DMH17系の低出力問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 17:49 UTC 版)
「国鉄キハ60系気動車」の記事における「DMH17系の低出力問題」の解説
DMH17系機関の低出力という欠点は、気動車を急勾配路線で運行する際に顕著で、1エンジン気動車は登坂性能で蒸気機関車牽引列車に劣るケースも見られた。DMH17形に代わる強力なエンジンもなく、編成出力の増強策として1両にエンジンを2基搭載する方法が採られ、その後の標準となった。 1954年(昭和29年)に2エンジン試作車としてキハ44600形(後のキハ50形)が落成。大柄な直列8気筒のDMH17B形と、その補器を2組分搭載するには床下スペースが不足し、苦肉の策として、台車中心間距離を標準より2 m長い15.7 mとすることで搭載スペースを確保した。しかし、これにより多くの路線で分岐器や曲線通過に支障を来すこととなり、やむなくキハ44600形は線区限定運用とされ、気動車本来の弾力的な運用は諦めざるを得なかった。 このため、これを教訓として1955年(昭和30年)から造られた改良型のキハ44700形(後のキハ51形)では、床下機器の寸法と配置を見直し、台車中心間距離を14.3 mまで縮小することで、運用の問題を解消している。これで一応は出力が確保され、必要な性能は実現されたことになり、以後特急形までこの方法を踏襲することとなった。 とはいえ2エンジン車は問題点も抱えており、出力や駆動力は1エンジン車の倍になるが、エンジン・変速機・逆転機も2組ずつ必要となり、製造・保守のコストも倍になってしまう。また排気マニホールドの過熱防止のため、主幹制御器の「5ノッチ」段による全出力運転時間は短時間に限られたことや耐久性の面で過給器を装備できないことなどから、これ以上の性能向上に対する余力に乏しいことは明らかであった。 この点を最も痛感していたのは国鉄自身であり、そのため、DMH17系機関の性能向上を諦め、早くからDMF31系の気動車転用試験が行われることになった。
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