CC系の確立
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1927年(民国16年)8月、蔣介石が一時下野に追い込まれると、蔣介石は反撃の機会を狙い、陳果夫・陳立夫兄弟が設立した地縁的な支持団体である浙江革命同志会を中央倶楽部(Central Club)に改組した。これが後のCC系の基盤となる。1929年(民国18年)3月、陳立夫は国民党第3回全国代表大会で中央執行委員に選出され、さらに中央党部秘書長となった。陳立夫は中央党部組織部部長となった陳果夫とともに党務を総括する立場となり、「蔣家天下陳家党」と称されるようになる。 その後、国民党中央党部組織部代理部長となった兄の陳果夫の下で、陳立夫は党務調査科主任に任ぜられる。立夫は、これを主に中国共産党に対する調査・監視の特務機関に改組した。1935年(民国24年)5月、軍事委員会調査統計局局長に任ぜられ、特務活動を掌握した。CC系の特務は、特に教育・文化系統や司法・警察に向けて拡大された。陳立夫は『京報』・『時事日報』・『政治評論』などの新聞・雑誌を創刊して宣伝に努めたほか、易経の研究から「唯生論」を提唱し、書籍を出版するなどしている。
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