BINACと財政難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/11 07:29 UTC 版)
「エッカート・モークリー・コンピュータ・コーポレーション」の記事における「BINACと財政難」の解説
キャッシュフローが悪く、UNIVACの完成に時間がかかったため、EMCCは別のプロジェクトを迅速に行うことにした。それは、ノースロップから請け負った小型(ENIACと比較して)のコンピュータBINACである。当初の開発コストの見積もりが非常に非現実的であることが判明し、1948年の夏までにEMCCはほぼ資金不足になった。しかし、ボルチモアにある電気機械式トータライザー(英語版)のメーカーであるアメリカン・トータライザー(英語版)の副社長ハリー・L・ストラウス(英語版)の支援により一時的に持ちこたえた。ストラウスは、EMCCの仕事は、一般的な意味でも有望であることに加え、レーストラックビジネスに使えるかもしれないと感じ、EMCCに500,000ドルを投資した。ストラウスはEMCCの取締役会会長に就任し、アメリカン・トータライザーはEMCCの株式の40%受け取った。1949年10月に飛行機墜落事故でストラウスが死亡し、アメリカン・トータライザーはEMCCへの支援を撤回した。 BINACは最終的に1949年に納品されたが、ノースロップはうまく機能しなかったと主張した。EMCCでの受け入れテストでは正常に機能していたが、ノースロップはセキュリティ上の懸念を理由に、出荷後の製品を組み立て直しをEMCCの従業員が行うことを拒否した。その代わりに、ノースロップは学校を卒業したばかりの電気エンジニアを雇って製品を組み立てた。EMCCは、設計の品質を証明した後で、それは完全に機能したと主張している。
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