BMP-1の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 07:57 UTC 版)
独仏両国から6年ほど遅れた1966年にソビエト連邦軍はBMP-1を採用した。武装は大口径な73mm低圧砲と7.62mm同軸機銃と対戦車ミサイルであり当時としては高い火力を誇ったが、73mm低圧砲は弾道の安定性や砲自体の信頼性に問題があったため後継のBMP-2で30mm口径機関砲に変更された。BMP-1は軽量なため浮航能力を有しており同じく軽量な車両やフロートを備えるK21も浮航能力を有している。また、兵員室に8名を収容でき、ここにはガンポートを備えている。ガンポートは密閉された兵員室に乗車した歩兵が携行火器を車外へ射撃するために車体に開けられた穴であり、これは車両の火力を増強するとともに、歩兵は車外へ出ることなく戦闘が行えるので核戦争などで周辺がNBC兵器で汚染された際には歩兵をこれらの汚染物質から守ることができる。 BMP-1およびBMP-2は現在に至るまで東側諸国で多数運用され、機関砲に加え100mm低圧砲を装備するBMP-3に至っては西側諸国でも使用されているベストセラー兵器となっている。 BMP-1は西側諸国に「BMPショック」と言うべき衝撃を与え、ドイツはSpz HS.30の後継としてマルダーを、フランスはAMX-VCIの後継としてAMX-10Pを開発していたが、これらの配備が急がれた。一方で陸上自衛隊の73式装甲車のように、歩兵戦闘車としての能力付加を見送り、純粋な兵員輸送車として制式化された例もある。
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