte Shopの共同設立者であるポール・テレル、2016年頃に撮影

設立(1975年-1976年)

ポール・テレルは、1975年12月8日にカリフォルニア州マウンテンビューのウェスト・エル・カミノ・リアル1063番地に最初のByte Shopを開店した[2]。この店名は、Byte Shop設立の3か月前に創刊された影響力のあるマイクロコンピュータ雑誌『Byte』にちなんで名付けられた[3]。テレルは、ビジネスパートナーのボイド・ウィルソンとともにByte Shopの設立に携わった。同店は当初、マイクロコンピュータ用のハードウェア書籍雑誌、およびソフトウェアを販売していた。Byte Shopは最初の1か月で7,000 米ドルの売上を上げた(2024年の貨幣価値に換算すると40,905 米ドル)。Byte Shopは当初、仕入れ先のメーカーに発注する発注量が少ないためメーカーの一部から抵抗に遭ったので、テレルとウィルソンは1976年1月に大量購入に切り替えることを決定し、この時点で両名はByte Shopのフランチャイズ化の構想を打ち出した[4]

1976年2月までに、売上は(毎月) 40,000 米ドルに増加した(2023年時点の$226,494と同等)。1976年3月2日、テレルはカリフォルニア州サンタクララのエル・カミノ・リアル3400番地に、2番目のByte Shopを開店した[4]。将来のフランチャイズ加盟希望者らから広範な関心を寄せられるようになったことを受けて、テレルは1976年3月に持株会社 Byte, Inc.を設立した[3]。同月、両名は1976年5月開店予定のカリフォルニア州キャンベル所在の3番目の店舗を発表した[4]。1976年7月、同店は『ビジネスウィーク』誌に特集され、コンピュータホビイストのサクセスストーリーであり、投資すれば大きく成長する可能性のあるビジネスだ、と認められた。ビジネスウィーク誌にこう書かれたことで、ベンチャーキャピタリストや将来のフランチャイズ加盟希望者からの関心が殺到し、すぐに同社は毎月8店舗のByte Shopを開店するようになった。1976年末までに、カリフォルニア州パロアルト、サンタクララ、サンノゼなどの都市にさらにいくつかの店舗がオープンした。州外に位置する最初のByte Shopは、同年、オレゴン州ポートランドにオープンした[3]。また1976年10月、ミネソタ州ミネアポリスのByte Shopがこれに続いた[5]

Byte Shopを設立する前、テレルとボイドはともに、人気があり影響力のあるAltair 8800のメーカーであるMicro Instrumentation and Telemetry Systems(MITS社)の "北カリフォルニア販売代理店"として働いていた経歴がある[4]。1975年後半、テレルはAltair 8800をByte Shopで販売できる唯一のコンピュータシステムとして販売する独占的契約をMITSと締結していた[6]。MITSの創設者であるエド・ロバーツ(Ed Roberts)とマーケティングディレクターのデイヴィッド・バネル(David Bunnell)をがっかりさせたことなのだが、テレルはすぐにこの契約に違反し、MITSの競合他社であるIMSアソシエイツ(IMS Associates, Inc., IMSAI)やProcessor Technologyのコンピュータシステムを販売品目に加えることを進めた[6]。1976年3月、エド・ロバーツはニューメキシコ州アルバカーキで開催された第1回ワールド・アルテア・コンピュータ・コンベンション(World Altair Computer Convention)でテレルに近づき、Byte Shopとのディーラー関係は終了し、MITS社はByte ShopにAltairを供給しないと伝えた。テレルは当初、MITS社との取引関係を失うことを気にしなかった。なぜならByte ShopではIMSAIのコンピュータがAltair 8800の2倍売れていたからである。しかし、競争が激化するマイクロコンピュータ市場で優位に立つためには別のメーカーのハードウェアが必要であることはすぐに明らかになった[3]

Apple Computerへの初期投資(1976年-1977年)

1976年4月にApple Computer, Inc.(現:Apple Inc.)の設立手続き後、スティーブ・ジョブズスティーブ・ウォズニアックは、シングルボードコンピュータの"Apple Computer A"ホームブリューコンピュータ・クラブで発表した[7]。そこに出席していたテレルは、そのマシンに感銘を受けた[8]。テレルはそのコンピュータを50台ジョブズに発注し、配達時に1台あたり500ドル (2024年の貨幣換算で2,763ドル)を支払うと伝えたが、"完全に組み立てられたものに限る"という条件を付けた。テレルは、電子部品抜きの"むき出しのプリント基板"を購入することには興味がなかったからである[9]

ジョブズはByte Shopからの発注書を持って、全米に電子部品を販売している業者 Cramer Electronics社を訪れ、必要な部品を注文した。同社の信用管理責任者から部品代の支払い方法を尋ねられたとき、ジョブズは「このように、Byte Shop チェーン店から私宛てのコンピュータ50台の発注書があり、支払い条件は代金引換(COD)です。もし御社が私に"支払い期限30日"(net 30-day)の条件で部品を提供してくだされば、その期間内にコンピュータを製造して納品し、Byte Shopのテレルから代金を受取って御社に支払えます」と答えた[10]

ジョブズが持っている発注書が本物かどうか確認するため、信用管理責任者はテレルに電話をかけた。テレルは、コンピュータが納品されればジョブズは注文部品の支払いに充分すぎるお金を得るだろう、と保証した。"2人のスティーブ"(ジョブズとウォズニアック)に若干名の補助役を加えた小さなチームが、連日徹夜を続けて、そのコンピュータ(Apple Iと改名済み)の製造とテストを行い、期限内にテレルに納品した。テレルは、筐体、ディスプレイ、キーボードを備えた完全なコンピュータを期待していたため、予想外の "電子部品組込み済み回路基板" の束が届いて驚いた[11]。それにもかかわらずテレルは約束を守り、"2人のスティーブ"に約束の金額を支払った[12]。こうしてテレルは、Apple初の製品であるApple Iを最初に発注した人物となり、Byte Shopを通じてApple Iを一般に販売した最初の人物となった。テレルの25,000 ドルの発注書が、コンピュータ業界におけるAppleの信用度を大幅に高め、同社の初期の成長の主要な要因となったのである[13]

1977年の最盛期と会社売却

1977年初頭、Byte Shopは、BYT-8という名の独自のプライベートブランドのマイクロコンピュータを売り始めた。これはIntel 8080マイクロプロセッサを搭載しS-100バス設計に基づいたものだった[14]。これは控えめながら商業的に成功を収め、Byte Shopに約50パーセントの利益率をもたらした。この利益率は、当時のByte Shopが行っていたサードパーティ製コンピュータの販売による利益率の2倍以上であった[15]

1977年9月から1997年11月の間に、Byte Shopのチェーンは、67店舗、そしてピーク時には74店舗へと拡大した。この時点でByte, Inc.は、初の国境越え店舗をカナダに、初の海外店舗を東京にオープンしていた[16][注釈 1]

1977年11月、カリフォルニア州サニーベールに拠点を置くコンピュータメーカーであるLogical Machine Corporation 英語版は、Byte, Inc.(およびその販売代理店としてのByte Shops)を非開示金額で買収する契約をテレルおよびボイドと締結した、と発表した。Byte, Inc.の買収は1977年12月に完了し、その買収費用は後に、400万ドル(2024年の貨幣価値換算で20,755,629 ドル)であったことが明らかになった[17]

会社売却後

パーソナルコンピュータ市場が成長しPCが様々な用途やアプリケーションにより細分化されるにつれて、Byte Shopのディーラーの多くはByte Shopチェーンから独立していった。ホビーコンピュータ販売店はビジネス用コンピュータ販売店に変化してゆき、IBMは独自のコンピュータ(IBM PC)でその市場に参入し時間が経つにつれてそれがビジネス向けマイクロコンピュータの標準となっていった。アリゾナ州の複数のByte ShopはMicroAge Computers (英語版 となり、全米規模の主要な販売業者に発展し、独自の店舗チェーンも持つようになった[18]。Byte Shop Northwestはその地理的エリアで優位を占め、1985年にコンピュータストアへの参入を選択したPacific Bell社英語版によって買収された[19]。その創設者であるパット・テレル(Pat Terrell)とリック・テレル(Rick Terrell)兄弟は、1985年にIBM PC互換モニターおよびコンピュータシステムのメーカーであるLeading Technology社 英語版 を設立した[20]。Byte Shopを売却したポール・テレル自身も後に、北カリフォルニアでSoftware Emporiumという名のソフトウェア小売店チェーンを設立した[21]

取扱商品

Byte Shopが1975年12月 - 1977年11月に販売した商品の例

S-100バス・コンピュータ、そのボード類
  • IMSAI 8080
  • Altair 8800 - 途中で取扱停止
  • Polymorphic 88
  • Processor Technology SOL-20
  • BYT-8 - 自社オリジナルのS-100バス・コンピュータ
  • S-100バス・ボード類
  • SWTPC 6800
  • Apple I (ボード)
    • Apple I用 ケース(スティーブ・ジョブズがApple Iをむき出しのボードで納品したため、ポール・テレルは地元の木工職人に依頼して Kona Wood コナ・ウッド製のケース(筐体)を作らせた。これはコレクターに"Byte Shop Case"として知られるようになった。)
    • Apple I用電源トランス
    • Apple I用キーボード(主にDatanetics社製)
    • Apple I用カセットインタフェース(データレコーダ用)

脚注

注釈
  1. ^ 東京の店舗とは、秋葉原ラジオ会館 7Fにあった「秋葉原BYTE SHOP KOYO」のことである[1]
出典
  1. ^ Blumenthal 1979, p. 81.
  2. ^ Freiberger & Swaine 2000, p. 235; Noguchi 1976, p. 9.
  3. ^ a b c d Freiberger & Swaine 2000, p. 236.
  4. ^ a b c d Noguchi 1976, p. 9.
  5. ^ Hagen 1976, p. 15C.
  6. ^ a b Freiberger & Swaine 2000, pp. 235–236.
  7. ^ Schlender & Tetzeli 2016, pp. 39–40; Szondy 2022.
  8. ^ Isaacson 2011, pp. 66–67; Freiberger & Swaine 2000, p. 266.
  9. ^ Linzmayer 2004, p. 7; Isaacson 2011, pp. 66–67; Young & Simon 2005, p. 35; Linzmayer 2004, p. 7; Freiberger & Swaine 2000, p. 266.
  10. ^ Wozniak & Smith 2007, p. 189; Williams & Moore 1984, p. A67.
  11. ^ Isaacson 2015, pp. 67–68; Linzmayer 2004, pp. 8–10.
  12. ^ Isaacson 2015, pp. 67–68; Linzmayer 2004, pp. 8–10; Young & Simon 2005, p. 36.
  13. ^ Goff 1999, p. 75.
  14. ^ McConnell 1994, p. 25.
  15. ^ Freiberger & Swaine 2000, p. 238.
  16. ^ Freiberger & Swaine 2000, p. 237; Fox 1977, p. 15; Slage 1977, p. C5.
  17. ^ Staff writer 1977, p. 27; Freiberger & Swaine 2000, p. 236.
  18. ^ Grant 1997, p. 367.
  19. ^ Manning 1987, p. 1; Humble 1984, p. D1.
  20. ^ Manning 1987, p. 1.
  21. ^ Raleigh 1986, p. 31.
参考文献



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