ECMへ参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 07:18 UTC 版)
「エグベルト・ジスモンチ」の記事における「ECMへ参加」の解説
1974年、ベルリンのジャズ・フェスティバルに参加した彼は、エルメート・パスコアールやパーカッション奏者とのナナ・ヴァスコンセロスらと共演する。その後、ECMのマンフレート・アイヒャーと出合う。1975年にレーベルへの参加を請われ、1976年、ECMのメンバーに加わった。当初、ECMに入ることを躊躇していたのは、ジスモンチ自身がECMのことをあまりよく知らなかったためである。 ジスモンチはECMでブラジルの著名なミュージシャンによるアルバムを構想していたが、ブラジル軍事政権が国外に出るブラジル人に対し高額の課金をしていたため、彼らをECMのスタジオがあるノルウェーに連れ出すことが困難であった。そこで彼はソロ・アルバム制作に方針を変更してノルウェーに向かった。当地でアマゾン近くで育ってきたという共通の経歴を持つナナ・ヴァスコンセロスと再会し、アルバムへの参加を要請。1976年こうして完成したアルバム『輝く水』(ECM) は20万枚を売り上げるとともに、イギリスではポップの、アメリカではフォルクローレの、ドイツではクラシックと様々なジャンルの賞を受けることになる。このアルバムを機に、ヴァスコンセロスは世界的なミュージシャンとして各国を飛び回るようになるとともに、ジスモンチはアマゾンのフォクルローレの研究に没頭するようになる。そして、2年間、アマゾンで現地の人と生活を共にする。 1978年にサックス奏者ヤン・ガルバレク、マルチ楽器奏者のコリン・ウォルコット、ラルフ・タウナーらとアルバム『輝く陽』(ECM) を、1980年にヤン・ガルバレク、チャーリー・ヘイデンとアルバム『マジコ』(ECM) をリリース。また、1979年にリリースしたソロ・アルバム『ソロ』(ECM) はアメリカで10万枚以上を売り上げるヒットとなった。それ以降もコンスタントにアルバムを発表し続けている。
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