CARTにおける活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 17:14 UTC 版)
「メルセデスAMG・ハイパフォーマンス・パワートレインズ」の記事における「CARTにおける活動」の解説
「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ#1994年インディアナポリス500」および「イルモア#CART撤退〜IRL参戦」も参照 1994年インディ500優勝車両のペンスキー・PC-23(英語版)とメルセデス・ベンツ・500Iエンジン 1993年11月にメルセデス・ベンツ社がイルモアに資本参加したのとほぼ同時に、メルセデス・ベンツ社、イルモア、ペンスキーの三者は1995年以降のインディカーシリーズ(CART)におけるエンジン供給についての契約を締結した。 その頃、イルモアとペンスキーは翌年のインディ500(英語版)に向けて技術規則の隙を突いたプッシュロッドエンジン(OHVエンジン)の開発を極秘で進めていた。1994年4月、イルモアとペンスキーの要請を受けたメルセデス・ベンツ社は完成したこのエンジンへの資金援助を行うことを決定し、同エンジンには「メルセデス・ベンツ・500I」の名称が与えられた。 1戦だけの参戦とはいえ、メルセデス・ベンツの名は予定より1年早くCARTのレースに登場することになり、ペンスキーのエマーソン・フィッティパルディは同レースを席巻した。フィッティパルディはレース終盤にリタイアしたが、同じくペンスキーで2位を走っていたアル・アンサーJr.が難なく優勝を手にした。 翌1995年シーズンから予定通りシリーズ戦へのエンジン供給を始め、1997年シーズンにメルセデス・ベンツエンジンはマニュファクチャラーズを獲得した。しかし、当時のIRLとCARTの分裂などにより、メルセデス・ベンツは次第に興味を失い、F1とドイツツーリングカー選手権(新DTM)に集中するため、2000年シーズンの終了後に撤退した。
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