F1参戦・その後
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「コラード・ファビ」の記事における「F1参戦・その後」の解説
1983年開幕戦ブラジルGPにてイタリアの小規模チームであるオゼッラからF1デビュー。チームメイトはピエルカルロ・ギンザーニでアルファロメオ製V12エンジン搭載とオール・イタリアン体制でのF1参戦であったが、資金不足のためニューマシンはギンザーニの乗る1台しか用意できず、ファビは旧型マシンであるフォードDFVエンジン搭載車FA1Dを第8戦カナダGPまで使い続けた。マシンの戦闘力も低かったため予選落ちを6回喫するなど結果を残せなかったが、レースでは(第11戦オーストリアGPなど)ギンザーニを上まわる走りを見せた。 1984年は兄テオがCARTシリーズとF1の日程が被る際に代役としてブラバムからF1参戦。第9戦ダラスGPでは自己最高の7位完走するが、結局このレースが最後のF1出走となった。同年後半はフォーサイス・レーシングからCARTシリーズに参戦するが、父親が亡くなり、家業を継ぐためレーサーを引退した。
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