ELO PartⅡとは? わかりやすく解説

ELO Part II(1989年 - 2000年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 08:25 UTC 版)

エレクトリック・ライト・オーケストラ」の記事における「ELO Part II(1989年 - 2000年)」の解説

1988年ベヴァンリンに「ELOアルバムレコーディングしたい」と打診。しかし、リン参加拒否ししたためベヴァンリンなしでのバンド活動行なう意志示した。これに対して、名称権利有するリン難色を示す打開策として「Part II」を追加したElectric Light Orchestra Part II」という名で合意した活動開始初期ジョン・ペインメンバーとして採用されたが、正式加入前離脱して1991年エイジア参加プロデューサー交代して再度仕切り直しファースト・アルバム銀河探索者』がリリースされたのは、翌1990年であったELO全盛期の旧メンバーであるミック・カミンスキー、セカンド・アルバム『モーメント・オブ・トゥルース』からはルイス・クラークやケリー・グロウカットも参加するなど、オーケストラ・サウンドとロックバンド合わせた1970年代ELOサウンド再現目ざした。しかしリン不在ELO如何ともしがたく、アルバム・シングル共に新作全米全英チャートイン記録する事はなかった。ライブでは往年のヒット曲演奏しオーストラリアロシアで生オーケストラ共演したライブ・アルバム発表している。 ELO Part II名義での最初ツアーは、コンスタンチン・クリメッツが指揮務め80編成モスクワ交響楽団英語版)を迎えて行なわれた。 1999年1月ベイツ脱退し、パルテノン・ハクスリーが代わりにボーカルギター務めることとなった11月最後ライブ開催2000年初頭バンド解散発表

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